2018/06/14

代表取締役社長退任のご挨拶

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本日6月14日(木)、東京五反田の「スタンダード会議室五反田ソニー通り店」において開催されました株式会社ハレックスの第25回定時株主総会におきまして、私、越智正昭は15年間務めさせていただきました株式会社ハレックスの代表取締役社長の職を退任させていただきました。15年間という長きに渡って1つの企業の経営を代表取締役社長として務めさせていただくことはNTTグループとしては極めて異例のことで、これはひとえに皆様方のおかげだと、心から感謝いたしております。

様々なご助言とご支援、叱咤激励を賜ただいた株主の皆様方。監督官庁として幾多のご指導を賜った気象庁の皆様方。弊社がご提供させていただいているサービスの数々の価値をご理解いただいてご契約していただいております今や300社を超えるまでに増えたお客様企業の皆様方。さらには気象情報を核にしてご一緒に世の中に新しい価値を創り出していこうという弊社の考え方にご賛同いただいたパートナー企業の皆様方。そしてなにより、私が「これからの民間気象情報会社はこうあるべし」と打ち出したビジョンに共感していただき、それを実現するために日夜ともに努力を続けてきてくれた社員の皆様方。お一人お一人への感謝の言葉はここではとても語り尽くせません。本来はそうしたお一人お一人に直接お会いして御礼を申し上げたいところではありますが、あまりに大勢すぎてそれもままなりませんので、この『おちゃめ日記』の場をお借りして、一言御礼申し上げます。本当にありがとうございました。

今後はこれまでハレックス社常務取締役を務めさせていただいてきた藤岡浩之が3代目代表取締役社長として指揮を執ることになります。藤岡はNTTデータで私より11期後輩にあたり、今年52歳。ここで一気に若返りを図り、私の宝とも思っている株式会社ハレックスを彼なら大いに発展させてくれるだろうと期待し、後任に指名させていただきました。皆様方におかれましては、藤岡浩之率いる新生ハレックスを今後ともご贔屓にしていただけますよう、これまでの御礼とあわせて、心からお願い申し上げます。

ハレックス社の代表取締役社長を退任して、私はこれからNTTデータMCS(松戸市)、NTTデータ四国(松山市)、NTTデータ中国(広島市)、そしてNTTデータのビジネスパートナー(BP)会社の1社であるフォーカスシステムズ(品川区)という4社の顧問に就任します。電電公社に入社してこれまでの40年間、なかでもハレックス社の代表取締役社長としての15年間で学んだことはあまりにも大きく、今後はその経験を活かして、後輩の皆さんの良きアドバイザーとなれればいいな…と思っています。

そうそう、私が果たせなかったハレックス社の夢の1つに東京ローカルの会社からの脱却、すなわち地方の事業拠点の設置がありました。気象情報を求めている人はなにも東京だけにとどまりません。防災や農業、漁業など、地方のほうが多いと私は思っています。当初は日本気象協会様から業務を請け負った九州や東海を拠点に地方展開を目論んだのですが、日本気象協会様の方針変更であえなくその夢は潰え、辛うじて九州の大分に小さな事業所を残すだけになっています(なんとしてもこの1箇所を残そうとして頑張りました)。これから顧問に就任する会社には四国地方の松山市と中国地方の広島市に本社がある会社が含まれます。どこまでできるかは分かりませんが、私がこれから顧問に就任する各会社とハレックス社のグループ内連携を進めることで、当初想定していたのとは違った形にはなりますが、ハレックス社事業の地方展開が図れたらいいな…と考えています。それにより、地域の発展に少しでも寄与すること、これがこれからの私の当面の夢、目標です。

私が尊敬してやまない郷里四国松山が生んだ偉人である秋山好古陸軍大将は、晩年、郷里松山の北予中学校(現在の愛媛県立松山北高校)の校長となりました。日露戦争の際には満州の広野で当時史上最強と言われたロシアのコサック騎兵師団を破るという奇跡を成し遂げ、その後陸軍大将という高官を務めたほどの人物が郷里とはいえ地方の一中学校の校長になるというのは極めて異例のことで、社会的にはいわば格下げとなるわけですが、地元の人達から熱心な校長就任の要請を聞いた秋山好古陸軍大将は次にように述べて、快くそれに応じたのだそうです。

「俺は中学の事は何も知らんが、ほかに人がいなければ校長の名前は出してもよい。日本人は少しく地位を得て退職すれば遊んで恩給で食ふことを考へる。それはいかん。俺でも役に立てば何でも奉公するよ」

私は秋山好古陸軍大将ほどの高官だったというわけではありませんが、私が尊敬してやまない秋山好古陸軍大将のこの言葉は私の背中をドンッと押してくれました。今の私も、「少しでも世の中の役に立てることがあれば、なんでも奉公する」…この気持ちでいます。加えて、私の座右の銘としている秋山好古陸軍大将の名言「男子は生涯、一事をなせば足る」も、私の中ではまだまだその“一事”を成し遂げられているようには思っておりませんしね。幸い、“一事”は見つかった気になっていますが、残念ながらまだまだ“成している途中”ですから。

また、私が敬愛してやまないもうお一方、俳優の高倉健さんの主演作品の1つに『海峡』があります。青函トンネルの先進導坑開通までのトンネル掘削工事の現場を描いた作品で、『網走番外地』や『幸せの黄色いハンカチ』、『八甲田山』、『鉄道員』など、高倉健さん主演の映画はたくさんあり、どれをとっても名作ばかりなのですが、そんな中で、私が一番印象に残っている作品がこの『海峡』なんです。この『海峡』の中で高倉健さんは津軽海峡の地質調査から始まり、先進導坑の開通までの約30年間にわたり青函トンネル建設の現場の第一線に立ち続けた主人公の阿久津を演じました。その『海峡』のラストシーンは、現場工事の責任者として青函トンネルの先進導坑を開通させた高倉健さん演じる主人公の阿久津が、本坑が開通する前に、次なる自らの活躍する現場を目指してアジアとヨーロッパの間を遮るボスポラス海峡の海底トンネルの建設に向けての地質調査に向かう成田国際空港のシーンでした。見上げたフラップ式の行き先表示器がパタパタと音を立てて回り、どこかヨーロッパの都市名(どこだったかは忘れました)、それを見て津軽海峡への思いを吹っ切るかのように決心を決めたような表情で前を向いて出国ゲートに向かう阿久津。セリフはなくともその表情だけで全てを語り尽くす高倉健さんならではの名演技でした。

今、私の心境はその『海峡』の中の高倉健さん演じる主人公の阿久津の心境と重なるところがあります。先進導坑はなんとか15年かけて開通させることができました。この後、本坑を掘り開通させるのは、藤岡浩之新社長のもとで私が自慢とする社員の皆さん方が必ずややってくれるものと信じています。

15年前の就任当初、NTTデータグループ、NTTグループで最年少の社長だった私も、気がつけばグループ最長老の社長の1人になっていました。15年という年月はそういう時間でした。最近は世代のギャップや多少のやりにくさに直面して戸惑うことも多くなってきました。ですがまだ62歳。まだまだやれるので、敬愛してやまない秋山好古陸軍大将や高倉健さんの背中を追いかけてみるかな…って気持ちに切り替わっています。

これまで15年間、本当にありがとうございました。そして、これからもハレックスのことをよろしくお願いいたします。

株式会社ハレックスは私の創った最高傑作、そしてこの先いつまでも忘れることのない私の大事な大事な宝です。

株式会社ハレックスも私も『To the Next Stage!』です。

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【追記】
2014年5月からこれまで4年間以上に渡り連載させていただきましたこの『越智社長の おちゃめ日記』も今回をもって終了させていただきます。長い間、私の拙文にお付き合いいただきまして、本当にありがとうございました。

代わりにブログ『越智正昭の 新・おちゃめ日記』を立ち上げました。15年間背負い続けてきた経営責任や執行責任の重荷から解放されて、もっと気ままに情報発信をしていきますので、次からはこの『新・おちゃめ日記』のほうをお楽しみいただければ…と願っております。引き続き、よろしくお願いいたします。

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