2016/03/22

春や昔 十五万石の 城下かな

松山城2
松山城のお堀

『春や昔 十五万石の 城下かな』

この俳句は愛媛県松山市が生んだ明治を代表する俳人・正岡子規(1867年~1902年)が明治28年(1895年)に詠んだ俳句です。松山に住む人なら知らない人はいないというくらいに有名な俳句で、松山のシンボルのようにもなっています。JR松山駅前の広場にもこの俳句が刻まれた句碑が建てられていて、松山を訪れる人々を出迎えてくれています。

当時、新聞「日本」の記者をしていた正岡子規は、明治27年(1894年)に勃発した日清戦争に従軍記者として参加することを志願し、周囲の反対を押し切って明治28年(1895年)、中国へと旅立ちます。その正岡子規が従軍の前に松山へ帰省した3月の中旬に、この句を詠んだとされています。江戸時代は江戸幕府の親藩であることを誇りに思っていた松平家十五万石の城下町・松山の栄光も今は昔となってしまいました。おそらく正岡子規は松山市の中心部にお椀を伏せたように佇む勝山(標高132メートル)の山頂にある松山城に上り、そこから城下を見渡して、昔に思いを馳せて、繁栄した当時を懐かしみ、詠んだ俳句なのではないかと言われています。ちなみに、正岡子規も松山藩士の家に生まれました。

私の実家のある愛媛県松山市は、その正岡子規だけでなく、高浜虚子や石田波郷、河東碧梧桐といった著名な俳人を生み、また種田山頭火や文豪・夏目漱石ゆかりの地でもあり、様々な俳句や夏目漱石の書いた小説『坊っちゃん』、司馬遼太郎の書いた名作『坂の上の雲』などの舞台にもなったまさに文学の街です。

今でも街のあちこち(市内だけで90ヶ所以上と言われています)に松山市が運営する「松山市観光俳句ポスト」なるものが置かれ、誰でも気軽に俳句を投稿することができるようになっています。また、毎年8月には『俳句甲子園』とも呼ばれる高校生を対象にした俳句コンクール「全国高校俳句選手権大会」も松山市で開催されています。

ちなみに、「松山市観光俳句ポスト」に投稿された俳句は定期的に松山市在住の著名な俳人の先生による審査が行われ、入選した作品には記念品が贈呈されるようになっています。私もこれまで何度か帰省した折りに下手な俳句を詠んでは「俳句ポスト」に投稿してみていますが、残念ながら一度も入選は果たしていません。かなりレベルは高いようです。さすがは文学の街・松山です。

『春や昔 十五万石の 城下かな』という正岡子規の句でも詠まれていますが、松山、いや、四国が最も四国らしい風景を見せるのは、まさに3月中旬の今頃から約1ヶ月の間の春の季節なのではないか…と私も思っています。菜の花やレンゲソウ、サクラ等が咲き乱れ、ただでさえ長閑で落ち着いた感じの景色が淡いパステルカラーで彩られます。そのパステルカラーで彩られた風景の中を白装束をした四国霊場八十八箇所巡礼のお遍路さんがチリンチリンと鈴の音を鳴らしながら歩いていきます。その光景を見ると、なぜか涙が出そうになってきます。

『NPO法人 坂の上のクラウド利用研究会』の設立総会に出席した翌日、せっかくなので、その春麗らか(うららか)な松山市内を散策してみました。

松山の路面電車

松山市は、前述のように山頂に松山城の天守閣が聳える勝山(市民の間では通常“お城山”と呼ばれています)が市内中心部にあり、その勝山を囲むように発展した城下町です。市内中心部の山の上に天守閣があることから、市内のどこからでも城の姿が見え、松山の都市景観を形成する上で重要なシンボルになっています。

この松山城は別名を“金亀城(きんきじょう)”、あるいは“勝山城(かつやまじょう)”とも呼ばれ、岡山県高梁市にある備中松山城をはじめ全国各地に松山城と称する城があるため、それらと区別するため“伊予松山城”とも呼ばれています。現在は城跡の主要部分が公園として整備され、天守閣(全国に現存する12の天守閣の1つ)を含む21棟の現存建造物が国の重要文化財に、また、城郭遺構が国の史跡に指定されています。そのほか、昭和初期の1933年に大天守を残して焼失した連立式天守群の小天守以下5棟をはじめとする22棟(塀を含む)が木造で復元されています。

松山城は日本三大平山城に数えられ、2006年(平成18年)には「日本100名城」に、松山城山公園が「日本の歴史公園100選」に選定されました。また、2007年(平成19年)には情緒ある佇まいが残されていることが評価され「美しい日本の歴史的風土100選」に道後温泉と共に選定されました。さらに、2009年(平成21年)にミシュラン観光版日本編で2つ星に選定されたことから、最近は欧米人の観光客が多く訪れていただけるようになりました。この日も市内を歩いていると、欧米人観光客の姿を何人か見掛けました。嬉しいことです。

その松山城(勝山)の周囲は堀に囲まれていて、その堀の内側は“堀の内”と呼ばれて、「松山城山公園」となっています。その堀の内にある「松山城山公園」には幾つかの入り口があるのですが、南側の入り口付近の地名が南堀端。前日『NPO法人 坂の上のクラウド利用研究会』の設立総会が行われたJA愛媛のビルも、この南堀端にあります。南堀端から入った城内(堀の内)には、少し前までは野球場と競輪場があったのですが、今はどちらも郊外に移転して、それらの跡地は県立博物館や県立図書館といった文化施設になっています。私は、この南堀端から西堀端にかけての方角から見上げる松山城の風景が大好きです。

Jウィングファーム1
Jウィングファーム2
Jウィングファーム3
Jウィングファーム4


午後からは松山市の隣の東温市にあるジェイ・ウィングファームを訪ねました。ここは前日に発足したNPO法人 坂の上のクラウド利用研究会の初代の理事長に就任された牧秀宣さんが代表を務めておられる農業生産法人です。

ジェイ・ウィングファームの周囲に植えられたサクランボの樹(ミザクラ)は、訪れたちょうどその日が満開。黄色い菜の花と相まって、春の四国らしい風景になっていました。ジェイ・ウィングファームの主力作物である麦(モチ麦、ハダカ麦)も土から穂が伸びてきていました。3月中旬の今はまだこんな状態ですが、これから日一日にグングンと成長し、花をつけ、実をつけ、今から約2ヶ月後の5月下旬には、写真ではツバキが咲いている農園内の広場で収穫祭を迎えます。

以上、四国松山の春の光景でした。


【追記】
東日本大震災からまる5年が経過したということで、被災地から遠く離れた松山市の一番の繁華街・大街道でも『5年目の春、今できること、学ぶこと』と題したイベントが開催されていました。青森県からも津軽の平川市から壮大な“ねぷた”がやってきて、東北地方への観光キャンペーンを行っていました。昨年の「ゆるキャラグランプリ」で準優勝に輝いた愛媛県のイメージキャラクター“みきゃん”も、防災の呼び掛けに一役かっていました。

震災から5年1
震災から5年2
震災から5年3
震災から5年4

執筆者

株式会社ハレックス代表取締役社長 越智正昭

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越智正昭

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