2016/12/05

鉄研機関誌「せのはち」(その1)

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11月19日(土)、広島市で私も創設メンバーの1人として加わった広島大学鉄道研究会の創立40周年を祝う会が開催され、私も参加してきました。

同じく広島大学鉄道研究会創設メンバーの1人で広島県大竹市で中学校の教師をやっている長澤靖クンが「大人の隠れ家」を作ったということを聞き、今年の4月の終わりからのGW中に1泊2日でその長澤クンの「大人の隠れ家」を訪問したのですが、そこに同じく広島大学鉄道研究会創設メンバーの山田クンと一ノ瀬クン、そして3年後輩の野田クンもやって来てくれて一緒になりました。そのあたりの経緯はこの『おちゃめ日記』に「大人の隠れ家(その1)〜(その5)」と題して書いておりますので、是非そちらもご覧ください。

男の隠れ家(その1)
男の隠れ家(その2)
男の隠れ家(その3)
男の隠れ家(その4)
男の隠れ家(その5)

その席で一ノ瀬クンから「今年は鉄道研究会創立40周年だということを知っていましたか?」ということを聞かされ、そこで初めて「あぁ、そう言えば…」ってことに気づきました。広島大学鉄道研究会がサークルとして正式に発足したのは私が大学3年生になった4月のことですから、昭和51年(1976年)の4月のことです。今年は私が大学を卒業して社会人になって38年目ですから、確かに広島大学鉄道研究会が創立してから40周年です。で、一ノ瀬クンから「今年の秋にでも創立40周年の記念の会を開催しませんか?」という提案があったので、私は二つ返事で「OK!」と答えたのでした。幹事は地元広島在住の一ノ瀬クンや野田クン、長澤クンが務めてくれることになりました。その日から私はこの日が来るのを本当に楽しみにしていました。

広島に到着すると市内中心部の平和大通りに面した袋町にあるホテルにチェックイン。会が始まるのが18時ということでしたが、ちょっと興奮してソワソワしてしまって、会が始まるまでの間、しばらく広島の街を散策することにしました。袋町から本通り、紙屋町、立町…と市内中心部を歩いたのですが、広島の街は私が学生時代に暮らしていた当時とは比較にならないくらいに明るく華やかな近代的な街に変貌を遂げています。広島には仕事の出張等で何度か訪れているのですが、こうしてゆったりとした気持ちで市内を歩いてみるのはホント久しぶりのことです。特にこれから学生時代の親しかった友人達に逢うというので、気持ちが学生時代に戻っているのでしょう。ひととき日常の煩わしいことから離れて、ただひたすら学生時代の思い出に浸り、あたりの風景をキョロキョロと眺めながら歩きます。

そうした中、横を通り過ぎていく女子高校生の一団の話す広島弁に「あぁ、やっぱり広島だ」と懐かしさを感じます。先ほど、広島の中心部は私が学生時代に暮らしていた当時とは比較にならないくらいに明るく華やかな近代的な街に変貌を遂げていると書きましたが、それは広島らしい特徴が薄れていって、残念なことに全国画一化された都市の一つになっていってしまっているということも意味します。そういう中で地元の人の話す言葉(広島弁)と道路の真ん中を実に堂々とした存在感で走り過ぎていく路面電車、これだけは私が学生時代に暮らしていた当時と少しも変わりません(路面電車のほうはさすがに最新鋭の車両が増えましたが…)。これが広島です。これがある限り、広島は広島でいられるんです。

広島大学鉄道研究会創立40周年の記念の会の会場の立町にある居酒屋さんには開始の15分前に入ったのですが、既に10人ほどの参加者が集まっていました。一番最初に私に気づいてくれたのは一ノ瀬クンの奥様。彼女は私が4年生の時に入会してきた3年後輩です(一ノ瀬ご夫妻は鉄道研究会内でできたカップルです)。彼女とは私が大学を卒業して以来ですので、38年ぶりの再会です。当時の面影がしっかり残っておられます。嬉しかったですね。私に引き続いて次から次に参加者が集まってきます。私のすぐ後から上畑ご夫妻もやって来ました。上畑ご夫妻は私の3年後輩同士で結婚されたカップルで、上畑クンの奥様も鉄道研究会のOGです。この一ノ瀬ご夫妻、上畑ご夫妻だけでなく、私が知る限りでは4組の鉄道研究会内で生まれたカップルがいらっしゃるようです。こういうのを聞くと、嬉しいですね。ちょっと羨ましいけど(笑)

この日は昭和51年(1976年)の4月に広島大学鉄道研究会が創設された時のメンバー11名のうちの6名を含む総勢27名ものOB、OG(男性25名、女性2名)が集まってくれました。入学年次で書かれた参加者名簿を見ると、昭和49年入学の最年長の私を筆頭に、昭和50年入学が1名、昭和51年入学が4名、ここまでが創設当時のメンバーで、その後も昭和52年入学が8名、昭和53年入学が7名と続き、その後は昭和58年入学までが1名ずつとずっと途切れずに参加者が続き、ちょっと間を置いて平成3年の入学が1名。昭和60年入学組以降の若い人の参加が1名だけというのはちょっと寂しい気もしますが、ひと声かけただけでこれだけの人が集まってくれたことは“嬉しい”の一言です。地元広島に在住の人は半分もおらず、一番遠方の埼玉県から駆けつけた私をはじめ、ほとんどの人は東京や横浜、名古屋、関西、山陰、岡山、山口、九州の在住者。この会に参加するだけの目的でわざわざ広島に集まってくれたわけですから。

参加者27名のうち、私が4年生の時に1年生だった昭和52年入学までが約半数の13名(私を除く)。ここまでが顔と名前が一致するメンバー。首都圏で暮らす一部の方を除いて、皆さん一ノ瀬クンの奥様同様、私が卒業して以来ですので38年ぶりの再会です。皆さん、それなりに年齢を経られて、おそらく街ですれ違っても気づかないくらいに変わっておられますが、名乗られるとすぐに思い出します。懐かしい。

私が卒業した昭和53年以降に入会された残り13名の方とは直接の面識はないのですが、そこは同じ鉄道好きという同好の人達です。同じ香りがするというか、すぐに打ち解けて親しく話せます。

幹事の一ノ瀬クンに促されて私が開会の挨拶をさせていただいたのですが、最初の言葉は「私が広大鉄研“最年長”の越智です」でした。私は創設メンバーの一人で最年長、駅伝に喩えてみればスタートラインを発った“第一走者”ってだけのことに過ぎません。その後、後輩の皆さん方が次々と襷を繋いでくれて、40年もの長い間、一度も途切れることもなくサークルとして継続してきたわけです。そうした後輩の皆さん方には、創設メンバーとしても、ひたすら感謝感謝です。気軽な集まりの場ですので、その場の空気感から堅苦しくそうした感謝の気持ちを述べるのも憚られましたので、ここは“最年長の”という表現を使って、さりげなく述べさせていただきました。

それにしても、40周年ですか。一つの大学のサークルが40年間も一度も途切れることなく、今も形を変えないで継続しているって、考えてみれば凄いことですよね。私と1年後輩の楠本クン、福島クン、佐々木クンの創設時の中核メンバー4人が自主的な愛好会として「広島大学鉄道研究会」と名乗ってサークルを立ち上げた時、この4人の中の誰一人としてそれから40年間もサークルが継続して活動を続けるとは思っていなかったのではないでしょうか。

広島大学鉄道研究会公式HP『てけてけねっと』

会場では小さな集団が幾つもでき、近況報告や昔話で大いに盛り上がっています。でも、さすがに鉄道好きばかりが集まった会です。「今でも○○やってるの?」「おう、細々とだけどやってるよ」なぁ〜んて会話があちこちで聞こえます。私もそうですが、時間的に学生時代ほど夢中にはなれませんが、皆さん、相変わらず“鉄”はやめられないようです。人の嗜好ってそんなに簡単に変わるもんじゃあありませんから。おまけに、“鉄の道”は奥深く、私達の気持ちを惹きつける不思議な魔力がありますからね。

さらに、皆さん、50歳を過ぎた方ばかりなので、社会の最前線から引退した後のことに思いを馳せているようなところがあります。60歳を過ぎたら、自分の好きなことをやりたいので、またバリバリ“鉄”をやりますよ…なぁ〜んて言葉も聞かれます。「男の隠れ家」を持った長澤クンは、その隠れ家の敷地にとうとうナローゲージの線路の敷設を始めたようです。「越智さん、今度手伝いに来てくださいよ」「おう、行く行く」

この日、ビックリさせていただいたのが、私の1年後輩で鉄研創設の中核メンバーの1人だった楠本クン。還暦(60歳)を迎えたのを機に、現在勤めている会社を辞め、一念発起してインターネット通販の鉄道模型の店を持つことにして、現在その準備を進めているのだそうです。趣味もここまで極めり…って感じです。楠本クンの奥様も鉄道研究会のOGなので、きっと彼の英断を理解してくれたのではないか…と勝手に推察します。

私も“草(アマチュア)”ではありますが将来は紀行作家の真似事のようなことをやりたいと思っていますし、皆それぞれですね。5年後、10年後に再会した時、皆さんがどんなになっているか、今度はそれが楽しみになってきました。

このような会を開催したのは広島大学鉄道研究会が創立してから40年目にして初めてのことですが、これからは時々開催しようということになり、「次回は5年後」「いや3年後にしよう!」 今回の参加者で一番後輩の平成3年入学の下口クンからは「平成組は私が取り纏めますから、次回はもっと大人数で大々的にやりましょう!」という大変心強い言葉も。「おっ、いいねぇ〜(=^▽^)σ じゃあ、その前段として平成組だけで集まったら」「ええ、そうします。その時には越智さんにもお声をかけますが、来ていただけますか。皆創設メンバーの越智さんに会いたがっていますから」「おお、いいよ。行く行く」楽しみがいっぱいいっぱい増えました。

こうした盛り上がりは二次会でも続き、気がつけばもうまもなく日付が変わろうとしていました。大変名残惜しかったのですが、皆さんと別れ、後ろ髪を引かれる思いで歩いてホテルに戻りました。私が学生時代に作詞作曲した広島大学鉄道研究会の歌『ローカル線の詩(うた)』を小さく口ずさみながら……。


【追記】
今回の会はメチャメチャ楽しかった反面、悲しいこともお聞きしました。これまで広大鉄研に在籍した方のうち、既に4人の方々が鬼籍に入られたのだそうです。その中には私と同じく創設時の中核メンバーの1人だった1年後輩の佐々木クン、また創設時の11人のメンバーの1人だった2年後輩の森クンも含まれていて、それを聞いた時には大きなショックを受けました。彼等の学生時代のお顔が懐かしく思い出されます。

遅くなりましたが、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。合掌…………………。


……(その2)に続きます。

執筆者

株式会社ハレックス代表取締役社長 越智正昭

株式会社ハレックス
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越智正昭

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