2018/06/14

代表取締役社長退任のご挨拶

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本日6月14日(木)、東京五反田の「スタンダード会議室五反田ソニー通り店」において開催されました株式会社ハレックスの第25回定時株主総会におきまして、私、越智正昭は15年間務めさせていただきました株式会社ハレックスの代表取締役社長の職を退任させていただきました。15年間という長きに渡って1つの企業の経営を代表取締役社長として務めさせていただくことはNTTグループとしては極めて異例のことで、これはひとえに皆様方のおかげだと、心から感謝いたしております。

様々なご助言とご支援、叱咤激励を賜ただいた株主の皆様方。監督官庁として幾多のご指導を賜った気象庁の皆様方。弊社がご提供させていただいているサービスの数々の価値をご理解いただいてご契約していただいております今や300社を超えるまでに増えたお客様企業の皆様方。さらには気象情報を核にしてご一緒に世の中に新しい価値を創り出していこうという弊社の考え方にご賛同いただいたパートナー企業の皆様方。そしてなにより、私が「これからの民間気象情報会社はこうあるべし」と打ち出したビジョンに共感していただき、それを実現するために日夜ともに努力を続けてきてくれた社員の皆様方。お一人お一人への感謝の言葉はここではとても語り尽くせません。本来はそうしたお一人お一人に直接お会いして御礼を申し上げたいところではありますが、あまりに大勢すぎてそれもままなりませんので、この『おちゃめ日記』の場をお借りして、一言御礼申し上げます。本当にありがとうございました。

今後はこれまでハレックス社常務取締役を務めさせていただいてきた藤岡浩之が3代目代表取締役社長として指揮を執ることになります。藤岡はNTTデータで私より11期後輩にあたり、今年52歳。ここで一気に若返りを図り、私の宝とも思っている株式会社ハレックスを彼なら大いに発展させてくれるだろうと期待し、後任に指名させていただきました。皆様方におかれましては、藤岡浩之率いる新生ハレックスを今後ともご贔屓にしていただけますよう、これまでの御礼とあわせて、心からお願い申し上げます。

それではこの場をお借りして、私の、そして株式会社ハレックスのこの15年間をざっと振り返ってみたいと思います。ざっと振り返ると言っても15年間のことです。思いもありますのでかなりの長文になろうかと思います。一種の“社史”のようなものです。ここは我が儘をお許しいただいて、我慢してお付き合い願えればと思っております。


1.越智正昭、代表取締役社長就任(2003年)
第25回定時株主総会ということを冒頭に書かせていただきましたが、今年で弊社ハレックスは創業から四半世紀の25周年を迎えました。国税庁が調査した「中小企業が設立から倒産するまでの期間」をまとめたデータ、いわゆる「会社生存率」(=「企業存続率」)によりますと、会社設立から5年以上続く確率は約15%、10年以上存続する確率は約6%、20年以上存続する会社は僅かに0.3%だと言われています。そういう中にあって、弊社ハレックスが創業から25周年という節目の年を迎えられたということは本当にありがたいことだと、皆様に心から感謝いたしております。

このようにめでたく創業25周年を迎えさせていただいた弊社ハレックスも、その道のりは極めて多難なものがありました。私は代表取締役社長を15年間務めさせていただいたということを書かせていただきましたが、私は2代目の社長で、実は私が社長に就いた15年前、弊社ハレックスは大きな存続の危機を迎えていました。創業から10年が経っていましたが、その間、1度も単年度黒字で終えられた事業年度はなく、累積損失が年々膨れ上がるばかりで、筆頭株主であるNTTデータ様からのご支援がなければ、即座に倒産するくらいの重大な危機を孕んだ会社でした。手持ちの資金も底をつきかけ、取引銀行からの貸し渋りにも遭い、当座の資金難から社員の皆様方にも給料の遅配を本気で検討しないといけないほどの壊滅的な状況でした。

私はそういうハレックス社の経営再建を託されて筆頭株主であるNTTデータから送り込まれた2代目社長だったのですが、その際、当時のNTTデータの副社長(後の社長)だった浜口友一さんが私に命じた言葉は実に意外なものでした。「潰してこい」。実際、私は「会社清算の仕方」(確か)という本と、「会社清算に向けた手続き」という資料をそっと手渡されての社長就任でした。

浜口友一さんの名誉のために言っておきますと、この浜口副社長(当時)の「潰してこい」には、実は裏があるのです。実際は当時「ハレックスを潰せ!」の急先鋒は他ならぬ私でした。ハレックスの経営をなんとか再建させたいと思う浜口さんをはじめ当時の上司の皆さんからはハレックスの社長就任を何度も打診されていたのですが、当時の私は47歳と若く、企業経営に関して経験も自信もなかったので、「あんなダメ会社、潰せばいいんですよ」とにべなく6回もお断りを入れ、やっと7回目に「もしかして消去法で私ですか?」とお訊きし、「そうだ。困った時の“越智頼み”だ」というお言葉を引き出して、お引き受けすることにしたわけです (「困った時の“越智頼み”」はダメプロジェクト立て直し屋として私の周囲ではそれまでも何度か使われていた言葉でした)。その際に浜口さんが言った言葉をより正確に書くと、「そんなに潰せ潰せと言うならば、オマエが行って潰してこい!」でした。後年、ハレックス社が単年度黒字を何年も続けられるようになった時に、私が浜口さんに「潰さなくて、すみませんでした。ところで、あの時は本気で潰せと思われていたのですか?」とお尋ねすると、浜口さんはニッコリ笑って、「真面目な奴に“潰せ!”と言ったら、本当に潰してくる。けど、オマエさんならもしかしたらなんとかするかもしれないと思ってね」とお答えになられました。

今回ハレックスの代表取締役社長を退任することが内定し、最初にご挨拶に伺ったのがその浜口さんのところで、その際にも「潰せと浜口さんから命じられた会社を15年間も存続させちゃいました。申し訳ありません」と笑ってお伝えしたところ、浜口さんはまたまたニッコリ笑って「俺が潰せと言ったからやりやすかったろう」っておっしゃられました。実際、お引き受けした時に私は「わかりました。今後ハレックスの経営に関しては相談には来ません!」と浜口さんに申し上げたのですが、その時のことを浜口さんはしっかりと覚えていてくださいました。とても嬉しかったです。「潰せ!」と命じられたのだから、結果として潰しても自分の責任にはならない。それならば潰す前のラストチャンスだ。自分の思うがままにやってやろうじゃないか!…と開き直れましたからね。これが「相談には来ません」という私の言葉に繋がります。もしもあの時に「なんとか経営を再建しろ!」と命じられた(お願いされた)のなら、ここまで思いきったことができたかどうか…今でも私には自信はまったくありません。そういう意味で、浜口友一さんは私という人間の使い方がとっても上手い方でした。NTTデータのような大会社のトップになられる方はこのくらいでないといけないな…と思いますし、とても私のような者にできる芸当ではありません。

このようにして当時47歳、NTTデータグループ最年少で代表取締役社長に就任したものの、ハレックス社の再建に向けては前途多難でした。何から手をつければいいのかさえ分からないような状況でした。15年前に当時グループ会社最年少の社長として就任したのに、気がつけばグループ会社最年長の社長の1人になってしまいました。社長在任15年はNTTデータグループ最長、NTTグループ全体でも第2位の長さです。今、代表取締役社長を退任するにあたりこの15年間を振り返ってみれば、一言で言えば『物語』とでも呼べるような波乱万丈の15年間だったように思えます。


2.非常勤社長時代の6年間(2003年度~2008年度)
15年前に私が代表取締役社長に就任した当時、弊社ハレックスには日本気象協会様から受託された電話の177システム(電話のお天気情報サービス。このシステムを開発した時のプロジェクトリーダーはNTTデータ時代の私でした)以外にこれといって核となるような事業の柱もなく、おまけに気象情報会社でありながら創業から10年が経過した時点においても気象予報認可を1つも気象庁から取得していないという状況に愕然としたほどでした。これでは気象情報会社として利益の源泉となる付加価値など付けようがありません。最近は「オープンデータ」という言葉が話題ですが、気象情報はそのオープンデータのフロントランナーとも言える情報で、1993年の気象業務法の制定により気象予報業務が民間に開放されて以降、予報に必要となる様々な気象情報が民間企業に提供されてきました。しかし、その情報を用いて独自の予報や情報の加工を行うには気象庁からの気象予報認可が必要になります。当時ハレックスでやっていた事業と言えば、気象庁の情報をそのまま音声やFAX画像に変換してお客様に提供するサービスや、第2の株主である日本気象協会様の気象プロダクトを再販することだけでした。これではハレックス社独自の付加価値というようなものを付けるにはあまりにも難しい状況でした。

そこで目を付けたのが、たまたま旧知の某社から持ち込まれたグルメサイトの運営の事業でした。最近では「ぐるナビ」などが有名ですが、当時はこうしたグルメサイトが幾つもネット上で立ち上がり始めた頃で、ハレックスが関係した「askU」も3大グルメサイトの1つに数えられるほどになり、少しは経営状況も改善の兆しを見せ始めました。しかし、このことは社内に大混乱をもたらし、多くの社員がハレックス社を辞めていくきっかけを作ることになりました。気象情報会社に入社してくる社員の皆さんは気象に関連した仕事がやりたくて入社してくるわけで、決してグルメサイトの運営をしたくて入社してくるわけではないので、当然と言えば当然のことです。多くの株主様からもご批判を受け、約1年後に「本業回帰宣言」を出し、このグルメサイトの運営事業を某ゲーム会社に事業売却して撤退しました。ただ、この事業売却による収益により、借入金を一掃できたのは本当に幸いなことでした。

「本業回帰宣言」を出して今後は気象事業に本腰を入れていこうと腹を据えたものの、予報認可も取得していないような会社でしたので、如何にして収益の柱となるような独自の事業を創り出していくのかが次に立ちはだかる大きな課題でした。私が社長に就任する以前の10年間もそれの答えが見つからず、業績が低迷し続けたわけですから。そこに助け舟を出していただいたのが日本気象協会のW理事長でした。当時、W理事長は日本気象協会の収益構造の抜本的改善に向けて、予報やメディア関連の現業部門の業務を協会外に請負に出そうと考えられていて、資本関係のあるハレックス社にその打診をして来られたのでした。これは嬉しかったです。それまでも人材派遣で何人か日本気象協会様には社員を送り込んでいたのですが、それを請負で業務まるごと出したいという話でしたから。もちろん二つ返事でお引き受けし、日本気象協会の本部(池袋)のメディア部門、九州支社(福岡)、東海支社(名古屋)、長野支局、池袋の航路業務…と次々と請負契約により業務の受託を受け、ハレックス社の名前で気象予報士を大量に採用してその業務にあたらせました。最盛期には100名を超える気象予報士を日本気象協会に送り出し、日本気象協会の現業業務の約7割はハレックス社の社員が行なっているという状況にまでなりました。テレビやラジオでも弊社の社員が30名以上も活躍してくれていたのはこの頃のことです。

この請負事業のおかげで業績は目覚ましく回復し、私が代表取締役社長に就任して3年目には悲願の単年度黒字を達成しました (それ以降、おかげさまで昨年度まで13期連続の黒字を続けさせていただいています)。当時の私はハレックス社の代表取締役社長と言っても非常勤の社長。本務はNTTデータの事業部長であり、その後もNTTデータ本社の営業企画部長でした。週に1回か2回程度しか会社に顔を出すことのできない兼務の非常勤社長としては、毎月のキャッシュフローが読めるこの請負事業は本当に嬉しかったですね。日本気象協会様には感謝感謝です。

しかしながら、請負事業といっても所詮は人の頭数に頼る事業。年々社員の給与は上げていかねばならず、元々が日本気象協会の収益構造の改善策として始めたことなので、請け負った側のハレックス社による抜本的な業務の再構築を図らない限り遅かれ早かれ業績は悪化の一途を辿ることは目に見えていたことでした。そこで請負事業で収益を上げている間に弊社独自の事業を順次立ち上げていき経営を安定させようということを計画しました。そのためには気象予報認可の取得は必須事項でした。

まずは2007年から本格的な事業開始が予定されていた緊急地震速報業務に着目し、気象庁によるプレ運用の段階から緊急地震速報の事業に関与。気象庁から受信した信号をもとに高度利用報と呼ばれる1kmメッシュでの緊急地震速報を受信後1秒以内にお客様端末に配信するサーバシステム『なまずきん』を開発して、2006年に地震情報に関する予報認可を取得しました。次に日本気象協会から請負で受託した航路業務を通して海象情報に関する予報認可を2008年に取得。そして日本気象協会に派遣する社員とは別にハレックス社独自の気象予報士も採用していき、同じく2008年にはそれまでの悲願だった気象情報の分野での予報認可を取得することができました。こうして陸海空3つの気象予報認可を取得できたことで、これでめでたくハレックスは総合気象情報会社を名乗ることができるようになりました。現在の濃青と緑色とスカイブルーの3色のストライプとHALEXのAの字が漢字の“人”という字…というCI(Corporate Identity)を実施したのは、この陸海空3つの気象予報認可を取得できたことを記念したものです。


3.2007年の覚醒
前述のように、弊社ハレックスは1993年の創業で、今年で創業25周年を迎えるのですが、本格的な気象情報会社として堂々と胸を張って「気象情報会社」を名乗ることができるようになったのは、この2008年に気象予報認可を取得できた以降のことで、1993年の気象予報業務の民間開放からなんと15年後のことで、気象情報会社としては後発組の1社と言えました。悲願であった気象予報認可を取得したと言っても後発組の気象情報会社であるハレックス社が先行している既存の気象情報会社と同じことをやっていったのでは、とても太刀打ちできるものではありません。加えて、気象情報の業界の市場規模は1993年の市場開放以来、今に至るまでずっと市場規模約300億円のまま変わらない小さな市場に過ぎず、同じようなことをやったのではすぐに価格競争の泥沼に陥るだけで、誰も幸せにすることができません。なので、約300億円で停滞したままの既存市場以外の市場を新たになんとか創り出せないか…の模索を始めました。そこには当時NTTデータ本社の営業企画部長を務めさせていただいていたことが大きく作用しました。

NTTデータ本社の営業企画部はNTTデータグループ全体の営業改革を進めていくために設置された部署でした。そこのトップを務めさせていただいていると、NTTデータグループのみならず多くのIT企業が直面する営業上の課題がよく見えてきました。一言で言うと「企画提案力の欠如」です。NTTデータに限らずSIer(システムインテグレータ)と呼ばれるほとんどのIT企業は、お客様の求める仕様に基づきコンピュータシステムの受託開発を行うのが主な仕事です。そして、そのコンピュータシステムで扱うのはお客様の社内のデータがほとんどです。なので、お客様の業務分析が営業の一番の仕事と言えるのですが、それだけではとても本来その業務のプロであるお客様を超えることはなかなかできるものではありません。それを打破するためにはお客様と違った視点でのお客様業務へのアプローチが必要となります。そこで目を付けたのがお客様が元々お持ちでないデータを活用した新たな企画提案力の創出でした。そのお客様が元々お持ちでないデータと言うのが気象データでした。私は「世の中の最底辺のインフラは“地形”と“気象”」ということを講演を頼まれるたびに最初に申し上げておりますが、これはこの時に気づいたことです。世の中のあらゆる業種業態のほとんどはなんらかの形で気象の影響を受けます。そしてその影響の受け方は業種業態ごと、さらには地形ごとに様々に異なります。例えば、災害一つとっても、同じ大雨でもあるところでは土砂災害を引き起こし、あるところでは河川氾濫、またあるところでは内水氾濫を引き起こす…と実に様々です。なので、お客様の課題はお客様の数だけあり、それぞれに課題解決のためのソリューションは異なる、さらに言うと似て非なるものになるという実に“あたりまえ”のことに改めて気づいたのです。そしてそれを突き詰めていくと、その延長として、将来的に気象情報があらゆる業務システムや制御システムの中で“変数”として扱われるようになれば、世の中の生産性は劇的に変わり、これまで出来そうで出来なかったことが実現できるのではないか…と考えたわけです。2007年のことでした。

この2007年はそれ以外にも私を新たなチャレンジへと掻き立てる様々な出来事が起こりました。ITの世界ではAppleがiPhoneを発売し、Googleがスマホ用のOSであるAndroidを発表しました。スマホの爆発的な普及にあわせてTwitterやFacebookといったSNSが台頭してきたのもこの2007年のことで、それまでASPやSaaSと呼ばれていた事業形態のことをクラウドコンピューティングと呼ぶようになったのも2007年のことです。今では大規模データ(ビッグデータ)の蓄積・分析を分散処理技術によって実現するオープンソースの代表的なミドルウェアであるHadoopの最初の実用版が発売されたのも2007年、IBMがAIエンジンであるWatsonの開発に着手したのも2007年のことです。気象の世界ではその前年の2006年に気象観測衛星ひまわり7号が打ち上げられ、またそのデータを処理するスーパーコンピュータが更新されたことで、数値予報モデルの改良と高速処理化が進み、GPV全球モデルは20km分解能で1日4回更新されることになり、MSM局地モデルは5kmメッシュ分解能で1日8回更新されるようになりました。これらは私の経営判断に極めて大きなインパクトを与えてくれました。これから10年で気象情報を取り巻く市場環境は間違いなく劇的に変わる。それに合わせて会社の事業の定義を書き換え、そうした時代に合ったサービスを提供できるようにしておくこと、これがこれからの民間気象情報会社のあるべき姿だという確信に近いものを感じました。

これからの民間気象情報会社のあるべき姿、それは単なる情報提供会社ではなく、ソリューション提供会社、そして高利益型の会社に脱皮するということでした。私はもともとデータそのものにはなんら価値はない…という考え方を持っていました。データは受け手がそれを使ってなんらかの判断や行動を起こして始めて価値を産むものだという考え方です。ましてや気象庁から配信されてくる気象情報(気象データ)はオープンデータ。気象庁は国民の税金で運営されている組織ですから、気象庁から配信されてくる情報に関しては既に国民はその対価を支払っているとも言えるわけで、気象庁から配信されてくる情報をただ単純に再配信したのでは対価の2重取りということになってしまいます。これは言葉は悪いですが一種の詐欺のようなもので、民間気象情報会社として絶対にやってはいけないことである…というのが私の考えでした。なので、気象庁から配信されてくる情報に対してお客様の判断や行動に資するようななんらかの付加価値を付けたうえで提供を行い、基本的にその付加価値に対してのみ対価をいただくこと…、これこそがこれからの民間気象情報会社のあるべき姿であると私は結論づけました。これは今も変わっていません。

また、気象情報の業界の市場規模は1993年の市場開放以来、今に至るまでずっと市場規模約300億円のまま変わらない小さな市場に過ぎなかったと書きましたが、それは業界のビジネスモデルが1993年の市場開放以来、ずっと変わっていないということを意味しています。気象庁さんが気象予報業務を民間に開放したのは、生産性向上用途をはじめ社会全体で気象情報の利用範囲はもっともっと大きく、その分野の市場開拓を民間の活力に委ねたからだということにも気づきました。市場規模が約300億円規模のまま変わらなかったということは、私達民間気象情報会社が市場開放の趣旨に反して市場拡大の努力を怠ってきた結果にほかならない…とも思いました。1993年の市場開放以前に先人達が築き上げてきた市場の中だけで、ずっと暮らしてきたわけです。これではいけません。このように、市場規模が約300億円規模で停滞している最大の要因は自分達自身にあると私は分析したわけです。市場開放をした際の想定市場規模はその10倍の約3,000億円。そこを目指さないといけません。そこで、今一度、1993年の市場開放の趣旨に立ち返り、誰かが民間気象情報会社のあるべき姿を追求する必要があると考えました。

そして今がその変革の絶好のチャンスだ、このタイミングを逃せば次はない…ということも同時に思いました。弊社が創業から10年間、業績が低迷して累積損失の山を築いていったのは、時代の変化、取り巻く市場環境の変化に追従できなかったからだと私は分析していました。NTTグループに属する会社であるにもかかわらず、インターネットの時代の到来にもモバイル通信の時代の到来にも乗り遅れてしまったことが業績が伸びなかった最大の要因であるという認識です。それならば、この次に間違いなくやって来るであろうこの大きな時代の変化、市場の変化こそ会社存続に向けての非常に大きな鍵であり、この変化は絶対に乗り遅れないばかりか、誰よりも一歩先を行ってみせるぞ!…という強い思いを抱いたのもこの時でした。

私は時々「いかん!、不幸にして気がついちゃったよ」という言い方をする時があるのですが、まさにこの時がその時でした。気がついた以上は自分が先頭に立ってやらないと気が済まない困った性分なので、1日も早くNTTデータを卒業させていただいて、専任社長としてハレックスの社員達のもとに行かねばならない…という思いでした。もとよりグループ全体の営業改革の旗振り役を務めるということは、場合によってはグループ全体を敵に回すことだってあるわけで、この営業企画部長の職を最後にNTTデータを卒業させていただこうと思っていたので、卒業することにいっさいの迷いはありませんでした。で、当時のNTTデータの山下徹社長に「NTTデータを卒業させていただいて、ハレックスの専任社長にしてほしい」と願い出たところ、「営業改革が志半ばだろう。あと1年やってほしい」と返されて、それから約1年半後の2009年6月に晴れてNTTデータを卒業させていただいて、ハレックスの専任社長の職に就いたわけです。私が次の職位を自ら願い出たのは、1978年の電電公社入社以来この時が初めてのことで、それだけ強い思いがありました。周囲の多くの方々から「本当にハレックスでいいのか?」って問われましたが、「ハレックスでいいんです。私が来るのをずっと待ってくれている社員達がそこにいるのだから、私が行かないといけないんです」…と何人もの方にお答えしました。私自身は規律のとれた艦隊行動が求められる戦艦や巡洋艦乗りではなくて、単独行動で成果が求められる潜水艦の艦長のほうが断然向いているタイプだと思っています。少ない人数の社員と一緒に、死なばもろとも…の覚悟で果敢に未知の戦場(市場)に乗り出していく。指揮官としては多分そういうタイプだと自己分析しています。なので、ハレックス社の代表取締役社長は最も自分に合った職位ではないか…とその時に思っていました。

くわえて、当時、このハレックス社の将来の可能性について具体的なイメージを持って気づいていたのは、おそらく世界中で唯一私1人だけだったのではないか…とも思っています。その将来の可能性とは、今流行りの言葉で言えば「データドリブン社会の到来」ということでしょうか。近年、「データドリブン経営」や「データドリブンマーケティング」など、「データドリブン」という言葉が多くの場で使われるようになりました。データドリブン(Data Driven)とは、売上データやマーケティングデータ、Web解析データなど、世の中に存在する膨大なディジタルデータに基づいて様々な判断やアクションをすることです。実際、IoT、人工知能(AI)、ビッグデータ等に関する技術の発展により、多様な産業界において、データを収集・分析する基盤が徐々に整いつつあります。10年近く前にそうした世の中が近い将来に間違いなくやって来るだろうと気づいたわけです。そうしたら、私はそのフロントランナーになってやろう。幸いハレックスは気象データという膨大な量のデータが入手可能なので、そのチャンスは必ずある! これは日本最大のIT企業であるNTTデータの営業改革の旗振り役を務めさせていただいたからこその気づきでした。それを気づいての卒業です。当時、NTTデータの送別会で、これだけ嬉しそうな顔をして晴れ晴れと卒業していく人をあまり見たことがない…とも言われたりしましたが、まさにそんな感じでしたね。自分自身で気づいたことを、自分自身の信念に基づいて、自分自身の手で実現するために卒業させていただいたわけですから。


4.メタモルフォーゼ第1章(2009年度~2011年度)
4.1 メタモルフォーゼ計画始動!
「経営とは、変転する市場や顧客のニーズを見定めて、事業の定義を書き換えること(すなわち、会社を作り変えること)である」…これは私の経営哲学のようなものです。私は15年間代表取締役社長として弊社ハレックスの経営に携わらせていただきましたが、崖っぷち会社の再建から始まるその経験の中で学んだ最大のことがこれで、今も常にこのことばかりを考えているようなところがあります。参考までに、私が行ったこの15年間のハレックス社の事業の定義の変遷を以下に示します。

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専任社長になってからは、2007年や2008年に気づいたこと、すなわち、気象情報があらゆる業務システムや制御システムの中で“変数”として扱われるようになることの実現に邁進してきました。この変革をもっと分かりやすい言葉で言うと、「ITを前面に押し出した気象情報会社の実現」ってことでした。これがNTTデータグループ、NTTグループに属する気象情報会社ならではの事業の形態であり、NTTデータグループ、NTTグループに属する気象情報会社だからこそハレックス社に求められる事業の形態であると確信を持って思っていました。

この実現に向けて、私が専任社長になってすぐの2009年6月に打ち出したのが『メタモルフォーゼ』(生物学で言うところの“変態”“変身”)と私が名付けた中期3ヶ年×3の9ヶ年の長期事業計画でした。『メタモルフォーゼ』には、姿形は大きく変われど、企業としての核となるDNAは変わらない…という意味も込めました。『メタモルフォーゼ』計画では、9年間を第1章(2009年度〜2011年度)、第2章(2012年度〜2014年度)、最終章(2015年度〜2017年度)の3つの3ヶ年計画に分け、まず第1章では仕組みの整備、第2章では人材の育成、最終章では成果の追求を主たるテーマとしました。

前述のように、『メタモルフォーゼ』とは生物学における変態・変身のこと。すなわち、キャベツの葉っぱに必死にしがみついてキャベツばかりを食べていた青虫が、そこで食べた栄養を糧にいったん蛹(サナギ)に姿を変え、蛹の殻の中で淡々と次なる成長のための準備を行い、最後は羽化して蝶に姿を変え、大空に羽ばたいていくということです。この間で姿形はまったく変わり、大きくもなりますが、変わらないものが1つだけあって、それがDNA。会社経営でいうと、会社設立の時に定めた設立趣旨、企業理念がこれに当てはまります。この設立趣旨や企業理念に賛同していただいて株主の皆さんは資本金を出資していただいているわけですから、これだけは絶対に変えてはならないことだと私は思っています(それを逸脱することをやる時は、別の会社を立ち上げないといけません)。で、それ以外に関しては基本的に全て変えていいのです。世の中の現在あるサービスや製品は、概ね10年前のシーズとニーズで形成されたようなもので、現在のシーズとニーズで実現しようとすると、同じ目的を果たすものであっても全く別の形のサービスや製品になると私は思っています。これが“イノベーション”といわれるものの本質ではないか…と、私は思っています。変えてはいけないものを見定めて、それ以外はドンドン捨てて、時代に合わせて姿を変えていけばいいのです。それを先導するのが経営者の主たる役割というわけです。

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私がこの『メタモルフォーゼ計画』を立案して、私の師匠であるとも言える浜口友一さんにご説明したところ、浜口さんから「越智君、『ニーバーの祈り』って知ってるか?」という言葉が返ってきました。私が「知りません」と答えると、浜口さんはその全文を諳んじて語ってくれました。この『ニーバーの祈り(Serenity Prayer)」とはアメリカの神学者ラインホルド・ニーバーが作者であるとされる祈りの言葉です。その全文は以下のとおりです。

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「越智君、これってイノベーションの本質を突いている素晴らしい言葉だと思わないか。一番重要なのは一番最後の“変えていいものと変えてはいけないものを見分けられる賢明さ”という部分。ここが一番重要な部分だ。今、イノベーションとやら変革とやらの言葉が流行っているけど、なんでも変えればいいというものではない。変えてはいけないものを見極めれば、あとはなんでも時代に合わせて変えていけばいい。それを見極める目がないから、なかなかイノベーションが進まないのだ…と私は思っている」

このお言葉をお聞きして、私はなるほどぉ〜と思うと同時に、力強い手で背中をドン!と押してもらった気がしました。さすがは師匠です。“変えてはいけないもの”、それは私が『メタモルフォーゼ計画』の中で会社のDNAと呼んでいるものそのものです。その部分は私なりに見極めた気になっているので、あとは自分が信じたことをやるしかない! だって、「儲ける」とは“信じる者”と書きます。“信じる者”だけが儲かるのです。自分がこうだ!…と信じたことを1mmもブレずにやるだけのことでした。


4.2  HalexDream!の誕生
まず第1章(2009年度〜2011年度)で取り組んだ仕組みの整備では、今後の事業の核となるコンピュータシステムの構築が大きなテーマでした。これまでも弊社では気象庁から発表される各種データを気象支援センター経由で入手していたのですが、その情報のほとんどはおよそ使われないまま捨てられてしまっているのが悲しい現状でした。この“宝の山”をなんとか活かすことができないものか…、そして、気象情報会社の業務を単なる情報提供から脱却してソリューション提供事業に昇華させることができないものか…と考えて、その基盤となるコンピュータシステムの整備に取り組んだわけです。私が目指している世界を社員達にも解かってもらうには、目に見える形のもの(商品)が必要で、これは社長の私が自ら先頭に立って創り出さねばならないと思い、しばらく離れていた(社長兼任の)現場SEに戻りました。

私が“宝の山”と呼んだ気象庁から配信される気象データの数々。これは現在一般に「ビッグデータ」と呼ばれる膨大なデータ(1日約50Gバイト)で、しかも1日に約5万電文も次から次に送られてくるので、オンラインリアルタイム処理が求められるものでした。このオンラインリアルタイム・ビッグデータ処理を高速に、しかもスーパーコンピュータのような高価なコンピュータはハレックスのような中小企業では使えないので、通常のサーバー用コンピュータでどうやって実現するのか…、これが実に大きな課題でした。現在、世の中では幾多のビッグデータプロジェクトが動いていますが、よくよく見ると、その多くはビッグデータをバッチ処理(オフラインによる一括処理)して、それを検索できるようにしただけのもの。このやり方だと1日約5万電文という時々刻々変化する気象情報を処理することはできません。私は開発の最初からオンラインリアルタイム処理を前提にしたコンピュータシステムの開発に着手しました。(当時はビッグデータという言葉もなく、処理するデータの大きさよりも、むしろオンラインリアルタイム処理の実現のほうに重きを置いていました。)

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この時に役に立ったのが最新技術と呼ばれる技術ではなく、昔の、それこそ私が電電公社に入社した40年近く前の技術でした。当時は大型コンピュータと言ってもメモリの容量は512kバイト。それで銀行のオンラインシステムを開発していたわけです。その技術を現在の32Gバイトもメモリ容量があるサーバー機に応用すれば、1日約50Gバイトのデータなんてどうってことなく処理できる筈だ…との思いから、メモリ管理を含むオペレーティングシステム(OS)と呼ばれる基本ソフトから全て手作りしました。なので、弊社のコンピュータシステムはいっさいのミドルウェアを使用しておりません。「オッサンSEをなめんなよ!」って思いでしたね。若いSEの皆さんでは、申し訳ありませんが、ごくごく普通のサーバー機でここまでの高速処理の実現はなかなかできるものではないと思っています。

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アプリケーションプログラム(AP)に関しても気象情報会社ならではのこだわりを出しました。気象庁から送られて来る「数値予報データ」だけでなく、「気象予報ガイダンスデータ」、さらにはアメダスやレーダー・ナウキャストデータと言った「実測データ」を組み合わせた弊社独自の標高補正、実測補正付きの1kmメッシュ気象情報を生み出しました。これも基盤となるコンピュータシステムの作りが良く、その類い稀な高速処理能力が可能にしたものです。また、処理のロジックは現場の気象予報士の知恵と、弊社にアドバイザーとして来ていただいている経験豊富な気象庁のOBさんの知恵を反映したものにしました。その意味では広義のAIシステムと呼ばれるシステムではないか…と、開発を主導した私自身は思っています。これが「ハレックスの夢」、すなわち『HalexDream!』と呼ばれるシステム(サービス)で、上記のようなことから私のこれまでのSE人生の集大成とも呼べる自信作です。幸いなことに、この『HalexDream!』は特許庁からその新奇性や独創性が認められて、出願から5年後の昨年6月30日にめでたくビジネスモデル特許を取得することができました。特許出願から6年も経過しましたが、『HalexDream!』はその後もシステム部の社員達の手によって進化を続けていて、予測精度の改善や提供情報の充実等が順次図られるとともに、この技術をベースに過去データの提供といった新しいサービスも次々と生まれ、世の中の様々な分野で活躍してくれています。今も弊社サービスのベース(コア技術)となっている中核システムのコンセプトを取りまとめた初期の開発者としては、そのコンセプトが広く世の中で認められているように感じ、本当に嬉しい限りです。


4.3 航路ナビゲーションシステムVMS(Voyage Management System)
とは言え、最初から『HalexDream!』の開発に着手したわけではありません。最初に手掛けたのは航路ナビゲーション業務向けの支援システムVMS(Voyage Management System)でした。前述のように弊社は日本気象協会様から外洋航海船舶向けに気象予測を踏まえて推奨航路を提供する航路ナビゲーション業務(WRS:Weather Routing Service)を請負契約で受託していたのですが、その航路ナビゲーション業務の効率化を図るために開発したのがVMS(Voyage Management System)でした。最初にこの業務に着目したのは、航路ナビゲーション業務(WRS:Weather Routing Service)が当時弊社が関わっていたすべての業務の中で、唯一のソリューション提供事業だったからです。お客様に提供するのは単に海洋気象の予報の情報ではなく、あくまでも気象予測を踏まえて気象予報士達が導き出した推奨航路。すなわちソリューションだったからです。この航路ナビゲーション業務の効率化を目的とするVMS(Voyage Management System)の開発を通して、これから展開しようと考えているソリューション事業のヒントや足掛かりを得ようと考えたわけです。結果としてこれは大正解でした。VMSでは航路シミュレーションが大きな意味を持ちます。この航路シミュレーションでは海流、波の高さ・方向、風の強さ・方向から出航後1時間毎の船舶の位置を計算し、その船舶に許容される波の高さや風の強さを考慮し、危険海域を回避しながら到着港までの安心安全で経済的な(燃料消費量の少ない)航路を導き出し、あわせて到着予想時間や予想消費燃料を提供することが求められます。このためにはシミュレーションに必要となる気象データへの高速アクセスが求められます。このVMSの開発を通して幾多の試行錯誤の末に編み出した気象データの持たせ方やシミュレーションサーバーとの間のデータのやり取りの方法が、その後の『HalexDream!』の開発においても大いに参考になりました。はっきり言うと、VMSで実現したデータサーバとシミュレーションサーバーとの間のデータのやり取りの方法が基本となり、より汎用的なものに形を変えてAPI(Application Programming Interface)化したものです。

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VMS の開発にあたっては、まず2週間ほど毎日続けて日本気象協会様(池袋)のところで業務を行っていた弊社の航路チームのもとに出掛けては、作業をしている彼等の後ろに背後霊のように立って、航路の業務をつぶさに観察しました。そこで得たことはかなり多かったですね。それと彼等が使用している業務支援システムがこのままじゃあダメだ…ということにも気づきました。それまでの既存のシステムも日本気象協会様から外洋航海船舶向けに航路のナビゲーション業務を請け負った以降に弊社で開発したシステムだったのですが、それまで兼務の非常勤社長だったために私が深く関与せずに開発したこともあり、あまりにも完成度が低く、1本の航路(ルート)のシミュレーションをするのにも10分以上も時間がかかるようなシステムでした。目的地までの推奨ルートを探索するには複数のルートによるシミュレーションを行い、それぞれのシミュレーション結果を比較検討する必要があります。開発を委託した会社が航空会社(某大手エアライン)の運航管理システムを長く手掛けてきたソフト開発会社だったこともあり、シミュレーションのアプリケーションプログラム(AP)自体は船舶のタイプや船形、積荷の有無、波や風、海流の影響を受けてどう速度が変わるかも計算したそれなりに素晴らしいものではあったのですが、問題は処理能力。1本の航路(ルート)シミュレーションにこれほどまでの時間がかかるのであれば、これは使い物になりません。しかもシミュレーションにコンピュータの負荷がかかり過ぎているので、同時に複数の航路(ルート)のシミュレーションができない。作業担当者は前にシミュレーションを走らせている処理が終わらないと、自分がやりたいシミュレーション処理ができないような状態。おまけに気象庁から新しい気象データが届くたびに、シミュレーション処理を停止し、新しいデータを再ロードするための処理を走らさないといけない。これに15分ほどの時間がかかってしまう。その開発を委託した会社や弊社のシステム担当者の話を聞くと、現在のサーバー機の処理能力では、これが限界ということでした。それって本当なのか? 今から10年前のコンピュータ(サーバー機)と言っても、コンピュータの処理能力は結構速いものがありました。そこで、CPU使用率やメモリの使用率を調べてみると、コンピュータがパンパンの状態で動いているとはとても言えない状態。CPU使用率がほぼ0%の時間だってあったくらいでした。私のこれまでのシステム開発の経験からすると、それってサーバー機の処理能力の問題ではなくて、システムそのものの作り方の問題と言えました。なので、システムの根本的な部分からの作り直しが必要でした。

根本的な問題はそれまでの単純な気象情報の提供サービス用のコンピュータシステムをベースにして開発したことでした。開発を委託したソフト開発会社はこれまでも弊社のシステムの開発を委託してきて、気象情報システムの開発にも実績がある会社だったのですが、それゆえの問題が露見したってことでした。主として単純に気象情報の提供だけを目的とした気象情報システムと、気象情報をベースにソリューション提供までをも目指したシステムとでは根本的なシステムの開発思想が異なるってことをこの時によぉ〜く理解できました。私は『メタモルフォーゼ第1章』で、まずソリューション提供サービスの基幹となるコンピュータシステムを開発したかったので、この航路業務の支援システムのすぐに作り直すことを即決しました。ソリューション提供サービスの基幹となるコンピュータシステムを開発するための格好の研究題材でしたからね (ソリューション提供型サービスを実現するには、この航路のシステムのシミュレーションと同様に、気象データに基づいた処理が必要になりますから)。

こういう場合の基本としては、まずは問題点をすべて洗い出し、その解決に向けての方策を列記し、それに基づいて1から作り直すこと。その基本に忠実にこの問題に取り組みました。根本的な問題の根っこはすぐに分かりました。それなりに素晴らしいシミュレーションAPに比べ、その足回りとなるシステムの基盤があまりにも脆弱(?)なこと。そのシステムの基盤は市販のITの世界では有名どころのミドルウェアパッケージの組み合わせで構成されていました。開発は楽ですが、これでは処理性能はそのミドルウェアパッケージに依存してしまいます。例えば、1本の航路(ルート)シミュレーションに時間がかかるのは気象データの格納、検索に有名な某データベースツールを使っているからでした。大量のデータを使ってシミュレーションをするのにこれだけたくさんのSQLを出していたのではそれだけで遅くなってしまいます。1本の航路(ルート)のシミュレーションに10分以上もの時間がかかるのも当然と言えました。いやむしろ、よくもまぁ10分程度にまで短縮できたものだ…とさえ思いました。これはそのデータベースツールの限界と言えました。そのほかの問題もたいていは使用しているミドルウェアパッケージが主たる原因でした。こうした市販のミドルウェアパッケージは、1つ1つのサイズが小さいデータを取り扱う圧倒的大多数のコンピュータシステム向けに開発されたもので、気象データのように大きなサイズのデータを取り扱うにはそもそも不向きなものであることが分かりました。

ここで私が下した決断は、いっさいの市販のミドルウェアパッケージの使用をやめること。例えば、市販のデータベースツールの使用をやめ、気象データに適した(特化した)独自のファイル管理システムを1から開発するという大胆な道を選んだわけです。独自のファイル管理システムを1から開発すると言っても、気象データに特化した機能だけを作ればいいので、やってやれないことはない…と判断しました。失敗しても既存のシステムはそれなりに動いているので請け負っている業務にすぐに支障が出ることはないわけですし、成功したら必ずや明るい未来が開ける…。だとしたら、答えは1つで、迷うことはありませんでした。

「必要なものがなかったら自分で作る」…これは私がNTTデータの開発現場でSEをやっていた頃からのモットーです。

結果、それまで1本の航路(ルート)シミュレーションに10分以上の時間がかかっていたのが、ほんの数秒まで縮まり、さらにチューンナップすることで、北太平洋横断航路でも2〜3秒まで短縮することができました。もちろん、複数の作業者が同時に航路シミュレーションを行うことも可能にしましたし、気象庁から新しいデータを受信したら、処理をいったん停止させることもなく、すぐにデータを新しいものに置き換えることも実現しました。こうなるとこれまでやりたくてもできなかった機能を次々と実装できるようになり、VMSは目覚ましく改善されました。

このVMS以降、弊社ハレックスのサービスの基盤システムにおいてはコンピュータの基盤OS(オペレーティングシステム)としてRed Hat Linuxのコア部分を使用しているだけで、メモリ管理やデータ管理を含めて、いっさいの市販のミドルウェアパッケージを使用しておらず、そうした処理はすべて独自に気象データ向けに特化して開発した独自の機能で実現しています。それもスーパーコンピュータや並列処理コンピュータといった高性能で高価なコンピュータを使うのではなく、クラウドサービスで提供しているバーチャルサーバー上で。なので、同種のサービスなら他のどこよりも安価に、しかも高性能に提供することを可能にしました。

また、このVMSの開発を通して1人の中国人SEのB君の存在を知ったのが極めて大きかったです。当時彼は既存の航路ナビゲーション業務向けの支援システムの開発を委託したIT企業の下請けの下請け、すなわち“孫請け”の企業のプログラマの1人でした。私は1978年に電電公社に入社以来40年間もITの世界に従事してきましたが、彼はその私の40年間の歴史の中で出会ったSEの中でも3本の指に入るくらいの優れた才能の持ち主でした。彼の隠れた才能を見抜いた私の眼力には今でも自分自身で感心しているくらいです。その後私はそのB君を引き抜き、彼と二人三脚で『HalexDream!』をはじめとした弊社の事業の核となるコアシステムを次々と生み出していきました。B君にも感謝感謝です。私が出す無理難題にちゃんと答えを見つけ出し、それを実現してくれました。ホント必要な時に“光の国”から突然私の前に現れてくれたウルトラマン…って感じでした。

知り合った当時は日本に来て日も浅かったので日本語もまだたどたどしく、若いプログラマの1人に過ぎなかった彼でしたが、私は彼のことを「SEとしての最後の弟子」と呼んで、実際のシステム開発を通して私が持っているすべてを彼に教えて込んでいきました。あくまでも私(弊社)が必要としているSEの理想像に基づいて教え込んでいったので、一般的なSE像からすると特殊なSE像です。他社で通用するかどうかはよく分かりませんが、少なくとも弊社サービスの基幹システムのコア部分の開発を委ねるSEとしての理想像に基づいて彼を指導していったつもりです。彼の才能と吸収力は私が見立てた以上のものがあり、急速に驚くべき成長を遂げ、瞬く間に師匠である私を追い抜いていきました。彼は非常に勉強熱心で新しい技術へのチャレンジ精神も旺盛、おまけに人柄もいいので、まさに私好み。私が何を求めているのかが分かってくれているので、私が多くを語らなくても私が求めているものを次々と実現していってくれました。今ではハレックス社になくてはならない最重要な戦力になっています。最近では「私と社長(私のこと)とがガッチリとタッグを組めば、たいていのシステムは実現できちゃうよね」…って言ってくれていて、私もまったく同じことを思っています。私にとっては本来システム開発会社ではないハレックス社において、思いがけず生涯最高のシステム開発のパートナーを得ることができました。ここにもこれまでのSEとしての経験が大いに活きました。いずれ彼とは再びガッチリとタッグを組んで、(気象情報会社の枠を超えて)世の中をアッと驚かすようななにか新しい仕組みを世の送り出したいな…と秘かに妄想しています。その腹案は漠然とではありますが既に私の中には持っています。いつかそれに着手できる日が来るのを楽しみにしています。

それと、そのVMS(Voyage Management System)の開発の際、分散型のクラウドサービスの実現を目指してHTML5(Hyper Text Markup Language Version5)をクライアント(端末)側のアプリケーションプログラムの記述言語として採用した英断も、その後に向けて大きかったと思っています。HTML5はWebサイトを構築する場合の記述言語で、動画・音声の使用やグラフィック(画像)の描画がこれまでのHTML4等と比べ極めて容易になったことから、現在では広く使われるようになっていますが、私がこの採用に踏み切った2008年の時点においてはまだ標準化に向けての勧告のドラフト(草案)が発表されたばかりの頃で、HTMLと関連技術の開発をするためのコミュニティであるWeb Hypertext Application Technology Working Groupから正式に標準化に向けた勧告が出されたのは2014年10月のことです。 また、このHTML5が発表された当時はHTML5に対応していないブラウザ(Internet Explorer 8)を使用していたユーザーがまだまだ多かったため、このHTML5でWebサイトを構築するケースは多くありませんでした。しかしながら、最近では最新版のIE11を除く旧バージョンの(HTML5に対応していない)IEが次々にサポート終了になったことや、当初からHTML5対応だったGoogleChromeを使用するユーザーも徐々に増えてきたことによって、Webサイトを構築する際にHTML5を用いるケースが増えてきました。このHTML5をまだ海のものとも山のものとも分かっていない2009年の段階で会社の基幹システムの構築に採用するということは、本当に勇気のいることで、大英断と言っても過言ではありませんでした。この大英断の背景には、グラフィックの描画機能を全てクライアント(端末)側に持たせる分散型のクラウドシステムを構築することによって、なんとか開発に対する負荷と通信の負荷を軽減させ、スマホやタブレット端末からでもサクサク使えるようにしたいという狙いがありました。今、スマホやタブレットの爆発的な普及を見る時、この時の大英断は間違いじゃあなかった、いや、むしろ大正解だったと思っています。

で、『HalexDream!』はVMS開発も終盤に差し掛かったある時に、当時航路チームのリーダーを務めてくれていたI社員の何気ないほんの一言で生まれたようなものです。私が「ここまで作ってきたけど、あとどんな機能が必要かい?」って聞いたところ、I社員から返ってきたのは「任意の地点をマウスでクリックしたら、その地点の1週間先までの波の状態や風の状態が“串刺し”で分かる機能があればいいんですけど…」。それには私とB君が顔を見合わせて「そんなの (航路シミュレーションに比べると) 簡単だ」。このI社員の何気ない一言で生まれたのが現在弊社サービスの中核技術となっている『HalexDream!』でした。当時はFSP(Free Select Point)サービスと呼んでいて、任意の地点の気象データをI社員の言うところの“串刺し”で検索できる機能が鍵を握っていました。これはVMSの内部処理で既に実現していた機能でした。やはり、ユーザー目線でないと分からないことって多いんだな…って、その時に改めて思ったものです。


4.4 アラート機能の実現…NHK-GM様「NHKニュース&スポーツ」
現在の弊社ハレックスのサービスを眺めた時、もう1つ忘れてはならないシステムがあります。それがNHKグローバルメディアサービス様の携帯サイト「NHKニュース&スポーツ」の気象情報サイト向けに開発した「雨降りメールサービス」です。あらかじめ登録しておいた場所で何時何分頃から雨が降りだすということをメール等で知らせるサービスは今では幾つか見られますが、そのサービスをどこよりも早く一番最初に実現したのがこの「NHKニュース&スポーツ」の「雨降りメールサービス」でした。これも2009年のことです。利用者に判断や行動を促すための「アラート」を発出するという機能を始めて実装したのがこのサービスで、これもその後の弊社サービスの基本となっています。前述のように、私はもともとデータそのものにはなんら価値はない…という考え方を持っていました。データは受け手がそれを使ってなんらかの判断や行動を起こして始めて価値を産むものだという考え方です。そのデータの受け手になんらかの判断や行動を起こさせるトリガー(きっかけ)を与えるものとして、この先、予め設定したなんらかの条件を満たしそうな状況になることが判明した段階でPUSH型で判断や行動を促す情報を配信する「アラート機能」の実装はこれからの気象情報サービスにおいては必須のものだと位置付けていました。これを2009年の時点で実現したこと、これは極めて大きかったですね。

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このNHKグローバルメディアサービス様の「NHKニュース&スポーツ」のお天気コーナー向け気象情報提供は一般競争入札において他社の応札がなかったため、唯一入札に参加した弊社が受注したものです。他社が応札しなかったのは、NHKグローバルメディアサービス様が要求した仕様が当時はあまりに技術的に難しかったこと。その仕様に弊社ハレックスは果敢にもトライしたわけです。その仕様は当初の見立て通りあまりにも技術的レベルが高く、最初は失敗しました。処理の時間がかかりすぎて、気象庁から提供されてくる降水ナウキャスト情報の更新頻度の時間内に1つの処理が終わらなかったのです。それもこの仕組みが航路ナビゲーションの支援システムであるVMSの時と同様、“バケツリレー方式”と呼ばれる旧来の気象情報サービス向けシステムの処理方式を採用していたからでした。最初開発に失敗したシステムは、NHKグローバルメディアサービス様には大変なご迷惑をおかけしたものの、大急ぎで作り直し、NHKニュース&スポーツのサービス開始から3週間後に運用を開始することができました。その作り直しの参考にしたのが弊社の緊急地震速報サービス「なまずきん」の処理方式でした。「なまずきん」は緊急地震速報(高度利用者向け地震動予報)を気象庁が発信してから1秒以内にご契約したお客様にご提供しなければその月の情報料をお返しすることをお約束するといったSLA(Service Level Agreement)を一番の売り物としたサービスでした。そのサービスを可能としたのが高速処理の仕組み。その方式を流用して作り直したわけです。余談ですが、この「なまずきん」のSLAはその後、気象庁の緊急地震速報のガイドラインとなりました。

ピンチはチャンスの最大の源です。この僅か3週間で失敗を克服してあまりにも技術的ハードルが高かったお客様から出された仕様を満足させたことでNHKグローバルメディアサービス様の信頼を得ることができ、ご一緒に力を合わせて日本一のニュースサイト、スポーツ情報サイト、お天気情報サイトを目指していくことになりました。そうそう、私が本業回帰宣言を出した際、私はハレックス社に「私が社長をしている間はBtoCビジネスを禁じる」という宣言も出しました。自社がBtoCビジネスを直接やっていたのでは、ウチから提供する情報をもとにしてBtoBtoCビジネスを目論むお客様に最高のご提案はできない。会社は“お客様”の敵(競合相手)になっては絶対にいけない。お客様と一緒になって世の中に新しい価値をご提供すること、これがハレックスのビジネスの基本だ!…と。現在、「NHKニュース&スポーツ」は日本最大の(ということは、おそらく世界最大の)ユーザー数を誇る有料ニュースサイトになっています。

その後、このNHKグローバルメディアサービス様の「NHKニュース&スポーツ」以外にもボクシーズ様、マピオン様、ディズニーモバイル様、JR東日本様の公式スマートフォンアプリ「JR東日本アプリ」…と次々に『HalexDream!』をはじめとした弊社サービスをご利用いただきそれぞれの会社様の特長を活かしたサービスの実現のお手伝いをさせていただいています。


4.5 京急電鉄様向け土砂災害警戒情報システム『防災さきもりRailweys』
この「NHKニュース&スポーツ」の「雨降りメールサービス」で実用化したアラートの仕組みと「HalexDream!』の組み合わせにより生まれたのが京急電鉄様向けに開発した土砂災害警戒情報システム『防災さきもりRailweys』です。このように弊社のその後にご提供してきた各種サービスはこの『メタモルフォーゼ第1章』の期間に開発した各種技術の組み合わせが基本となっています。

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この京急電鉄様向けの土砂災害警戒情報システム『防災さきもりRailweys』は、2012年9月24日午後11時58分頃、京浜急行電鉄の追浜駅〜京急田浦駅間(横須賀市)で短時間に局地的な激しい雨が集中して降ったことで線路脇の斜面が崩れ、走行中の下り特急(8両編成、乗客約700人)が乗り上げて脱線した事故を契機に導入していただいたものです。この事故で前3両が脱線し、乗客と運転士55人が負傷。運転再開まで55時間かかり、63万人に影響を出しました。お付き合いして感じることですが、京浜急行電鉄様は土砂災害警戒区域が全国の都市で3番目に多い横浜市内を走行しているということで、安心安全運行ということに対してはなによりも優先されて取り組んでおられる素晴らしい会社さんです。この事故が起きる前にも全線の斜面を点検し、モルタルの吹き付けや格子状のコンクリートでがっちりと固めるなどの措置、さらには金網の設置など主にハード面での防護対策が重点的に行われておりました。雨量計も沿線の10箇所に設置。常時その雨量計の雨量を監視し、連続雨量が警戒レベルに達すると速度を落としたり、運行を取りやめたり…という適切な措置をとっておられました。それでもこの事故は起きました。この事故が発生したのはこのところ話題になることがある線状降水帯がこの事故現場付近にかかったからでした。その事故現場付近だけに猛烈な雨が降り、雨量計を設置していたところでは警戒レベルを超えるような雨は降っていなかったわけです。しかも前日にも同様の激しい雨が降り、地中に染み込んだ水分が危険レベルを超えたのです。

この事態を重く見た京浜急行電鉄電気部のM部長(現常務取締役)は確か事故発生の翌日に私に電話をかけてきていただきました。M部長とは私がNTTデータの担当部長時代に手掛けた京急上大岡駅の旅客案内表示システムでご一緒させていただいた旧知の方でした。電話の内容は、「さっき、国交省に事故原因の説明に伺ったのだけれど、今の点(雨量計)だけの観測ではこのような事故は防ぎようがない。国交省は現在Xバンドレーダーの導入を進めているそうで、このレーダーの情報を使ってこのような事態の発生を未然に察知する仕組みって考えられませんか」…ってことでした。それに対しての私の答えは「その仕組み、弊社では既にありますよ。今、ちょうど実証実験をしているところです」でした。

当時、毎年のように繰り返される土砂災害や河川氾濫といった大雨による自然災害の軽減を目的に、気象庁から降雨レーダーの情報をもとにして提供される降水ナウキャスト情報を活用して、その地点その地点ごとに迫りくる自然災害リスクを数値化して自動監視し、そのリスク評価値が予め定めた具体的な行動に結びつく警戒値を超えそうだということが判った時点でメール等のPUSHの手段でアラート情報として知らせるという仕組みを独自に作り上げ、実証実験を行っている途中でした。例えば、同じ雨でも地形や土壌、都市開発の状況等によって自然災害発生リスクは様々に異なります。弊社は『メタモルフォーゼ第1章』の期間に開発した各種技術の組み合わせにより、この技術を既に作り上げていました。

それを聞いたM部長は「それを見せてよ」とおっしゃられたので、すぐにデモ機材(クラウドサービスなのでノートPCとモバイルルーターだけですが)を持って泉岳寺にある京浜急行電鉄様の本社に向かいました。事故発生から2日後のことで、まだ京浜急行電鉄は全線での運転は再開されておらず、運転再開に向けての作業やお客様対応のためか社内にいる人の数もまばら。残っている人はいる人で走って移動しているような状態で、ピーンと張り詰めた緊迫感が社内に漂っていました。そういう状況の中で弊社で実証実験中のシステムのデモをご覧になったM部長は「なんだ、あるじゃん。これだよ、これ! やっぱり困った時は越智さんに相談してみるものだね」とおっしゃっていただき、その場で導入を即決していただきました。こちらも実際の現場で使っていただけるので、有効性に関するこれ以上の実証実験の場はありません。嬉しかったですね。「で、いつ導入できる?」とM部長。私が「う~ん、京浜急行様用にカスタマイズしないといけないから最低でも2週間はいただきたい」とお答えすると、「遅い! 今の状況だと明日にでも運転再開になると思うから、一部の機能だけでもその時までには使えるようにして欲しい」とのことでした。京浜急行様としては運転を再開しても、具体的で有効な再発防止策が採られていないとお客様に安心してご乗車いただけない…、そういう風に理解しました。その時の周囲の雰囲気からすると、「分かりました。1週間後までに最低限の部分は使えるようにします」とお答えするしかありませんでした。

その後は京急様仕様の画面デザインや機能の実装スケジュール等を運転再開に向けて奮闘されておられる京浜急行電鉄の社員のお手を煩わせないように弊社主導で検討(1日も早い導入が求めれれていましたから)。運転再開に向け不眠不休で頑張っておられる京浜急行電鉄の社員の皆さんに負けてはならじ…と私達もその日から泊まり込みの徹夜作業でカスタマイズ作業に取り組みました。運用試験を経て、最初のバージョン(地図画面上に京浜急行電鉄様の路線図を描き、マウスをクリックすることで、すなわち手動でその地点の1時間雨量や24時間累積雨量が見れるようにしたバージョン)はそれから4日後(事故発生の6日後、運転再開の3日後)に納入。その3ヶ月後には自動監視サーバーを導入して、沿線80kmを1km間隔で自動監視し、雨量がその区間ごとに予め定めた警戒値を超えそうになったらアラートを発出して運用者に知らせる機能を実装。さらにその3ヶ月後には気象庁が提供する土壌雨量指数情報を活用し、地中に染み込んだ水分の推定値から土砂災害の危険度を6時間先まで可視化する「土砂災害警戒システム」を実装。一応の完成を見ました。

この京急電鉄様向けの土砂災害警戒情報システム『防災さきもりRailweys』が、その後、思わぬ展開を見せます。事故発生後半年後の監査に入った国交省に同行した気象庁の職員さんが弊社が京浜急行電鉄様に納品したこのサービスをご覧になり、戻ってそれを気象庁長官に報告したのです。その報告を聞いた長官(現・気象支援センター理事長)は私を気象庁に呼びました。予報部長や観測部長、総務部長といった気象庁幹部が居並ぶ前で長官は私に、「この情報はいったい何を使っているのですか?」と問われました。「もちろん、気象庁様の情報ですよ。基本は降水ナウキャストの情報と土壌雨量指数です」。すると、長官は「えっ! 気象庁の情報を使って自動監視の仕組みを作るとは想像もしていなかった」とおっしゃられ、処理の方法について、いろいろと聞かれました。そして、その最後に、「越智社長、お願いがあるんだけれど。今度、気象庁の職員を前に、このサービスのことも含めて講演してもらえないだろうか」と講演の依頼までいただきました。これには本当にビックリしました。気象庁長官から直々の呼び出しを受けたので、「これは気象業務法に違反するような拙いことをやってしまったかな?」と内心ビクビクしながら気象庁にむかったのですが、結果は「気象庁で講演をやって欲しい」だったわけですから。

それから約2ヶ月後に気象庁の大講堂で気象庁本省の職員さん約150名ほどを前に講演をさせていただきました。その様子は庁内の回線を使って全国の管区気象台にも中継されました。一民間気象情報会社の社長が監督官庁である気象庁の講堂で、こんなに大勢の気象庁の職員さんの前で講演するのは前代未聞のことだったらしいです。気象庁長官は最前列の真ん中で、食い入るような真剣な目で私の話を聴いていただきました。その場ではその約2ヶ月前に長官から呼び出しをいただいた際に、気象業務法違反を問われた時の返答として考えていた答えも述べさせていただきました。「京浜急行の電車は気象庁さんが大雨情報を出しても停まりません。京浜急行の電車は、予め京浜急行電鉄様が設定された警戒値を雨量が超えそうになった時にはじめて停まるんです!」。その講演を契機に、気象庁様の弊社ハレックスを見る目が明らかに変わったように思います。もしかすると私のやろうとしていることの最大の理解者は気象庁様だったのかもしれません。そして、それが後述する気象ビジネス推進コンソーシアム(WXBC)の設立に繋がっていったのではないか…と私としては思っています。

この京急電鉄様向けの土砂災害警戒情報システム『防災さきもりRailweys』は、2015年の鉄道記念日(10月14日)に京浜急行電鉄様が「高度な安定輸送の実現」ということで第14回日本鉄道賞の特別賞を受賞された際の1つの大きな要素になったというお話をお聞きしました。京急電鉄様向けの土砂災害警戒情報システム『防災さきもりRailweys』はその後も運行に支障が出るほどの強風の予報、雷の予報といった追加機能の実装が順次行われ、毎年のように進化を続けていっています。来月(7月)に運用を開始する最新のバージョンのシステムは現在弊社システム部で運用試験を行っているのですが、それを見ると、「ついにここまで来たのか…」「これならどこの他社にも負ける気がしない」って初期開発者の私が思うほど素晴らしいシステムにまで進化しています。この仕組みが今後、他の鉄道事業者様、さらには道路管理者様、地方自治体様等に広く使っていただけ、安心安全を世の中にご提供できるようになっていってほしいと私は願っています。

また、京急電鉄様向けの『防災さきもりRailweys』が土砂災害に対する警戒が主たる目的だったのですが、同じ考え方で気象庁が提供する流域雨量情報を活用して、各河川の今後の水位の動向を把握することを可能にした外水氾濫の発生リスクを自動監視する『防水・止水対策支援サービス』も実現していて、某大手精密化学薬品メーカーの全国に点在する工場すべてに導入していただいているほか、地方自治体等でも幾つか導入が始まっています。


4.6  WeatherView…状態の可視化
それと『WeatherView』。これは予報現場の気象予報士の業務効率化を目的として気象庁から配信されてくる数値予報データ(ビッグデータ)の可視化を目指して開発したシステムです。単純にデータを可視化したVersionが『WeatherView1』で、風の流れをアニメーションの活用でよりビジュアルに表現したり、任意の地点のエマグラムが見えるようにしたり、任意の断面で大気の状態を見えるようにしたVersionが『WeatherView2』です。これは紙しか媒体がなかった時代に編み出された従来の天気図を、ITがここまで進展した今の時代にあったようなものに置き換えられないかと思考して、開発したものです。地図上に天気、気圧、気温、風の強さや方向などの値を等値線その他の図形で記入した現在広く使われている天気図は今から200年以上前の1820年にドイツの数学者H・W・ブランデスによって発明されたものです。紙しか媒体のない時代はこの表現方法は実に優れたものでした。しかしITがこれだけ進歩し普及した今、紙しか媒体のなかった時代に編み出された天気図に置き換わるものがあってもいいんじゃあないか…との思いでWeatherViewシリーズの開発に着手しました。当初は数値予報データを単純に可視化するだけのシステムでしたが、気温や湿度、気圧、風向風速などは気象という現象をそれぞれの尺度で切り取って数値で表現しただけのものに過ぎず、必ずしもその状態を的確に表したものではないという思いから、“データ”の可視化から“状態”の可視化を目指しての進化を順次行ってきました。まだまだ志し半ばのところはありますが、あとは気象予報の現場でいろいろと叩いていただいて、完成に近づけていっていただければ…と願っています。

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この『WeatherView』は、当時、請負業務で実施していた日本気象協会様の現業業務の効率化と作業品質の向上を目指して開発に着手したものです。その後、この業務が人材派遣契約に変わったため、同業務では使われることはありませんでしたが、2016年度に本格的に立ち上げた弊社の予報センターや、今も請負業務で受託しておりますNHK(全国放送・渋谷)のキャスター業務(斉田・檜山キャスター)で使ってくれていて、また、弊社の新しいサービスを考える上においては強力な参考システムになっています。営業においてもお客様に弊社の技術レベルの高さを一目で分かっていただけるので、有効に活用しています。


4.7 海外進出へのチャレンジ
そうそう、『メタモルフォーゼ第1章』の時期には国際的にも通用するだろうと目論んだVMSやWeatherView1を武器としてひっさげて積極的に海外市場にも打って出ようと挑戦しました。中国の大連や北京、台湾、ベトナム等に頻繁に出張してはビジネスのパートナーとなってくれそうな現地企業を探したり、直接ターゲット顧客になりそうなところに乗り込んだりして、なんとか市場開拓をしようと模索しました。今考えると、当時の弊社の事業内容や事業規模からするとあまりにも無謀と思える取り組みだったのですが、閉塞感が漂っていた国内の気象情報の市場だけでは今後の会社の成長は絶対に見込めないとの思いから、敢えて挑戦に踏み切ったわけです。結果としてはどれもうまくビジネスに結びつけることはできませんでしたが、防災分野をはじめとして日本の気象データを活用したビジネスのモデルや弊社が持つ技術は十分に世界で通用するということだけは実感として得ることができたと思っています。あとは信頼できる現地のパートナー企業を見つけることだけだと思っています(実はこれが一番難しいことですが…)。現在、フィリピンに地震計と地震計データを集信するシステムを販売するビジネスが立ち上がりつつあり、この時取り組んだ海外進出という私の悲願の1つも、形を変えて実現しつつあります。これも嬉しいことです。将来、ハレックス社が海外市場に打って出て、グローバル企業にまで成長してくれることを願ってやみません。

ちなみに、『メタモルフォーゼ第1章』で開発した各種システムは、サービス開始以降一度も大きなトラブルもなく、一度も停止しておりません。もちろん小さなトラブルは何度か発生しましたが、社長の私がお客様のところへ謝りに行かないといけないほどの重大なトラブルは専任社長として着任した9年前から一度も起こしておりません。人々の生命と財産にも関わる防災をはじめとして、世の中の基盤インフラ情報としての気象情報を扱う気象情報提供サービスにおいて最も求められるのは“信頼性の高さ”で、安定稼動こそがシステムに求められる絶対要件です。サービス開始以降一度も停止しないで安定稼動を続けているというこの信頼性の高さはシステムの作りの良さを証明しているようなもので、これは弊社の大きな誇りの1つです。


5.メタモルフォーゼ第2章(2012年度〜2014年度)
5.1 人財育成と組織整備
このように『メタモルフォーゼ第1章』ではITを使って現在の弊社サービスの基盤となる技術を次々と開発してきましたが、『メタモルフォーゼ計画』の目的はそうした技術を開発することではありませんでした。あくまでも『メタモルフォーゼ計画』の目的はソリューション提供企業への脱皮。その第1章で開発した技術はそのためのツールに過ぎないという考えでした。これは弊社HPのトップページに書いてあるとおりです。
「私たちは総合気象情報会社だけど、提供するのはただのデータじゃないわ! 気象情報の活用ノウハウよ!!」
「そう、気象情報の活用ノウハウでお客様の業務をサポートするのが私たちの仕事。そのことに誇りを持っているわ!!」
「だからこそ私たちの“活用ノウハウ”を最大限に活かせて、お客様のサービスに導入しやすい気象情報のシステムがあれば…」
ということで開発したシステムに過ぎません。今後の弊社事業の柱として重要となるのは気象情報の活用ノウハウ(intelligence)でした。その気象情報の活用ノウハウを発揮するのはあくまでも“人”。社員1人1人でした。そこで『メタモルフォーゼ第2章』(2012年度〜2014年度)で主に取り組んだのは社員に対する人財育成と組織の整備でした。

『メタモルフォーゼ第1章』当時、私が目指している世界は社内でもなかなか理解してくれる人が少なく、陰で「社長の道楽」と言われていることも私の耳に入ってきたりもしていました。また、IT化を進める私に対して「社長は私たちの仕事を奪う気ですか!」とか「機械で人々の安心と安全は守れません!」と怒鳴り込んでくる社員もいたりしたものでした。社長がいくら崇高なビジョンを打ち出したとしても、社員がそのビジョンを十分に理解し、具体的な行動として体現してくれない限り、ビジョンを実現することなど不可能なことです。まずは社員1人1人の意識改革から取り組みました。当時、「社長室に一度呼び込まれたら3時間は覚悟しないといけない」と社内で噂されていたほど、徹底して話し合い、と言うか意識改革を行いました。そこで重要視したのが仕事に対する“立ち位置”と“姿勢”で、これは徹底的に教え込んだつもりです。仕事の“やり方”で失敗した社員に対してはほとんど叱ることはありませんでしたが、この仕事に対する“立ち位置”と“姿勢”で誤った社員に対しては徹底的に意識改革を行ったつもりです。

組織整備にも力を入れました。従来からの本社勤務の社員に加え、人材派遣や請負の業務をやってもらっていた社員の中からもハレックスが目指している方向性に共感してもらった社員を本社に呼び寄せ、システム開発や営業の仕事に配置転換をしました。特に、気象予報士資格を持ち、予報の現場での実務経験を持つ社員の活用が大きな鍵を握りました。そういう社員を敢えてシステム開発や営業の仕事に配置転換をしたのは気象情報の活用ノウハウを基軸にしてソリューション提供企業への脱皮を図ろうとする弊社にとっては大正解だったと思っています。従来、請負契約で100名以上もの社員を日本気象協会様の現業部門の業務につかせていたのですが、日本気象協会様のトップ(理事長)が交代したことで方針が変更となり、人材派遣契約に変わったこと、これにより経営的には大きな痛手を被りましたが、反対に人材(社員)の二極化が進み、ハレックス(その当時は私)が目指している事業の方向性に共感してもらっている社員の存在が明確になったということではむしろ良かったのではないか…と今では思っています。

今回の第25期定時株主総会とその後の取締役会で常務取締役に就任した足海義雄さんをヘッドハンティングで某IT企業から私の片腕としてお招きしたのもこの『メタモルフォーゼ第2章』の中でのことで、足海さん以外にもシステム部の部長や課長をはじめ数名の社員をIT企業等からお招きし、さらにはNTTデータから小川淳常務取締役(現・弊社非常勤取締役)をお招きするなど、決定的に不足していた幹部人財の補強に乗り出しました。また、それを契機にそれまでともすれば「越智個人商店」のような趣きの強かったハレックスを「株式会社ハレックス」という将来的にも発展が期待できる立派な1つの会社として生まれ変わらせるための組織整備にも着手しました。


5.2 テレビ局向け防災情報システムの提供
この『メタモルフォーゼ第2章』の1年目の2012年度にはそれまでも信頼性の高さで定評のあった地震情報を核としてテレビ朝日様とスカパーJSAT様の防災情報システムを受注し(翌2013年度に納品)、テレビ業界への本格参入を果たすことができました。まだまだシステム部の組織整備が不十分な中、ほぼ同時期に2つの大きなシステム開発を並行して行うということで、弊社としてはかなりリスキーな状態ではあったのですが、システム部の社員が一丸となって全力で取り組んでくれたおかげで、なんとかその試練も乗り越えることができました。そのおかげで、現在、このテレビ業界向けシステム提供のサービスも弊社の大きな事業の柱に育ってくれています。

また、この試練を乗り越えてくれたおかげでシステム部の社員達が一回りも二回りも一気に成長してくれて、組織としてのシステム開発力が大いに向上してきたと思っています。一人前のシステム部に成長しかけてきたと言うか…。この『メタモルフォーゼ第2章』の時期から、私はシステム部育成のためシステム開発の現場から離れ、弊社のシステム開発はすべてシステム部の任せることにしました。


5.3 農業向け気象情報提供への進出
農業気象という新たな分野に本格的に乗り出したのもこの『メタモルフォーゼ第2章』の時期です。私としては「この分野ならばハレックス」と言われるような絶対的な市場の開拓を行いたいとかねてから思っていたことなのですが、それは1つの偶然から見つかりました。確か京浜急行電鉄様向けの初期システムを納入して稼動し始めた直後のことですから、2012年の10月のことだったと記憶しています。愛媛県経済労働部様からの依頼で松山市で地元IT企業の皆様の前で講演をするため羽田空港から松山空港に向かう飛行機の機内で偶然隣同士の席となり、意気投合しちゃったのが愛媛県農業法人協会の牧秀宣会長(農業生産法人ジェイウィングファーム代表)でした。その牧会長との出会いが私を農業、正しくは農業向け気象情報提供に目覚めさせてくれました。自然には「圧倒的破壊力を持つ脅威の側面」と「代え難い豊かな恵みの側面」の両面があり、そのうちの“恵み”を形にする産業が農業や漁業といった第一次産業。災害大国と言われる日本列島において、日本人がほぼ誰1人として日本列島を脱出しなかったのは恵みの側面のほうが大きかったから…といった今考えると当たり前のことを気づかされたのも、この牧会長との偶然の出会いの時でした。

それで目覚めてしまった私はそれまでともすれば防災主体に取り組んでいた弊社の事業の幅を広げるうえで、農業向け気象情報提供は極めて魅力的な分野と捉えました。また、現在、我々民間気象情報会社の気象庁における直接の監督部署である総務部情報利用推進課、この課の25年前、1993年までの名称は産業気象課。その産業気象課の大きな業務の1つは農業向けの気象情報提供でした。1993年の気象業務法の制定により民間に開放されたのはその産業気象課の元々の所掌範囲と言えることもでき、その意味では歴史的に考えても農業向け気象情報提供は気象ビジネスの「1丁目1番地」であるとも言えました。しかし、牧会長やその他“篤農家”と呼ばれる皆さん方からよくよく話を聞いてみると、その気象ビジネスの「1丁目1番地」である農業気象の分野がほとんど手つかずの未開拓のままであることに気づきました。あっても一般向けの天気予報の延長に過ぎないレベル。本格的にこの分野に取り組んでいる気象情報会社は1社も見あたりません。加えて、ITの世界では「農業分野は最後のフロンティア」とも呼ばれて注目を集めはじめているところでした。弊社には業務システムや制御システムに気象情報を変数として送り込める仕組みが既に用意されています。これは願ってもないチャンスが到来した…と私は捉えました。

で、その出張から戻った時、社員を集めて次のように宣言しました。

「俺はこれから農業向けビジネスの立ち上げに専念する。これまで取り組んできたビジネスは常務以下に全て任せるから頑張ってほしい!」

私には「ビジョンの実現は、まずトップが率先してやらないと、決してうまくいくわけがない!」…という確固たる信念があり、それに基づいたわけです。一見すると無茶苦茶な話のようですが、この宣言には別の思惑もありました。それは人材育成と組織整備です。人財育成で重要となるのは経験です。それも自分自身が主体的に取り組んでの経験。そのためには、とにかく“やらせてみる”ということも大切なことで、この宣言はそういう意味も含んでいました。私が第一線から消えて思いっきり任せてみることで、社員1人1人が、そして組織が一人称で考え、行動してくれる会社に生まれ変わるだろうという思いでした。なんでも“やりたがり”の私にとっては、実はかなり勇気の要る決断でしたが…。まぁ〜、それでうまくいかなかったら、その時は貸してみろ!、俺が引っ張ってやる!…くらいの思いでした (随分とフラストレーションは貯まりましたが、自分自身という今のハレックスにとっての最強カードを懐に仕舞ったまま日々の業務にあたれるということは、会社にとって本当は一番いいことなのではないか…と思ったのもこの時でした)。そのおかげかどうか、まだまだ物足りない部分もありますが、人財も組織もそれなりに成長してくれたかな…と今では思っています。


5.4 会社HPの更新と『おちゃめ日記』開始
皆さんが一様に驚かれるハレックス社のオフィシャルHPを現在のように更新したのは2014年5月のことです。『メタモルフォーゼ第2章』も2年目が過ぎようとした2014年の1月に私は営業担当の2人の女性社員Y社員とT社員を呼び、会社のHPの全面更新を指示しました。かねてから彼女達2人は会社のHPを一新しましょうよ…と提案してくれていたので、ならば更新しようと思い立ったわけです。その際に私から彼女達に命じたこと(要求仕様)は次の4点。

①とにかくポップでファニーでインパクトのあるものにしろ
②NTTデータグループ、NTTグループらしからぬものにしろ
③気象情報会社らしからぬものにしろ
④トップページだけでウチが伝えたいことは全部伝えるものにしろ
あとは任せた。好きにやってくれ!

限られた予算の中で彼女達が他の社員とも連携を取りながら知恵を限りを出してくれて作ってくれたのが、現在のハレックス社オフィシャルHPです。最初にそれを見た時、命じた私自身が一瞬たじろいだくらいですので、インパクトは十分。要求した仕様以上のものができあがったと思いました。やっぱ、こういうものは女性の感性に限ります。

この私が出した4つの要求仕様にはちゃんと意味がありました。だいたい会社のHPを見てくれる人って20歳代後半からせいぜい40歳くらいまでの“担当者”から“係長”クラスがほとんど。そこをターゲット年齢に定めました。次に従来のIT会社や気象情報会社とはまるで異なる立ち位置の会社になることを目指しているわけですから、HPでもその違いを鮮明にしないといけません。それと、営業を目的としたオフィシャルHPですので、一目で私達が目指していること、サービスの特徴をご理解いただかないといけません。これが私の出した4つの要求仕様だったわけです。

会社のHPを一新するにあたりY社員とT社員から依頼されたのがブログの執筆でした。Webで検索した際、上位に登場するためには更新頻度を高めないといけません。加えて、検索に引っ掛かりやすくするためにはHP内に様々なキーワードを散りばめておく必要があります。それにはブログが一番だと彼女達は言うのです。当初私は「社長の私のブログが炎上しちゃったら、どうするの?」と渋ったのですが、「社長は私達に任せると言ってくれたじゃないですか! その私達の企画にはこのブログも入っているんです!」。これには「はい、わかりました」と返すしかありませんでした。

こうして生まれたのがこの『越智社長の おちゃめ日記』なのです。同時に元気象庁で「伝説の主任予報官」と呼ばれた市澤成介先生の『成介日誌』、元陸上自衛隊陸将補で災害救助、被災地支援のエキスパートだった清水明徳顧問には『老兵日記』…とそれぞれ気象予報と防災の2つのテーマに基づいてブログを執筆していただくことをお願いしました。なので、私の『おちゃめ日記』はもっぱらオフィシャルHPの更新頻度の確保と“客寄せ”を目的として、私の感性で好き勝手に書く…というのがコンセプトでした。あれから4年ちょっと、よくもまぁ〜続いたものだと私自身が驚いています。またこの派生で、この『おちゃめ日記』を読んでご連絡をいただいた私の故郷愛媛県の地元紙愛媛新聞社さんからの依頼で、現在、愛媛新聞社が運営する会員制Webサイト「愛媛新聞on-line」で毎月『晴れ時々ちょっと横道』と題するコラムを連載させていただいています。

このハレックス社オフィシャルHPの効果は絶大で、4年経った今もなおHPからのお問い合わせが寄せられており、そういうお問い合わせからの案件は成約にまで至る確率が比較的高い傾向にあります。


6.メタモルフォーゼ最終章(2015年度〜2017年度)
6.1 メタモルフォーゼ9年間の成果(数値編)
そして『メタモルフォーゼ計画』もいよいよ仕上げの最終章(2015年度〜2017年度)を迎えます。この最終章の3年間はこれまで第1章で構築してきた基盤システム(もちろん第2章の間も進化を続けています)、第2章で整備してきた人財と組織、その両方を駆使しての勝負の3年間、成果を出すための3年間という位置付けでした。

前述のように、従来、請負契約で100名以上もの社員を日本気象協会様の現業部門の業務につかせていたのですが、日本気象協会様のトップ(理事長)が交代したことで方針が変更となり、人材派遣契約に変わりました。さらに2015年に労働者派遣法と労働契約法という2つの法律が改正され、同一職場への派遣社員の派遣期間の上限が3年に定められました(3年間雇い止めルール)。これは弊社にとって経営上非常に大きなインパクトを与える出来事でした。いずれ人材派遣事業や請負事業といった人材の頭数に頼るような事業では立ちいかなくなるという危機意識から始めた『メタモルフォーゼ計画』でしたが、まだまだその計画は道半ば。9年前には全売上の75%〜80%を占めていた人材派遣・請負事業はその後減少していっていたとは言え、2014年度の段階ではまだ50%近くを占める弊社の大きな基幹事業の1つでした。それが3年間で完全に消滅してしまうということですから、経営の危機どころの話ではありませんでした。弊社の派遣事業は基本的に気象予報士の派遣に特化していたので、日本気象協会様以外に顧客となり得る主たる派遣先も考えられませんでしたからね。しかも、この新ルールへの移行措置が終わるのが2018年9月末。それまでに弊社の業態の抜本的な変更を完全に成し遂げないといけないという非常に緊迫した事態に追い込まれてしまいました。

ですが、結果として、『メタモルフォーゼ第1章』と『第2章』で取り組んできたことの成果が見事に結実したのか、社員達の頑張りもあり、顧客の数は急激に拡大。気象予報士の人材派遣・請負事業の大幅下落の影響で赤字転落も覚悟した『メタモルフォーゼ最終章(2015年度〜2017年度)』の3ヶ年も、ずっと黒字決算のままで継続することができました。9年前には全売上の75%〜80%を占めていた人材派遣・請負事業の割合が、2017年度にはとうとう8%を切るまでに減少したにもかかわらずの営業黒字 (人材派遣・請負事業単体では逆ザヤの赤字に転落)。さすがに9年前と比べると残念ながら人材派遣・請負事業が大幅に減退したぶん売上高は減少してしましたが、粗利は反対に増加。最終章の最終年度である2017年度は創業以来最高の粗利を計上。粗利率は18%からほぼ倍増近い34%に大幅に改善するという奇跡のような結果を出すことができ、目標としていた高利益型(高付加価値型)のビジネスへの転換が図れたと言っても過言ではない結果が現れました。

昨年度の末(3月31日)、この2017年度決算の確定数字を目の当たりにした時、正直私の中で「やりきった感」のようなものを感じてしまいました。もちろん具体的な目標として掲げていたすべての目標を達成できたわけではありません。社員の皆さんとの間の約束でも果たせていないものが幾つかあります。ですが、最大の目標としていた高利益型(高付加価値型)のビジネスへの転換だけは果たすことができたかな…と思いました。その瞬間に、あとは藤岡新社長をはじめ、これまで育ててきた社員の皆さんが、私が果たし得なかったすべての目標を必ずや達成してくれるものと信じて、代表取締役社長の職を退任することを最終的に決断いたしました。なので、代表取締役社長を退任するにあたり、私自身は残る役員・社員の皆さんには申し訳ないくらいに非常にスッキリした気持ちでいます。

マラソンランナーのように1人でずっと走りきるオーナー社長と異なり、私のようなサラリーマン社長は駅伝ランナーのようなもので、前の区間を走ったランナーから襷を受け取り、与えられた区間で与えられた任務を全うし、次のランナーに襷を引き継ぐということが求められます。私が第1走者から襷を受け取った時、ハレックス社は惨憺たる状況でした。第一走者はスタート直後からつまづき、集団から大きく出遅れ、誰もがもうじき途中棄権(会社の清算)するだろうと思っている中で、私は第二走者として襷を受け取って走り始めました。そして今、なんとか15年間と言う長い区間の中で、いろいろと苦労はあったものの、高利益型(高付加価値型)のビジネス基盤を整備するという私に与えられた最低限の任務(勝手にそう思っていますが…)だけは完遂することができたのではないか…と思っています。そして、私が襷を受け取った時とはまるで違う状況の中で次の第三走者に襷を渡すことができる…。サラリーマン社長としてこんなに幸せなことはありません。次の第三走者の任務は第二走者の私が創り上げたビジネスの基盤をより大きく成長させていくことです。私はそれを期待しながら、ちょっと離れたところからそっと(いや、しっかり)見守っていきたいと思っています

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6.2  ICTとはIntelligence Collaboration Technologyの略である
顧客の数も大幅に増加しました。現在、様々な業種・業態の300社を越える会社様とお取引きをさせていただき、その数はさらに増加する傾向にあります。ある女性社員が「ウチのお母さんでも知っている会社」という表現をしてくれましたが、東証1部上場企業のような有名どころの会社様とのお取引きも増えてきました。私は9年前に『メタモルフォーゼ計画』を開始する時、社員一同を前にして「一流会社と呼ばれる会社を目指す」と宣言しました。その際、「真の一流会社とは売上が大きな会社のことでも、社員の数が多い会社のことでもない。世の中で一流と呼ばれる会社様から“事業のパートナー”として認めていただける会社のことである」と付け加えました。当時はすべての社員が「社長はいったいナニを言っているんだ?」って感じで、ポカ~ンとした表情で私の顔を見つめていました。ですがあれから9年が経過し、現在の状況を見ると、まだまだどれもお取引き額は小さいものの、NDA(機密保持契約)を締結させていただいてご一緒に新しいビジネスの創出を目指している会社様の中には東証1部上場企業をはじめ世の中で一流と呼ばれる会社様が幾つも出てきており、これは将来に向けて大きな期待が持てそうだな…と確かな実感として思っているところです。きっとそのうち世の中をアッと驚かせるような新しい価値を創出してくれるのではないか…と私は大いに期待しています。

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情報通信技術のことをICTと呼びますが、私はこのICTとは「Information and Communication Technology」の略ではなくて、今後は「Intelligence Collaboration Technology」の略であると言ったほうがいいのではないか…という自論を持っています。インテリジェンス(Intelligence)とは知性や知能という意味です。専門知識といった意味に捉えていただいてもよろしいかと思います。その様々な人達のインテリジェンス(Intelligence)を連携(Collaboration)させるための道具(tool)としてITの仕組みがある…という考え方です。弊社がご提供している『HalexDtream!』はまさにそのIntelligence Collaboration Technologyそのものでありたい…という思いで開発しました。そして、弊社ハレックスが保有し皆様にご提供できるインテリジェンス(Intelligence)とは気象情報の活用ノウハウ。その気象情報の活用ノウハウとお客様やIT企業の皆様がお持ちの様々な業務ノウハウというインテリジェンス(Intelligence)を組み合わせることで世の中にこれまでにない新しい価値、さらには“あったらいいな”と思っている価値を産み出していくことが、ハレックス社のあるべき立ち位置であると私は思っています。それで、皆様の大事な大事な“事業のパートナー”と呼ばれるような会社になりたい…という思いで、これまでハレックス社を引っ張ってきたわけです。それが真の「ソリューション提供企業」と呼ばれる会社であると私は思っていますから。たいしたインテリジェンス(Intelligence)を保有しない会社をソリューション提供企業と呼ぶのは、大いなる間違いだと私は思っています。ただ、弊社にはIntelligence Collaboration Technology (tool)としての『HalexDtream!』と、気象情報会社として気象情報の活用ノウハウという他社が持ちえない確固たるインテリジェンス(Intelligence)があります。もちろん、一流と呼ぶにはまだまだ不十分なところはありますが、今後様々なお客様との経験を積み重ねることで、それは十分に一流と呼ばれるまでに成長できる可能性がある…と私は確信に近く思って、期待しています。


6.3 『TNQL』…私が追い求めたビジネスのスタイルの実現
最終章に入り、顧客の数も大幅に増加してきたのは前述のとおりです。同時に案件的になかなか面白い案件も増えてきました。中でも1つだけ選んでご紹介するとしたら、ディジタルマーケティングに関する戦略コンサルティング等のサービスを提供されている会社である株式会社ルグラン様とご一緒させていただいた『TNQL(テンキュール)』というサービスが挙げられます。この『TNQL』は気象ビッグデータを分析・活用し、天気や気温の変化に合わせたコーディネートを毎朝レコメンド(推奨)するファッションテックサービスです。気象ビッグデータを解析してAPIで提供する弊社からの情報に加えて、ユーザーのこれまでの行動に関するビッグデータの分析、それらを気象とファッションそれぞれのデータアナリストのインテリジェンスを用いてAI(人工知能)技術で繋ぎ、個々のユーザーの行動に直接結びつくレコメンド情報として提供するというもので、AIを用いた極々身近な実用システムとしては世界でも初と言えるものです。その新奇性が注目され、この『TNQL』は多くの新聞や雑誌等でも取り上げられたほか、NHKの国際放送である「NHKワールド」という番組でも、日本の注目される最新技術の1つとして取り上げていただきました。ここで、私がこの『TNQL』を取り上げるわけは、何もAIを用いた技術の先進性というわけではありません。

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このサービスの最大の特徴は、企画から設計・開発に至るまでの全てが女性だけで構成されたプロジェクトで行われたサービスであるということ。前述のように、弊社からは営業部に所属する3名の女性気象予報士がこのプロジェクトに参加しましたが、株式会社ルグラン様側もニーズ分析を含めたマーケティングからビッグデータ解析、システム設計・開発、Webデザイン等々、ほとんど全て女性だけで構成されたチームによるプロジェクトでした。実は私がそのプロジェクトの中で具体的に何が検討されているかを知らされたのは、プロジェクト開始から約1年半のことでした。私からはプロジェクトが始まる時に「せっかくだから、女性ならではの視点でこれまでなかったような斬新なサービスを創り出してほしい」という要望を弊社から参画する3名の女性社員達に出していましたが、実はその後は完全にアンタッチで、彼女達を信じて任せたままにしていました。で、「ルグラン様と進めていた企画がまとまったので、見ていただけますか」と言って渡された企画書を見させていただいたのですが、それを見終わった後の衝撃はあまりに大きいものがありました。見終わった後の第一声は「なんじゃこりゃ!」だったように記憶しています(それも大きな声で)。「なんじゃこりゃ!」と文字に起こすと、あたかも私がその企画を否定したかのように受け止められようかと思いますが、実際にはその逆で、私の想像を遥かに超えていたことによる驚嘆の「なんじゃこりゃ!」でした。

私の想像の域を遥かに超えていたこともありますが、これは私を含め男性では絶対にできないような企画の内容でした。これには「やられたぁ~!」って正直思っちゃいました。「女性ならではの視点でこれまでなかったような斬新なサービスを…」という私の要望を十分過ぎるほどに満たしてくれている企画内容でしたからね。しかも、この企画は弊社がこれまで開発してきた『HalexDream!』をはじめとする弊社のオリジナル技術の特性を非常にうまく活用したサービス内容になっていました。気象ビッグデータを解析してAPIで提供する弊社からの気象情報に加えて、ユーザーのこれまでの行動に関するビッグデータの分析、それらを気象とファッションそれぞれのデータアナリストのインテリジェンスを用いてAI技術で繋ぎ、個々のユーザーの行動に直接結びつくレコメンド(推奨)情報として提供する…、言ってみれば、弊社がこれからの気象情報サービスはこうあるべきと思い、これまで弊社が『メタモルフォーゼ計画』の中で数年間かけて目指し、実現に向けて準備してきた気象情報を活用したサービスの1つの形がその企画書の中に書かれていたわけです。それがこういう形で実現できたわけですから、これにはメチャメチャ興奮しちゃいましたね。

このように、9年前に開始した『メタモルフォーゼ計画』という弊社事業の形態の抜本的変革計画は、まだまだ不満が残るところはもちろんありますが、最終章最終年になんとかそれなりの成果を出すことができたのではないか…と言い出しっぺで推進役を務めさせていただいた私としては思っています。9年前に開始して本当に良かったです。なんとか時代の流れにギリギリ間に合わせることができた…と思っています。これが1年でも遅れていれば大変な事態に陥っていました。


6.4 農業向け気象情報提供の深耕
「この分野ならばハレックス」と言われるような絶対的な市場の開拓を行いたいという目論見から始めた農業向けの気象情報サービスについても、この最終章の3年間で大きな進展がありました。2014年、愛媛県の農業法人協会や地元IT企業と組んだ『坂の上のクラウドコンソーシアム』で応募した『HalexDream!』の情報を活用した農業用気象予報システムが農林水産省の「農業界と経済界の連携による先端モデル農業確立実証事業」(平成26年度新規事業)に採用され、そこからブレイクが始まり、弊社ハレックスは農業の分野で一気に注目を集めるようになりました。ちょうど気候変動により頻発するようになった農業への気象災害が社会的な問題として取り上げられ、また、農業へのITの導入が話題にのぼり始めた頃で、この『坂の上のクラウドコンソーシアム』の取り組みはタイムリーな話題として多くの新聞や雑誌で何度も取り上げていただいたほか、その『坂の上のクラウドコンソーシアム』を主導した私への講演依頼もあちこちから寄せられました。

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プロの農家さんの前でほんの2、3年前からこの分野に取り組みはじめたばかりの門外漢が農業について講演させていただくのは甚だ僭越なことではあったのですが、意外なことに、聴いていただいた皆様にとってはとても新鮮な内容だったようで、噂が噂を呼ぶって感じで次から次へと講演の依頼が寄せられました。調子に乗ってかなりの暴言(?)を吐いたりもしましたが、講演後のアンケート結果を見ると、それも「目から鱗が落ちた」と人気だったようです。それもこれも愛媛県農業法人協会の牧会長や愛媛県農業法人協会会員の農業生産法人の方々、牧会長のご紹介で交流させていただくようになった全国各地の農業生産法人の方々(主に各都道府県の農業法人協会の会長)から教えていただいたり、気づかせていただいたことがバックにあったからだと思っています。そうした篤農家と呼ばれる方々は明確な危機意識と課題認識、そして将来に向けての強い改善意欲をお持ちの方々ばかりなので、そういう方々との交流を通して学ぶところが多かったですね。また、そうした篤農家の方々に私が急速に受け入れていただいたのには、もちろん牧会長のご紹介という側面が大きいことは十分に理解していますが、私が気象情報会社の社長だったことも大きかったように思います。農業の生産現場も気象情報会社も立っている位置が異なるだけで、“自然”と真っ正面から向き合っているという点ではまったく同じ。なので、私は農業の生産現場の方々がお困りのことが十分に理解できますし、そのお困りごとに対する解決策も具体的に考えることができ、責任を持って相談にのって差し上げることができたのです。これは非常に大きかったです。ただのIT屋さんのままだったら、こうはいきませんでした。

お問い合わせやお引き合いも数多く寄せられ、本来は建設会社向けのパッケージ商品(サービス)として開発した『HalexSmile!』を急遽アレンジして『HalexSmile! 圃場向け農業気象情報支援サービス』をご用意し、お使いいただきました。農業は稲作(コメ)だけでなく麦作、野菜栽培、果樹栽培、花卉栽培、酪農、畜産…と多岐に渡り、一口に野菜栽培や果樹栽培と言っても栽培する品種ごとにやり方は異なりますし、抱えている課題も異なります。また、地域ごとに気象条件が異なりますので、地域ごとに抱えている課題も異なるという特性があります。それら農業の生産現場の課題を『HalexSmile! 圃場向け農業気象情報支援サービス』をお使いいただくことで収集できる仕組みが作れたというのも大きかったですね。

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弊社の『HalexDream!』API及び『HalexDream!』APIを用いて実現した農業向けの様々な仕組みは、JA全農様が日本全国の農業生産者の方々の営農活動を支援するために提供する会員制サービス『APPINES/AgriInfo(アピネス/アグリインフォ)』、農林中央金庫様が提供する会員制の農業支援ポータルサイト『Agriweb(アグリウェブ)』、農機メーカーとしては国内首位、世界でも第3位の株式会社クボタ様の運営する営農用クラウドサービス『KSAS(クボタスマートアグリシステム)』、内閣府の総合科学技術イノベーション会議が主導して府省の枠や旧来の分野を超えたマネジメントによる科学技術イノベーション実現のために創設された国家プロジェクト「戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)」の一環として行われる農業データ連携基盤協議会(WAGRI)様等で次々とご採用いただき(それもほぼ無競争で)、そのほかにも多くのお客様から採用、あるいは採用に向けたご検討をしていただいているところです。最近では北海道道北の酪農家向けに、牧草栽培に特化した気象情報の提供サービスの実証実験にも現地の酪農家の方々と一緒になって取り組んでいます。これらは、弊社ハレックスの農業向け気象情報提供に対する考え方、コンセプトが農業界の皆様のご期待にマッチしたことによるものだ…と捉え、大変嬉しく思っております。新生ハレックスがこの高いご期待を決して裏切ることなく、サービスのさらなる進化を続けてくれ、必ずや農業向け気象情報提供の分野において確固たる地位を築いていってくれることを期待しています。

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農業の生産現場向けに気象情報の提供を開始してから思ったことがあります。この『HalexDream!』の情報を活用した農業用気象予報システムですが、篤農家と呼ばれるベテランの優れた経営感覚をお持ちの農家さんには絶賛され、上手にお使いいただいているのですが、そうではない大多数の農家さんからは「通常のインターネットやケータイサイト等で取得できる天気予報との違いが分からない」というお声をいただくことが今でもほとんどです。これは一言でいうと、情報の受け手の側の“情報リテラシー”次第で情報の価値に対する評価は大きく異なる…ということを意味します。この“情報リテラシー”の底上げこそが、農業の生産現場向けに気象情報提供の成否の鍵を握ると実感したわけです。このため、2016年、篤農家の皆様を中心に、愛媛県でNPO法人・坂の上のクラウド利用経営研究会、また全国レベルの公益社団法人・日本農業法人協会の中に気象情報システム利用経営研究会を相次いで立ち上げ、農業の生産現場における“情報リテラシー”の底上げを図る取り組みも着手しました。この取り組みもまだまだ志半ばでなかなか成果が出るまでには結びついておりませんが、立ち上げに大きく関わった者として責任がありますので、この両者には今後もなんらかの形で関わらせていただこうと思っています。


6.5 新たな気象情報活用市場の創出に向けての取り組み
この最終章では第2章の途中からに引き続き、後進や組織の育成も兼ねて現場の仕事は常務取締役以下にほとんど任せ、私は外部の仕事、特に新たな気象情報活用市場の創出に向けての仕事のほうにより力を入れて取り組みました。いつまでもこの会社の社長でいられるわけではない。その時に社員達に私が残してやれるのは「将来の活躍の場」でしかない…という思いでした。いや、社員達だけではありません。気象予報士の将来の活躍の場を創り出して、残してあげたい…という思いも同時にありました。

弊社は私が15年前に代表取締役社長に就任する以前から気象予報士試験受験のための通信講座を提供していました。一時期は合格率No. 1を誇り、合格者の4人に1人はハレックスの通信講座の受講生と言われた時代もありました。しかし、気象予報士試験の受験者数は年々減り続け、弊社の通信講座も受講者数が減少の一途を辿り、あわせて講師の先生方の高齢化も重なったので、とうとう今年度からは人気の高いスクーリング講座を除き新規の受講者の募集を取りやめることにしました。気象予報士試験の受験者数の減少は、せっかく合格率5%という難関の気象予報士試験に合格しても、その資格を活かして活躍できる場がないということにも大きな要因があると私は分析しています。くわえて、弊社の通信講座を受講していただいて気象予報士資格を取っていただいた方にその資格を活かす場を提供できないのは片手落ちであるという申し訳ない思いもありました。そこで、気象予報士の将来の活躍の場を創り出して、残してあげたい…という思いに至ったわけです。

現在、日本全国で気象予報士の資格を保有している方は約1万人いらっしゃるのですが、そのうちで民間気象情報会社に就職して、その資格を活かして仕事に就いておられる方は僅かに500名ほどに過ぎません。20人に1人です。実に約9,500人の気象予報士の方々がせっかく取得した気象予報士資格を活かせないままでいるわけです。少し大袈裟な言い方になってしまいますが、これは我が国にとって大きな損失のようにも私は捉えています。気象情報会社に入社せずともそういう方々が活躍できる場をなんとか創り出すことができないものか…と考えたりもしていました。

その一方で、ITの進展、特に現在急激に立ち上がりつつあるAI(人工知能)技術の進展により、世の中の“士”ビジネスは大きく影響を受けると言われています。中には存続の危機に陥るような“士”ビジネスも出てくるとも言われています。もちろん、気象予報士も現状のままだとその中の1つになる危険性があると私は捉えています。『HalexDream!』や『WeatherView2』等、IT化を進める私に対して「社長は私たちの仕事を奪う気ですか!」と怒鳴り込んできた社員がいたということは前述のとおりで、世の中で労働人口が減少の一途を辿る中、生産性向上のため機械でやれるような単純な業務はドンドンと機械に置き換わっていく時代です。コンピュータは電気さえ与えておけば24時間365日愚直なまでに決められた仕事は正確に(あらかじめプログラミングされたとおりに)こなしてくれます。かつて電話の177システムを開発したプロジェクトリーダーとしては、今の時代、「初音ミクの天気予報」くらいさほど難しくなく作れそうな感じでいます。

くわえて、気象庁に導入されるスーパーコンピュータの性能は更改されるたびに向上し、それにより予測精度はますます向上し、提供される情報の種類もますます増えてくるものと容易に予想されます。と言うことは、気象予報士の仕事も今までのままではダメで、新たな領域を目指して根本から生まれ変わらないといけない時代が遅かれ早かれ間違いなくやって来ると私は予想しています。その新たな領域とは“データアナリスト”ではないか…と私は思っています。なので、気象予報士の将来の活躍の場を創り出す活動はハレックス社の社長として当然やらねばいけない重要な仕事であるという思いで、積極的な広報活動に打って出ました。

幸い世の中で「ビッグデータ」や「オープンデータ」という言葉が流行り言葉のように湧き起こり、弊社が開発した『HalexDream!』や『WeatherView2』が新聞や雑誌等で「ビッグデータ」や「オープンデータ」を活用した先進的な事例として何度も取り上げていただき(朝日、毎日、読売、産経、日経という全国紙5紙制覇を僅か半年で達成しました)、その記事を読んで講演の依頼が幾つも寄せられました。平均すると1ヶ月に3件、多い時には1ヶ月に6件も講演させていただいたこともあります。その講演の題名として主に使わせていただいたのが『アナリティクスで生まれ変わる気象情報ビジネス』というものでした。その題名には「これからの気象情報ビジネスの主役は、間違いなくビッグデータである気象データを分析し世の中の様々な業務や制御に活用できるようにする“データアナリスト”になりますよ」というアピールでもありました。

ちなみに、弊社が『HalexDream!』を開発した当時、まだビッグデータという言葉はなく、私自身は「ビッグデータのシステム」を開発したつもりはないのですが、周囲からそういう風に注目していただいたので、悪ノリして取材や講演では「オンラインリアルタイム・ビッグデータ処理システム」と称して、ご紹介していました。この『HalexDream!』の本質は取り扱うデータの大きさ、すなわちビッグデータにあるのではなく、リアルタイム処理のほうにあったのですが…。

また、一時期の「ビッグデータ」や「オープンデータ」のブームがひと段落すると、次に注目が集まったのが農業向け気象情報提供の分野でした。愛媛県での『坂の上のクラウドコンソーシアム』の取り組みが注目を集め、これまた新聞や雑誌に何度も取り上げていただき、とうとう農業界の業界紙である日本農業新聞の今年(2018年)元旦号の特集に私のインタビュー記事がデカデカと掲載されるまでになりました(これにはさすがにビックリでした)。ここ2、3年は農業分野で講演を依頼されることが多くなり、だいたい1ヶ月に2回か3回は全国各地に招かれて講演を行ってきました。講演ではこれまでのともすれば勘と経験に頼ってきた農業から、気象データの活用をはじめとしたデータ活用型農業への転換の重要性についてお話しさせていただきました。2016年の秋には農林水産省大臣官房様からの依頼で、農林水産省本省の課長補佐や係長クラス60数名の皆様を前にして講演をさせてもいただきました(これにもビックリでした)。その農業向けの講演の題名として主に使わせていただいたのが『気象ビッグデータの活用で農業を元気に!』。そして、ここでも気象予報士の新たな活躍の場として「気象農業アナリスト」の有効性にも言及してきました。一時期は気象業界、農業界のエバンジェリストって感じでしたね。


6.6 気象防災アナリスト
防災に関しても同じです。「災害は“災い”が“害”になると書く。大雨や地震といった圧倒的な破壊力を持つ“災い”を防ぐことは人間の力では到底無理。ただ、“災い”を“害”にしないことだけはできる」と言って、災害情報学会等の場で、「気象防災アナリスト」の必要性をアピールしまくったのもこの時です。もちろんこの気象防災アナリストは気象予報士の新たな活躍の場を意識してのものでした。この弊社が唱えた気象防災アナリストの必要性に敏感に反応していただいたのが気象庁さんでした。気象防災アナリストに関する実証実験のための予算を確保していただき、2016年度、全国6ヶ所の地方自治体に気象予報士を派遣し、災害をもたらすような気象状況時における各種防災気象情報の解説等、地方自治体の防災対応を支援するモデル事業の機会を与えていただきました。提唱者である弊社はもちろんその入札に参加。めでたく受注して、そのモデル事業を行わせていただきました。ここで得たものは非常に大きかったですね。机上の検討だけではわからないことっていっぱいあります。
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気象庁は、今年(2018年)3月、今後、大規模な災害時に都道府県や市町村等へ気象庁防災対応支援チーム(JETT)として気象庁職員を派遣し、現場のニーズや各機関の活動状況を踏まえた気象等のきめ細かな解説を行うということを発表し、5月1日より運用を開始しました。気象庁の報道発表資料によると、JETTの創設は、「地域における気象防災業務のあり方(報告書)」(平成 29年 8 月)を踏まえたものだということが明記されています。この報告書が出される前年の2016年に弊社ハレックスが気象庁から受託して実施した上記のモデル事業が今回のJETTの創設に結びついたのだとすると、やった甲斐があったというものです。ただ、この取り組みが、近い将来、全国各地に約1万人もいらっしゃる気象予報士の有資格者の皆さんの活用方法に繋がっていければ、もっといいのですが…。近い将来、そうなることを願ってやみません。気象庁が気象庁防災対応支援チーム(JETT)を立ち上げたと言っても、ただでさえ忙しい気象庁の職員の皆さんだけでは日本全国の都道府県や市町村等をカバーすることなど数的に無理な話です。きっと気象予報士の有資格者の皆さんの活躍の場に広がっていく筈です。その時のための準備(研鑽)を日頃から続けていってほしいと思います。


6.7 事務所の移転と予報センターの設置
弊社は1993年の創業以来、ずっと品川区東五反田にあるフォーカスビルの4階と5階に事務所を構えていたのですが、それを同じ東五反田にある現在のNMF高輪ビルの3階に事務所を移転したのは創業から23年目の2016年9月のことです。この事務所の移転は私が社長に就任してからの悲願の1つでもありました。事務所を移転するにはそれなりに経費もかかることですので、まだまだ設立当初からの累積損失を抱える弊社としてはこれまでそれなりに慎重に構えてきました。2014年度末に10年連続の単年度黒字決算を達成したこと、『メタモルフォーゼ最終章』に突入するにあたり、以前の姿からまるで別物の会社に生まれ変わりつつあるハレックス社を会社の内外にアピールするために創業以来入居していたフォーカスビルから移転することを決断しました。

新しい事務所が入居するビルを探すにあたり私が総務部に出した条件は次の2点です。①品川区の五反田あるいは大崎周辺であること、それと②ワンフロアであること。①の五反田、大崎周辺であることは社員達はこの五反田に事務所があることで生活のリズムができているはずだから、それを会社の事情で無理に乱したくなかったことが最大の要因ですが、ハレックス=五反田のイメージが会社の内外で定着しているように感じたことが大きかったです。②のワンフロアであることには拘りました。私は社員達と一緒になって働きたいという意識をずっと持ち続けていました。前の事務所では社長室の壁に五反田以外の場所で勤務している社員の写真を貼っていたくらいです。最盛期は130名を超える社員(多くは気象予報士)を日本気象協会様の予報現場等に派遣していたので、その写真は壁2面に渡りました。これも社員達と一緒になって働きたい、常に24時間365日、日夜頑張ってくれている社員達のことを忘れずに仕事していきたいと思っていたからです。だって、私の給料は社員達の頑張りの中から出ているわけですから、それは当然のことだと今でも思っています。

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五反田・大崎界隈でワンフロアで入れるビルを探すのにはなかなか難航し、事務所移転を決断してから1年後の2016年に現在のNMF高輪ビルの3階の空きが見つかり、9月に転居しました。NMF高輪ビルの3階への入居にあたってはフロア内の内装にも拘りました。チームでの仕事がしやすいように会議や打ち合わせのスペースをできるだけ多く確保するとともに、社員の席を固定することなく、プロジェクトの進展ごとに関係する社員が自由に集まって仕事ができるような机配置とするなど、社員達が働きやすい職場環境を整えたつもりです。極めつきは和室の会議室を用意したこと。ここは本来は防災用物資の貯蔵スペースでした。その防災用物資を縦に積み上げるのではなく横に並べ、その上に畳を敷いて会議室兼休憩スペースとしたわけです。これには東日本大震災の時の経験を活かしました。東日本大震災が発生した際、弊社は緊急地震速報サービスを全国50局を超えるテレビ局様や東北電力様などに提供していたこともあって、人々の生命と財産に直接関わるこのサービスの提供を絶対に停めるわけにはいかない…という思いから、同サービスに関係する社員が交代で泊まり込むことにしました。それまでも弊社監視センターで24時間365日の監視体制は敷いていたのですが、万が一のことに備えてその態勢を厚くしたわけです。私も地震発生の当日から2週間、妻に着替えと寝袋を持ってこさせて社長室にずっと泊まり込みました。その時の経験から、いざとなった時に簡単に横になれる部屋の必要性を感じたわけです。しかもその部屋は事務所から見えないように配置されていますが、扉がついておりません。それは強い地震の揺れにより扉が開かなくなって閉じ込められることを防ぐために敢えてそうしました。

また、いざとなったらこの事務所全体が防災指揮所に代わることを想定し、役員等は一段高いところの配置とし、社員の誰からもその姿が見えるようにしました。非常時における防災のための指揮所の姿をまず最初にイメージして、平時はそこに営業部やシステム部を配置して定常事業をする…というコンセプトです。自然災害と真正面から向き合わないといけなくなることも十分想定される気象情報会社としては、狭いスペースと限られた予算の中でできる限りのことはしておいたつもりです。

ちなみに私は狭いながらも社長室という個室を用意していただきました。その社長室も個室といってもガラス張りです。社員達と一緒になって仕事をする…という私の気持ちをそうやって表現しました。私が他の常勤役員と同様、一段高いところに座らなかったのにも訳があります。それは後任の社長を育て、また組織としてまとまらせるには、私が一歩下がったポジションにいたほうがいいという判断がありました。もうその時点から私が退任する日が来ることを想定して、それに備えていました。

この事務所の移転の際に整備したのが予報センターです。気象予報会社は気象業務法の規定により24時間365日対応の予報施設の設置が求められるのですが、事務所を移転するまでは事務所の片隅や狭い会議室の1室を潰してそこにパソコンを置いて予報センターとしていました。それでは気象情報会社の予報センターとしてはあまりにもチンケで、お客様に自信を持ってお見せできる予報センターとはとてもとても言いがたいものでした。事務所を移転した大きな理由の1つにお客様に自信を持ってお見せできる予報センターを設置する…というのがありました。私が事務所の移転が社長に就任してからの悲願の1つだったと言うのは、そのためです。新しい予報センターは正面の壁一面に8基の大型ディスプレイを配置し、様々な気象情報やテレビ画面等を表示できるようにし、その8面のディスプレイの前に気象予報士達の席を配置しました。

それと同時に、それまで営業部やシステム部に所属する気象予報士達が当番であたっていた予報センター業務を、予報センター(組織名称は業務部)として独立した1個の組織として立ち上げ、そこが主体として業務を回すように変更しました。この整備により、どなたがお見えになっても気象情報会社として自信を持ってご紹介、ご案内できる形になったと思っています。形より中身だ…という方もいらっしゃるかと思いますが、まずは形からです。見た目で信頼していただけないようであれば、いくら中身があると言っても仕事はいただけません。中身はいただいた信頼の中から徐々に仕事を増やし、その仕事を通しての経験の中でできあがっていくと考えました。従事している担当者は予報現場での経験が豊富な社員達です。航空自衛隊の気象隊長経験者もいらっしゃいます。能力的には他社に決してヒケはとらないサービスをご提供できる自信はあります。

ただ、私がハレックス社の予報センターに求めているのは、他の会社もやっている従来型の予報センターではなく、弊社がソリューション型の気象ビジネスを今後展開していく上で鍵となるような新しいタイプの予報センターの構築です。私は、膨大なデータが次から次に気象庁から提供されるビッグデータ時代において、これからの気象情報ビジネスの本来あるべき姿は「見逃し防止は機械(コンピュータ)が行い、空振り防止は人(気象予報士)がやる」というスタイルだ…という思想のもとでコンピュータシステムや組織の整備を行ってきました。私が予報センターに求めているのは自社の予報の精度の分析機能、さらにはお客様が抱える課題と気象データとの因果関係を分析しお客様の判断や行動に直接結びつく形で予報に紐づくアドバイスまでもが行えるような予報センターです。予報センターは今後の弊社事業の柱となる最も重要な位置付けの組織です。立ち上げから2年。まだまだ販売費の補填で回しているようなところがありますが、徐々にお客様からいただける仕事も増えてきました。この予報センターが独り立ちできた時(予報センター業務単独で黒字に転換できた時)、弊社ハレックスのソリューション提供事業への転換は1つの完成形としての区切り迎える…と私は思っています。その日が1日も早く訪れることを心から期待しながら、楽しみに待つことにします。事業の基盤の整備はやったつもりです。あとは社員の皆さんの頑張り次第です。

そうそう、弊社ハレックスからの注文に応じてこの新しい事務所を整備してくれた野村不動産さんも、この弊社事務所はかなりの自信作になったようで、弊社が入居する前に写真をバチバチ撮影し、モデルオフィスとして営業に使われているやに伺っています。


6.8 気象ビジネス推進コンソーシアム(WXBC)
気象情報を活用する市場の拡大、さらには社員や気象予報士の皆さんの新たな活躍の場の創出に向けた取り組みとしては、気象庁さんが立ち上げられた気象ビジネス推進コンソーシアム(WXBC)のことを忘れることができません。気象ビジネス推進コンソーシアム(WXBC)とは、ビッグデータやIoT、AIが話題になる中、多様な気象データを高度利用することにより我が国における新たな産業活動の創出・活性化を行い、社会全体の生産性の向上を目指す組織のことです。2016年の10月、「国土交通省の生産性向上施策」の一環として、気象庁様からこのような組織の立ち上げを考えているのだが…というご相談を受けたのですが、その時、私は「それは素晴らしい! ハレックスは全面的にご協力させていただきます」と二つ返事で即答しました。ここまでこの長文をお読みいただいた方ならすぐにお分りいただけると思いますが、これこそ私が目指してこれまで『メタモルフォーゼ計画』と称して取り組んできたことそのものです。その『メタモルフォーゼ計画』を監督官庁である気象庁様が認めてくださったように思えて、超嬉しかったです。私が2007年や2008年に気づいたのとまったく同じことを気象庁様のクチからお聞きしましたしね。やっと時代が私に(ハレックス社に)追いついてきたように感じました。なので、協力をしないわけにはいきません。

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そもそもこういう動きは、監督官庁(役所)のほうからではなく、民間の業界団体が自ら主導で立ち上げるのが一般的です。それを監督官庁(役所)主導で立ち上げるというのは監督を受ける民間企業側としては「恥ずかしいことだ」という認識でいないといけないと私は思っています。「ずっと待っていたのに、痺れを切らして監督官庁自らが動き出した」ってことで。1ペナルティ、いや2ペナルティ、3ペナルティものです。監督官庁が自ら動き出す以上、全面的に協力するのは監督を受ける民間企業側としては当然のことで、せめて運営委員会に経営トップ自らが出席するくらいのことはしないといけません。それをしない(配下の社員に命じる)ということは経営トップとして論外である…というのが私の考えです。くわえて、経営のトップは社員達に「明るく夢のある未来」を与える責任があると私は常々思っています。それができないのであれば、その職位を即刻辞するべきである!…と。なので、私はWXBCに設けられる2つのWGである新規ビジネス創出WGと人材育成WGの両WGにも、当面私自らが委員として出席することを迷わず即決しました。全面的に協力するとお応えした以上はそうするくらいのことは当然のことだ!…とも。

気象ビジネス推進コンソーシアム(WXBC)は約半年間の準備期間を経て、2017年3月7日、250社以上の会社・団体が参加して発足しました。このWXBCの特徴は、この団体が単に民間気象情報会社だけが集まった団体ではないということ。気象情報のユーザー企業や団体、さらにはそうしたユーザー企業や団体に対してソリューションを提供するIT企業等もが集まった団体であるということです。発足時に気象庁の呼びかけに呼応した250社以上の会社・団体のうち、民間気象情報会社はほんの10社ほどに過ぎません。しかも、会長も2つのWGの座長も副座長もITの世界の人達。これはいったい何を意味しているのかってことです。

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私が気象情報の業界にやってきた時に大きな違和感を感じました。それは、この業界は総じて理学の業界であるということでした。対して私は工学の世界でそれまで生きてきた人間。大学は工学部を出て、その後は通信エンジニア、情報処理エンジニアとずっと工学の世界で生きてきました。で、理学と工学は同じ理系でも似て非なるものなのです。理学とは“理り(ことわり)”の学問という意味です。物理学、化学、生物学、地球科学、天文学、数学といろいろありますが、自然科学の基礎研究の諸分野の総称なのです。science(サイエンス)なんです。対して工学はエネルギーや自然の利用を通じて便宜を得る技術一般のことです。数学と自然科学を基礎とし、時には人文科学・社会科学の知見を用いて、公共の安全、健康、福祉のために有用な事物や快適な環境を構築することを目的とする学問です。英語で言うと“engineering(エンジニアリング)”なのです。engineeringは目的志向。同じ自然と向き合うにしても、向き合う視点が異なるのです。しかも、工学は理学がないと成立しないので、理学を“respect(リスペクト)”するわけなんです。気象学という自然科学の総本山とでも言うべき気象庁がWXBCの会長、座長、副座長にITという工学の世界の人達を持ってきたということは画期的とも呼べるもので、強い本気度を感じました。そして、気象情報の業界はWXBCが発足した2017年3月7日をもって、根底から大きく変わった…ということを実感しました。そして、それによって気象情報の市場が将来大きく拡大していくだろう…ということを感じました。おそらく10年後、「10年前の3月7日は気象の世界が大きく変わった記念日」と呼ばれるようになるのではないか…とも思いました。そのWXBCの立ち上げに大きく関われたこと、それも嬉しかったです。

そうそう、最近はビッグデータやIoT、AIといった言葉が流行っていて、総務省や経済産業省、農林水産省といった多くの省庁でそのビッグデータやIoT、AIに関連するプロジェクトが立ち上がったり、走ったりしていますが、ビッグデータやIoT、AIの本命、フロントランナーは気象庁、プロジェクトの本命、フロントランナーはWXBCだと思っています。他の省庁のプロジェクトは、大変に申し訳ない言い方になってしまいますが、仕組みの話が主体で、肝心要のビッグデータやIoTデータを持っていないので、より具体的な話に踏み込むことができない、なので遅かれ早かれそれがネックになると思っています。ですが気象庁は違います。気象庁には1日1.6T(テラ)バイトというビッグデータがあります。そしてそれが毎日のように次から次へと生成され更新されるのです。スーパーコンピュータを日常業務の中で日々運用している省庁って気象庁以外にありません。ビッグデータやIoT、AIの本命、フロントランナーは気象庁、プロジェクトの本命、フロントランナーはWXBCだという私の説の根拠は、そこにあります。繰り返しになりますが、私はそのことに約10年前に気づき、そして今回、IT屋としてWXBCの立ち上げに大きく関われたことを、私は誇りに思っています。

WXBCは現在はまだ潜在したままの気象ビジネスの新しい市場を掘り起こし、顕在化させるための取り組みです。1993年の気象予報業務の民間開放以来25年間、ずっと年間約300億円のまま変わらなかった気象情報ビジネスの市場規模ですが、私はその10倍の約3,000億円はあると思っていますし、気象情報の活用による経済効果はさらにその10倍の年間約3兆円はあるのではないか…と思っています。その大金脈を創り出そうというビッグプロジェクトです。私はWXBCのWGの場で、「新しい市場を創り出すまではco-operation(共同・協力)、competitor(コンペティター)を意識するのはその新しい市場ができてからです! まだ市場もできていないのにcompetitorを意識するってバカじゃないの?! 眠っている金脈は1つの会社だけで掘り起こせるような小さな規模のものではありません。それくらいならば、もう既に誰かが掘り起こしています。これまで25年間、誰も掘り起こせなかったくらいデッカイ大金脈です。ここに集まっている皆さんが一緒になってその大金脈を掘り起こしましょう! 気象情報はそれだけの可能性を秘めた素晴らしい情報です!」と何度も呼び掛けてきました。

発足から1年が経過し、会員企業・団体の数は300社を超えてさらに増加する傾向にあります。事務局を務めていただいている気象庁様は総務部情報利用推進課の中にWXBCの取り組みをさらに強力に推進するための専門の部署「気象ビジネス支援企画室」を設置なさいました。その気象ビジネス支援企画室には室長のほか2人の係長がいて、7名という陣容の立派な組織です。さらには全国に5か所の管区気象台にも気象ビジネス支援担当が設置されたと伺っています。役所で新しい組織を発足させるというのは大変にエネルギーが要ることだ…ということはNTTデータでずっと公共分野を担当し、国土交通省だけでなく多くの省庁様とこれまでお付き合いをさせていただいてきたので、よぉ〜く分かっています。こういうところにも気象庁様の「本気度」が伝わってきます。前述のように私はNTTデータ公共部門の開発担当や営業担当として国土交通省、総務省、経済産業省、法務省、外務省、農林水産省…といった省庁の方々と様々なプロジェクトで交流をさせていただいた経験を持っていますが、これほどまでに役所の本気度が伝わってくるプロジェクトに関われたのは初めてのことです。そのくらいここ2、3年で気象庁は大きく変わりました。監督官庁さんがこれほどまでに変貌を遂げたわけですから、私達、民間気象情報の業界もそれに呼応して考え方や事業への取り組みの仕方を変えていかないといけません。その気象庁様の大変貌のきっかけとなった1つが、前述の弊社の京浜急行電鉄様向けのシステムであったのであれば、これほど嬉しいことはありません。

そうそう、実際に金の鉱脈を掘るのは鉱学や鉱石学、結晶学といった理学ではなく、鉱山工学という工学です。気象も同じで、気象ビジネスの新しい市場という大金脈を掘り起こすのは理学の世界の人達ではなく、あくまでも(理学にリスペクトの気持ちを持つ)工学に属する人達であるということを常に忘れないでいただきたいと思っています。それがWXBCが成功するかどうかの大きな鍵である…と私は思っています。それは関係する皆さん共通の意識であっていただきたいと私は願っています。理学と工学は似て非なるものです。その違いについては……、ご自分でじっくりお考えください。世の中に新しい価値を創出し、それを様々な仕組みの中に実装して具現化するのは、あくまでも工学の役割です。これまで通信エンジニア、そしてITエンジニアという工学の人間としてそうした仕事にずっと従事できたことに誇りと喜びを感じます。エンジニアになって本当によかったです。


6.9 「霧の予報プロジェクト」スタート
WXBC関連では最後に「霧の予報プロジェクト」に関しても少し触れておかないといけません。このプロジェクトのそもそものきっかけは2016年10月末に遡ります。北海道TMRセンター連絡協議会の事務局を務められている道東の中標津町に本社のある税理士事務所オーレンス総合経営の福田専務(現社長)からご依頼があり、札幌市で開催された2016年度の北海道TMRセンター連絡協議会の総会後の勉強会で講演させていただいたことが最初です。(オーレンス総合経営の福田さんとはその約1年前に農林中央金庫系列のアグリビジネス投資育成社が東京で開催した若手農業経営者向けセミナーの講師控え室で初めてお会いしました。私と福田さんがその日の講師だったのですが、お会いして少し話をしただけで日本の農業に対する課題認識が同じであることが分かり、すっかり意気投合してしまいました。福田さんは私より随分若い方ですが…)

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TMR(total mixed rations)とは混合飼料のことで、乳牛の養分要求量に合うように粗飼料(牧草)、濃厚飼料、ミネラル、ビタミンなどをすべて混合し、自動給餌させる方式のことです。現在、北海道の道北・道東地方で大規模酪農をやられている農家さんの間では、10〜15軒の農家さんが共同でTMRセンターと呼ばれる一種の“乳牛の給食センター”を設立し運営するのが大きな流れとなっています。北海道TMRセンター連絡協議会は、北海道という豊富な飼料(牧草)生産基盤を生かし、酪農経営の安定化を目指そうという趣旨で設立された組織で、現在の会員は全道に約150あるTMRセンターが対象。それにJAやホクレン、飼料メーカー等の地元の酪農関連企業が加わります。事務局を務めているのが全道に3,000の顧客を抱える税理士事務所のオーレンス総合経営。北海道中の大きな農家さんの青色申告のお手伝いをしている会社です。そのオーレンス総合経営は青色申告のお手伝いをすることを通して各農家さんの抱えている経営の課題も熟知しています。で、酪農家が抱えている大きな課題を解決するために設立した北海道TMRセンター連絡協議会に関しても当初から事務局として関わってこられました。そのオーレンス総合経営様が私に講演を依頼してきた背景にはその年(2016年)の夏に北海道を3つの台風が相次いで上陸し多大な被害をもたらしたことが挙げられます。酪農も甚大な被害を受けました。そういう中、酪農家や酪農関係者の間で気象情報に対する関心が高まっているとのことでした。

北海道TMRセンター連絡協議会の講演では約250名の方に聴いていただきました。私はこれまで気象情報ビジネスの市場拡大のため全国各地でたくさんの講演をさせていただいたのですが、その中で最も手応えを感じたのがこの北海道TMRセンター連絡協議会での講演でした。この講演が好評だったこともあって、今度はオーレンス総合経営の本社がある道東(知床半島のつけ根)の中標津町での講演を依頼されました。北海道TMRセンター連絡協議会での講演の4ヶ月後の2017年の2月のことです(寒かったぁ〜)。主に中標津町と隣の別海町の酪農関係者を集めた講演会だったのですが、そこにも130名を超える方にお集まりいただき、北海道TMRセンター連絡協議会での講演と同じ話をさせていただきました。この講演も手応えが十分にありました。食い入るような目という表現がありますが、まさにその食い入るような目で聴いていただきました。私がこれまでにやらせていただいた数多くの講演のうち、最も真剣に私の話を聴いていただいたのは、この酪農関係者向けに行った2つの講演ではなかったか…と思っています。正直いうと北海道でこの2つの講演をやらせていただくまで、私も酪農が気象にこれほどまでに影響を受ける産業であることを知りませんでした。で、この2つの講演を通して目覚めたわけです。

その中標津町での講演の場で聴いていただいた方との間で次のような質疑応答がありました。

「俺は3つの有料の気象情報サイトを利用しているのだけれど、3つそれぞれ予報が微妙に違う。それはどうしてなのか? この3つのうちの1つはほぼ当たるのだけれど、他の2つはまったく酪農では使い物にならない」
思わぬ質問だったので、これにはさすがにビビりましたね。それを聞いて私は弊社の提供しているサービスがまったく使い物にならないと言われている方に入っていたらどうしよう…と内心ドキドキしながら、次のように返しました。
「ちなみに、ほぼ当たるというのはどこのサービスですか?」
すると
「マピオンだ。ほかはダメだ。」
「えっ! 安心しました。マピオンさんの気象データは弊社からご提供させていただいているものです。他社のサービスの名前が出たらどうしよう…とドキドキしていました。で、3つそれぞれの予報が微妙に違っているのはですね…」
と言って、弊社の『HalexDream!』の仕組みについて説明をさせていただきました。
すると「そのマピオンの天気予報でも当たらない時がある。天気予報は晴れで、レーダーにも雨雲のマークが出ていないのに雨が降るんだ。それもけっこうな量の雨が…」
これには再び「えっ?!」っと私。レーダーにも映らない結構な量の雨っていったい?!

そのレーダーにも映らない雨の正体が地元で「ジリ」と呼んでいる非常に濃い海霧のことでした。この「ジリ」、正式名称を「移流霧」と言って、主に夏場にオホーツク高気圧により南の太平洋の方から流れ込んでくる温かくて湿った空気が、オホーツク海を流れる寒流である親潮により冷たくなった海面の上を移動することにより下層から冷やされることによって発生する海霧のことです。この移流霧は非常に水分の密度が濃く、長時間長続きすることが特徴で、海面からの厚さは100メートルから200メートルほどがほとんど。海面からの厚さ(高度)が低すぎて降雨レーダーにも映らないのです。移流霧が発生した海域では、船舶にとっては大きな障害となるほか、北日本ではこの霧が陸地に流れ込んでくると気温が上がらなくなり、農業においても深刻な冷害を引き起こす原因ともなります。酪農でも同じで、移流霧が通過した跡には水溜りができるほどの状態になるので、牧草がビショビショに湿ってしまって刈り取りができないのだそうです。

牧草はサイロに入れて乳酸菌で発酵させ、サイレージと呼ばれる乳牛の餌になります。そのサイレージが乳牛という“生きた機械”を通すことによって生乳に変わるわけです。なので、生乳の品質も量もまさに“原料”となるサイレージによるわけなんです。で、湿った牧草をサイロに入れて発酵させると牧草の繊維が溶解してしまい、牧草の品質が低下してしまいます。乳牛さんだってグルメなので、品質が低下し美味しくなくなった餌なんて食べません。品質が低下したサイレージの栄養素を補うために濃厚飼料、ミネラル、ビタミンなどを加えるのですが、それではコストがかかってしまいますし、乳牛だって“薬漬け”になってしまって、身体に良くありません。湿った牧草をサイロに入れて発酵させるとサイレージがカビてしまって、サイロ1本がまるでダメになってしまうことさえあるのだそうです。TMRセンターで使用しているサイロは北海道の風景として有名な円筒型としたサイロではなく、横幅約20〜30メートル、奥行き約100メートル、高さ約10メートルほどの巨大なプールのような形をしたバンカーサイロで、大規模なTMRセンターではそうしたバンカーサイロが10本ほど建ち並んでいます。そのバンカーサイロが1本まるまるダメになってしまうと数千万円の損害を出してしまいます。まさに移流霧の予報の実現は酪農家が待ち望んでいることだと実感しました。

そういうこともあって、北海道TMRセンター連絡協議会の会長である道北の浜頓別町にあるエバーグリーンTMRセンターの佐々木社長が自ら名乗りでていただいて、弊社ハレックスと一緒になってその移流霧の予報ができるのか2017年度から実証実験をやってみようということになりました。

前述のように気象の予報は、「数値予報のデータ」と「予報ガイダンス」と「実測データ」が“三種の神器”です。このうち、現在気象庁から提供されている霧の予報に使える情報は「数値予報のデータ」のみ。霧の予報ガイダンスも気象庁の内部にはあり、濃霧警報などの警報を出す参考には使われているそうなのですが、まだ一般には提供が行われておりません。なのではじめは数値予報のデータだけをもとにして、あとは弊社予報センターの気象予報士の知識と経験だけを頼りにしました。実測データに関してはエバーグリーンTMRセンターの事務所の屋上にライブカメラを設置し、その映像を弊社の予報センターに引き込んで霧の発生を観ることにしました。実際、そのライブカメラで観たジリ(移流霧)には驚いてしまいました。霧というとあたり一面が真っ白な状態になるイメージなのですが、ジリはグレー色。それも濃いグレー。光を遮るくらいに水分の密度の濃い霧なのでグレー色なのでしょう。それが海のほうからだんだんと迫ってくるのです。これは通過した跡に水溜りができる…というのも分かります。で、予報の結果はというと、かなり苦戦したのは事実です。2017年の夏はオホーツク高気圧がずっと北海道の北のオホーツク海に停滞した関係で、非常に移流霧が発生しやすい状況が続きました。なので、移流霧が発生しそうにない日(刈り取り作業のできる日)の予報を出すのが求められたのですが、これがなかなか難しい。局地的な霧の予報を出すことの難しさを実感しました。

それで翌2018年にはやり方をやってみようと思ったのです。「数値予報のデータ」だけではなく「霧の予報ガイダンスもどき」の情報を数値予報データをもとに独自で作ってみて、2018年に備えようとしたのです。一口に霧といっても移流霧、放射霧、蒸発霧、蒸気霧、前線霧、滑昇霧、混合霧、逆転霧…と発生メカニズムの違いにより幾つもの種類があるのです。これに各地の地形特性が加わります。気象庁が霧の予報ガイダンスを一般に発表しないのはそれだけ難しいから。なので、発生メカニズムを移流霧に限定し、地域も北海道の道北と道東に限った霧の予報ガイダンスなら作れるのではないか…と考えたわけです。そういう中で、北海道の農業分野を担当してもらっている弊社営業の女性気象予報士S社員がM-SAKUネットワークスの遠藤さんに何かもっと有効な手段は考えられないか…と相談を持ちかけました。

M-SAKUネットワークスの遠藤さんは電電公社における私の10期(確か)先輩にあたります。私は20歳代後半に電電公社本社技術局という部署で全国の伝送路網のディジタル化の仕事をさせていただいたのですが、その時に横須賀電気通信研究所の研究室長(確か)としてご一緒させていただいたのが、この遠藤さんでした。遠藤さんの研究室で技術開発した技術を実際の伝送装置や伝送制御システムに実装して実用化するのが私が所属していた部署でした。現在、遠藤さんはNTTを退職されて、長野県の佐久市で農業をなさいながら、今もデータ活用型農業の確立に向けて精力的に取り組んでおられます。今から約3年前、その遠藤さんと約30年ぶりにNTT持株会社の主催する農業WGの場で再会しました。今は弊社ハレックスのアドバイザーを務めていただいていて、遠藤さんは遠藤さんで、M-SAKUネットワークス代表としてWXBCの会員となられて活動なさっています。

遠藤さんと私が常々言っていることがあり、それは今の気象ビジネスの世界で起きていること、さらには農業の世界で起きていること、それって今から30数年前、通信の世界で起きたことと非常によく似ているということです。今から30数年前、通信の世界は光ファイバーケーブル網の敷設を背景としたアナログからディジタルへの一大転換が行われました。遠藤さんも私もそのディジタル化を現場の最前線で直接経験させていただいた数少ない人間の1人です。その2人がまったく同じことを感じているので、これは間違いありません。遠藤さんを気象の世界に引っ張りこんだのは私なのですが、遠藤さんからは「越智さんありがとう。この年齢になってまた伝送路網のディジタル化に没頭したあの頃と同じ感覚が味わえるなんて思ってもみなかった」と子供のようなキラッキラした目でおっしゃっていただいています。これには私もまったく同感です。私も2007年の気づき以来、同じことを考えていましたから。全国の伝送路網のディジタル化を現場の最前線で直接経験させていただいた者だから言えることですが、ディジタル化をしたことで、世の中がどれだけ大きく変わったか…ってことです。ディジタル化する前の電電公社の職員の数と現在のNTTグループ全体の社員の数を比べれば何倍になったか…ということです。それだけディジタル化によってビジネスの幅が広がったということです。今、気象ビジネスの世界でも農業の世界でも同じことが起きようとしています。これは興奮せざるを得ません。(伝送路網のディジタル化の際にもそれを受け入れられない人達が電電公社の社内にも数多くいらっしゃいました。そういう方たちがその後どうなったかは申し訳ないですがよく存じ上げておりません。その後怒涛のように変化する通信の世界の変貌の前に静かにフェードアウトなさったのかもしれません。)

余談が長くなってしまいました。霧の予報プロジェクトのほうに話を戻します。弊社のS社員から相談を持ちかけられた遠藤さんと私が会ったのはその数日後のことでした。WXBCの運営委員会が終わった直後だったので、大手町の某喫茶店でした。そこでいろいろと方法論を議論したのですが、最新の気象観測衛星ひまわり8号/9号で観測される下層雲のデータを使って、夜中の夜霧の段階で霧の発生の実測データを取ることができれば、霧の予報の精度は格段に上がるはず…って結論になりました。それまで霧の実測データとしてはライブカメラの画像だけでした。これでは残念ながら夜が明けて周囲が明るくなってからでしか使えません。それをもっと早い段階で霧が発生しているということが分かれば、「数値予報のデータ」と「霧の予報ガイダンスもどき」と合わせて予報のための“三種の神器”が揃うと考えたのです。それからこのプロジェクトの基本的な進め方についてイメージ画を2人で描いていったのですが、描いたのは喫茶店の紙ナプキンの上に…でした。なにか大きなことが動き出す時って、たいていこんなものです。

善は急げ…ということでその場で気象庁情報利用推進課(WXBC事務局)にアポイントメントを入れ、協力要請のお願いに行きました。さすがに紙ナプキンに手描きのなぐり書きで描いたイメージ画はPCで見た目綺麗に直しましたが…。気象庁(WXBC事務局)もWXBCの1年間の目玉となる成果を求めていたこともあって、WXBCの枠組みでやっていただけるならば、気象庁はできる限りの協力はするとおっしゃっていただきました。もとよりそのつもりでしたので、WXBC会員であるNTT持株会社、富士通、日立製作所さんにもお声を掛けることにしました。お声を掛けた3社とも即決でご快諾いただいたので、プロジェクトを発足させることにしました。もちろん、実証実験場所をご提供いただける北海道浜頓別町のエバーグリーンTMRセンター様、JAひがし宗谷様、ホクレン様、北海道TMRセンター連絡協議会事務局のオーレンス総合経営様も引き続き協力いただけることを確認しました。2017年の12月のことです。

このプロジェクトに関しては年が明けて今年(2018年)に入って思いもよらなかった大きな動きを見せることになりました。2月13日、内閣官房主催の「未来投資会議構造改革徹底推進会合 地域経済・インフラ会合(農林水産業:第6回)」で国土交通省(気象庁)が発表した資料に、WXBCのこの1年間の最大の成果ということで掲載して気象庁次長にご説明していただきました。気象庁長官から国土交通大臣にも説明したそうなので、さらにはもしかしたら未来投資会議構造改革徹底推進会合の座長である安倍総理大臣にも伝わっているかもしれません。この資料は首相官邸のHPからダウンロードして見ることができます。首相官邸HPの掲載案件ですので、最近話題になった「首相案件」ってやつですね(笑)。実はその2月13日は私の誕生日。62歳になった最高の誕生日プレゼントになりました。

さらにはこのプロジェクトのことがNTTの研究部門のトップであるNTT持株会社の篠原副社長(次期会長)の耳にも入り、「これは素晴らしい! これこそがNTTが取り組むべき研究のテーマだ」とおっしゃったそうで、NTT コミュニケーション科学基礎研究所(NTT CS研)に対してこのプロジェクトに積極的に協力せよという指令が出されたやに伺っています。担当していただけるのはCS研の機械学習センター。名称のとおりAIを専門に研究している部署です。とても心強いところが(日本最高の研究機関が)バックについていただけました。霧の予報をAIの機械学習に基づいて実施する…、これにより将来的にはサービス提供の半自動化が図られ、サービス提供の対象となるTMRセンターの数を一気に増やしていくことも可能となります。さらには対象とする霧の種類も増やしていけば、船舶向けや航空機向け、道路管理者向け…とマーケットそのものも拡大することも可能になってきます。これは遠藤さんがビッグデータの本命とも言える気象データの可能性に気づき、粘り強くNTT持株会社に働きかけていただいたおかげです。

同時にこれはこの15年間、私が追い求めていたことの1つの成果であるとも言えました。ハレックスはNTTデータグループ、NTTグループ唯一の気象情報会社ではあるのですが、なかなかグループ内でのプレゼンス(存在感)が薄く、それによりNTTデータグループ、NTTグループの気象情報会社らしい価値の創出もこれまでなかなかできてきませんでした。苦節15年、代表取締役社長を退任する直前になってその端緒だけは開くことができたかな…と嬉しく思っています。

さらには、ついに気象観測衛星ひまわりの衛星データの活用に踏み出すことができたこと。これはエンジニアとしての悲願でもありました。私はオンラインリアルタイム・ビッグデータ処理を実現したことで世の中の注目を集めたことがありましたが、それは1日約5万電文、50Gバイトの数値予報のデータ等を扱っただけに過ぎません。いっぽうで、気象庁が扱っている(通り過ぎていく)全データの量は1日約1.6Tバイト。50Gバイトなんて気象庁が扱っている全ての情報からしたら僅か3%程度の規模のものに過ぎません。97%のデータがまだ使い倒せないで残ったままになっています。それが分かっていたので、ビッグデータで注目を集めた時にも「この程度のことでビッグデータ、ビッグデータと騒がれてもなぁ〜」って冷めた感じで思っていました。使い切れていない残り97%のデータというのが気象観測衛星ひまわりの衛星データのことで、ついにそのデータを活用するビジネスを具体的に考えられるようになったのか…と、感慨深く思っています。

私の大きな置き土産のようになってしまったこの「霧の予報プロジェクト」、是非ともプロジェクト関係者全員で一致団結して推進していただき、大きな成果を出していただきたいと願っています。


7.私が社長在任中に発生した自然災害と被害の状況
7.1 私が社長在任中に発生した自然災害と被害の状況
気象情報会社の代表取締役社長を務めさせていただいた者としては、在任中に発生した自然災害と被害の状況についても触れないといけません。気象予報士有資格者の活用による気象防災アナリストの必要性について触れたところでも少し書かせていただきましたが、気象に関わる者として、毎年のように発生する自然災害には、常に心を痛めており、被害の情報を目にするたび、少しでも被害を少なくするために私達(ハレックス社)でできることはないのだろうか…とずっと考えてきていました。まだまだ気象防災アナリスト以外に明快な答えは見つかっておりませんが、これに関しては少しでも自然災害に関わった者としての責務と考えておりますので、社長退任後もずっと考えていきたいと思っております。加えて、防災士の資格も持っておりますので、少しでも地域社会のお役に立てることがあれば、積極的に関わっていきたいと思っています。

私がハレックス社の社長在任中に発生した主な自然災害とその被害の状況を以下に列記します (風水害に関しては不幸にして死者を出してしまった災害のみを記載) 。抜けがあったら、ごめんなさい。

【2003年】
《風水害》
7月梅雨前線豪雨(7月)…死者23名
台風10号(8月)…死者17名、行方不明2名
台風14号(9月)…死者2名
《主な地震等》
宮城県沖を震源とする地震(5月26日、M7.1、最大震度6弱)
宮城県北部を震源とする地震(7月26日、M5.6、最大震度6弱)(同日、M6.4、最大震度6強)
十勝沖地震(9月26日、M8.0、最大震度6弱)(同日、M7.1、最大震度6弱)

【2004年】
《風水害》
台風4号、6号(6月)…死者2名、行方不明3名
新潟・福島豪雨(7月)…死者16名
福井豪雨(7月)…死者4名、行方不明1名
台風10号、11号及び関連する大雨(7月)…死者3名
台風15号と前線に伴う大雨(8月)…死者10名
台風16号(8月)…死者14名、行方不明3名
台風18号(8月)…死者41名、行方不明4名
台風21号と秋雨前線に伴う大雨(9月)…死者26名、行方不明1名
台風22号(10月)…死者7名、行方不明2名
台風23号(10月)…死者95名、行方不明3名
11月11日〜12日にかけての大雨(11月)…死者1名
《主な地震等》
新潟県中越地震(10月23日、M6.8、最大震度7)(同日、M6.0、最大震度6強)(同日、M6.5、最大震度6強)(同日、M5.7、最大震度6弱)(10月同日、M6.1、最大震度6弱)…死者46名
浅間山噴火(9月)
紀伊半島沖を震源とする地震(9月5日、M6.9、最大震度5弱)
東海道沖を震源とする地震(9月5日、M7.4、最大震度5弱)

【2005年】
《風水害》
北陸地方等の大雨(6月)…死者1名
7月1日からの梅雨前線による大雨(7月)…死者5名
7月8日から10日頃の梅雨前線による大雨(7月)…死者6名
台風14号と豪雨(9月)…死者27名、行方不明2名
《雪による被害》
平成17年豪雪(1月)…死者35名
平成17年豪雪(2月)…死者36名
平成17年豪雪(3月)…死者12名
平成18年豪雪(12月)…死者50名、特急いなほ14号脱線事故
《主な地震等》
福岡県西方沖地震(3月20日、M7.0、最大震度6弱)(4月20日、M5.8、最大震度5強)…死者1名
千葉県北西部地震(7月23日、M6.0、最大震度5強)
宮城県沖地震(8月16日、M7.2、最大震度6弱)

【2006年】
《風水害》
平成18年7月豪雨(7月)…死者32名
台風第13号(9月)…死者9名
《雪による被害》
平成18年豪雪(1月)…死者68名
平成18年豪雪(2月)…死者22名
平成18年豪雪(3月)…死者10名
《竜巻による被害》
北海道佐呂間町竜巻災害(11月7日)死者9名
《主な地震等》
伊豆半島東方沖地震(4月21日、M5.8、最大震度6弱)
大分県西部地震(6月12日、M6.2、最大震度5弱)
千島列島沖地震(11月15日、M8.3)

【2007年】
《風水害》
台風第4号(7月)…死者3名、行方不明2名
台風第9号(9月)…死者1名
《主な地震等》
能登半島地震(3月25日、M6.9、最大震度6強)(同日、M5.3、最大震度5弱)…死者1名
三重県中部地震(4月15日、M5.4、最大震度5強)
千島列島沖地震(1月13日、M8.1)
新潟県中越沖地震(7月16日、M6.8、最大震度6強)(同日、M5.8、最大震度6弱)…死者15名

【2008年】
《風水害》
平成20年8月末豪雨(8月)…死者3名
都賀川水難事故(8月)…死者5名
《主な地震等》
岩手・宮城内陸地震(6月14日、M7.2、最大震度6強)(同日、M5.7、最大震度5弱)…死者17名、行方不明6名
岩手県沿岸北部地震(7月24日、M6.8、最大震度6弱)…死者1名

【2009年】
《風水害》
平成21年7月中国・九州北部豪雨(7月)…死者31名
台風第9号(8月)…死者26名、行方不明1名
台風第18号(10月)…死者6名
トムラウシ山遭難事故(7月16日)…死者8名
《主な地震等》
駿河湾地震(8月11日、M6.5、最大震度6弱)…死者1名

【2010年】
《風水害》
奄美豪雨(10月)…死者3名
7.16庄原ゲリラ豪雨(7月)…死者1名
《主な地震等》
沖縄本島近海地震(2月27日、M7.2、最大震度5弱)
父島近海地震(12月22日、M7.8、最大震度4)
2010年チリ地震(2月27日、M8.8)

【2011年】
《風水害》
台風第1号(5月)…死者4名
台風第2号(5月)…死者1名、行方不明2名
台風第5号(6月)…死者2名
台風第6号(6月)…死者2名、行方不明1名
平成23年7月新潟・福島豪雨(7月)…死者4名
台風第12号(8月)…死者83名、行方不明15名
台風第15号(9月)…死者16名、行方不明2名
《雪による被害》
平成23年豪雪
《主な地震等》
三陸沖地震(3月9日、M7.3、最大震度5弱)
東北地方太平洋沖地震(3月11日、M8.4、最大震度7)(余震:震度1以上: 13,386回、震度4以上: 383回、M5以上: 929回)…死者15,895名、行方不明2,539名
長野県北部地震(3月12日、M6.7、最大震度6強)(同日、M5.9、最大震度6弱)(同日、M5.3、最大震度6弱)…死者3名
静岡県東部地震(3月15日、M6.4、最大震度6強)
福島県浜通り地震(4月11日、M7.0、最大震度6弱)…死者4名
長野県中部地震(6月30日、M5.4、最大震度5強)…死者1名

【2012年】
《風水害》
爆弾低気圧(4月)…死者5名
台風第4号(6月)…死者1名
平成24年7月九州北部豪雨(7月)…死者30名、行方不明2名
台風第15号(8月)…死者1名
台風第17号(9月)…死者1名
台風第21号(10月)…死者1名
《雪による被害》
平成24年豪雪(1月〜3月)…死者
132名
《主な地震等》
三陸沖地震(3月14日、M6.9、最大震度4)
千葉県東方沖地震(3月14日、M6.1、最大震度5強)…死者1名
オホーツク海南部深発地震(8月14日、M7.3、最大震度3)
三陸沖地震(12月7日、M7.3、最大震度5弱)…死者3名

【2013年】
《風水害》
平成25年7月28日の島根県と山口県の大雨(7月)…死者2名、行方不明2名
台風第18号(9月)…死者6名、行方不明1名
台風第26号(10月)…死者40名、行方不明3名、伊豆大島土砂災害
台風第27号(10月)…死者1名
《雪による被害》
平成25年豪雪(1月〜2月)…死者9名
《主な地震等》
十勝地方南部地震(2月2日、M6.5、最大震度5強)
淡路島地震(4月13日、M6.3、最大震度6弱)
三宅島近海群発地震(4月17日、M6.2、最大震度5強)
オホーツク海深発地震(5月24日、M8.3、最大震度3)

【2014年】
《風水害》
台風第8号(7月)…死者7名
平成26年8月豪雨(8月)…死者84名、広島市安佐南区の土砂災害
台風第11号(8月)…死者1名
台風第12号(8月)…死者12名
礼文島土砂災害(8月)…死者2名
台風第16号(9月)…死者1名
台風第18号(9月)…死者6名
台風第19号(10月)…死者3名
《雪による被害》
平成26年豪雪(1月〜3月)…死者39名
《主な地震等》
伊予灘地震(3月14日、M6.2、最大震度5強)
伊豆大島近海地震(5月5日、M6.0、最大震度5弱)
御嶽山噴火(9月27日)…死者58名、
日本における戦後最悪の火山災害
長野県神城断層地震(11月27日、M6.7、最大震度6弱)

【2015年】
《風水害》
平成27年9月関東・東北豪雨(9月)…死者14名、鬼怒川、最上小国川が氾濫し、茨城県、栃木県、宮城県で大規模な洪水被害
《主な地震等》
口永良部島噴火(5月29日)
小笠原諸島西方沖地震(5月30日、M8.1、最大震度5強)
弟子屈地震(6月4日、M5.0、最大震度5弱)

【2016年】
《風水害》
台風第10号(8月)…死者23名、行方不明4名、岩手県、北海道で甚大な被害
台風第16号(9月)…死者1名
《雪による被害》
平成28年豪雪(1月)
《主な地震等》
熊本地震(4月16日、M7.3、最大震度7)( M5.0以上、最大震度3以上の余震が11回)…死者267名
内浦湾地震(6月16日、M5.3、最大震度6弱)
鳥取県中部地震(10月21日、M6.6、最大震度6弱)

【2017年】
《風水害》
那須雪崩事故(3月)…死者8名
平成29年7月九州北部豪雨(7月)…死者37名、行方不明4名、福岡県朝倉市を中心に甚大な被害
台風第5号(7月)…死者2名
台風第18号(9月)…死者6名
台風第21号(10月)…死者10名
《主な地震等》
豊後水道を震源とした地震(6月20日、M5.0、最大震度5強)
長野県南部を震源とした地震(6月25日、M5.6、最大震度5強)
鹿児島湾を震源とした地震(7月11日、M5.3、最大震度5強)
福島県沖を震源とした地震(10月6日、M5.9、最大震度5弱)

【2018年】
《雪による被害》
平成30年豪雪(1月~2月)…死者2名
《主な地震等》
草津白根山噴火(1月)…死者1名
霧島山新燃岳噴火(3月)
島根県西部地震(4月9日、M6.1、最大震度5強)


私がハレックス社の社長在任中にもこんなにたくさんの自然災害が発生し、圧倒的な破壊力を持つ自然の脅威の来襲の前に実に多くの方々が被害に遭われました。自然の脅威の来襲により尊い生命を亡くされた大勢の方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。合掌…………。また、その何倍、いや何十倍、何百倍もの非常に多くの怪我を負われた方々、家屋の倒壊や浸水、田畑の浸水等の被害に遭われた方々に心よりお見舞いを申し上げます。

7.2 新潟県中越地震と東日本大震災
これらのたくさんの自然の脅威の来襲によりもたらされた災害のうち、一番強く思い出に残っているのは、やはり2004年10月23日に発生した新潟県中越地震と、2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震、いわゆる東日本大震災です。

新潟県中越地震が発生したのは私がハレックス社の代表取締役社長(非常勤)に就任した翌年のことでした。就任以来、なんとか崖っぷちに立たされていたハレックス社の経営を立て直そうとバタバタバタバタもがき苦しんでいた時期で、前述のようにグルメサイトの運営に乗り出すなど、今から考えると迷走していた時期のことでした。その時に見た被災地からのテレビ映像に私は大変大きな衝撃を受けました。それと同時に「俺、いったいなにをやっているんだろう…」という思いも抱きました。気象情報会社が扱っているのは気象、地象、海象に関する情報。すなわち、人々の生命と財産をお守りするという側面を持つ情報です。従って気象情報会社は気象庁さんと一緒になって人々の生命と財産をお守りするために役立つ情報を出すのが本来の仕事の筈。そこが経営再建策とはいえ、「Happy Life Expert:生活達人応援企業」の名のもとにグルメサイトの運営などに乗り出していいものなのだろうか…という大きな迷いが生じたのも事実です。そして、この時に受けた衝撃の大きさがその翌年2005年に出した「本業回帰宣言」、さらには気象、地象、海象という全ての分野での気象予報認可の取得に向けての動きに繋がります。

そして、その7年後の2011年3月11日に東北地方太平洋沖地震、いわゆる東日本大震災を迎えます。この時、私はNTTデータを卒業して専任社長として『メタモルフォーゼ計画』に着手し、その第1章の2年目を終わろうとしているところでした。
その日、私は以前の事務所の5階にある会議室で確かNTTデータのお客様と打ち合わせをしていました。14時46分、社内にビィービィーというけたたましい警報音が鳴り響きました。緊急地震速報の高度利用者向け地震動予報を提供している弊社では、日本列島で震度5弱以上の地震が発生した時には社内に警報音が鳴り響くようにしていたのです。何ごとが起きたのか…と不安そうな顔をされているお客様を前に、私は内線電話をとり、弊社のシステム監視センターを呼び出しました。
私「どこだ?」
すると、監視センターの担当者は絶叫するような声で
監「宮城です。震度7!」
私「なにぃ?! 東京は?」
監「震度5強、来まぁ~す! 32、31、30……」
カウントダウンが始まりました。緊急地震速報の高度利用者向け地震動予報では登録されている1kmメッシュごとに地震波が到達するまでの時間と想定される揺れの大きさを通知する機能が用意されていて、弊社の「なまずきん」では震源から同心円を描いて地震波が広がっていく様子がディスプレイ画面に表示されるようになっています (余談ですが、2006年に公開された草彅剛さん柴咲コウさん主演の映画『日本沈没』では、弊社の「なまずきん」のこのディスプレイ画面が効果的に使われて、上映終了後に流れるクレジットの中に「協力ハレックス」の文字が書かれていました)。「32、31、30……」は東五反田のハレックス本社に地震波が到達するまでのカウントダウン時間です。あと30秒弱で震度5強の強い揺れが東京を襲ってくることが分かりました。私は不安な顔をしたNTTデータのお客様に「大きな地震が発生し、震度5強の強い揺れがここにもやって来ます」と伝え、会議室の内部を見回しました。「大丈夫です。この部屋には危険なものはありませんから。皆さん、念のため机の下に身を隠してください」そう言うと、私は会議室のドアを開け、傍にあったコピー用紙の入った箱を挟み込みました。閉じ込められないようにするためです。避難階段へのドアも同様に傍にあった消火器か何かを挟み込んで閉じ込められないようにした記憶があります。そうして私が屋外への避難路を確保して会議室に戻ってきた時、ゴォ~~ドォ~ンって感じの鈍い音とともに立っていられないような強い揺れが襲ってきました。

強い揺れが収まった後、私は監視センターに行き、社員達と一緒に「なまずきん」のディスプレイ画面をずっと眺めていました。弊社は気象庁が発表するすべての地震動を受信するようにしているので、ディスプレイにはマグニチュード(M)1以下の極小さな余震が無数発生していることうを示す複数の同心円が表示されていました。本震から1時間足らずの間にM7以上の強い地震が立て続けに3回発生。このうち、本震から約30分後の15時15分には茨城県沖を震源とするM7.6の最大余震が発生し、茨城県鉾田市で震度6強を観測しました。その後はテレビが伝える現地の様子の映像と「なまずきん」のディスプレイ画面の両方を観ながら、表現のしようがないくらいの強い恐怖感に襲われていました。さらにこれに津波の恐怖が加わります。

気象庁はまだ本震の揺れが続いている中の14時49分、岩手県、宮城県、福島県の沿岸に津波警報(大津波)、その他の全国の太平洋沿岸などに津波警報・津波注意報を発表しました。そして、地震によって発生した観測史上最大級の非常に大規模な津波は、本震発生から約30分後の15時15分過ぎから次々と陸地を襲ってきました。検潮所の測定による津波の高さは、岩手県の宮古で8.5m以上(15時26分)、釜石で4.2m以上(15時21分)、大船渡で8.0m以上(15時18分)、宮城県の石巻市鮎川で8.6m以上(15時26分)、福島県の相馬で9.3m以上(15時51分)……。想定をはるかに超える高さの大津波が次々と陸地を襲い、各地で防潮堤や堤防を乗り越え、建築物や構造物を破壊し、それらが瓦礫となって車などと一緒にさらに内陸まで侵入した後、今度は引き波となって瓦礫を海まで引きずり出しました。さらにその後、後続の波によって再び内陸へという形で繰り返し沿岸を襲い、甚大な被害を出しました。特に岩手県・宮城県・福島県の3県では、海岸沿いの集落が軒並み水没したのをはじめ、仙台平野などの平野部では海岸線から数km内陸までの広範囲にわたって水没、遡上した津波により河川沿岸ではかなりの内陸部まで水没しました。自然が持つ圧倒的な破壊力をまざまざと見せつけられ、私はただただ呆然とテレビ画面でその様子を見守ることしかできませんでした。私に襲ってくるのは、ただただ無力感だけだったように記憶しています。

「6.7 事務所の移転と予報センターの設置」のところでも述べましたが、弊社は緊急地震速報サービスを全国50局を超えるテレビ局様や東北電力様などに提供していたこともあって、人々の生命と財産に直接関わるこのサービスの提供を絶対に停めるわけにはいかない…という思いから、我に返った私は同サービスに関係する社員が交代で泊まり込むように指示を出しました。それまでも弊社監視センターで24時間365日の監視体制は敷いていたのですが、万が一のことに備えてその態勢を厚くしたわけです。私も確か3日後か4日後に妻に着替えと寝袋を持ってこさせて、地震発生の当日から2週間、社長室にずっと泊まり込みました。私が会社を離れている時に再び強い地震が襲ってきて、会社に戻れなくなることを恐れたからです。で、その会社に泊まり込んだ2週間。こういう時、地震の情報も扱っている気象情報会社としてできることは何かないのか?…社長室の床に寝袋にくるまって横になり、天井を見つめながらそのことばかりを考えていました。

当時、弊社は宮城県仙台市のテレビ局に気象キャスターを4名派遣したのですが、その4人との電話連絡がなかなか取れなかったのですが、夜に入ってなんとか全員無事であることが確認できました。その4人に救援物資を届け、激励をするために私が仙台に向かったのは、地震発生からちょうど2週間後の3月25日のことです。地震発生直後から東京と仙台の間の交通手段は完全に途絶えていました。空路は仙台空港の滑走路が津波で冠水し、空港ターミナルビルも大きな被害を受けたため、離着陸を停止していました。鉄道も東北新幹線が、仙台駅など5つの駅が被害を受けたほか、電柱や架線、高架橋の橋脚など約1,100箇所が損傷したため、全線で運休していました。東北自動車道はなんとか通行ができたようなのですが、公安委員会により緊急交通路に指定され緊急車両専用となったので広範囲の路線で通行止めとなっていました。その東北自動車道の通行止めが解除され、一般車両の通行が可能となったのは3月24日のことです。その通行止めの解除を受け、東北自動車道を使って東京と仙台とを結ぶ復旧支援バスが運行されるというニュースが入ってきたので、その初日の3月25日の便を予約し、救援物資を持って仙台に行くことにしたわけです。

地震発生から2週間が経過し、余震の発生も随分と収まってきていましたし、弊社のシステムも安定して稼動し続けていたので、私もそろそろ社内の緊急事態態勢を解除しようとしていた矢先でした。私は社内の緊急事態態勢を解除し、いったん自宅に戻り、久しぶりに自宅の風呂に浸かってサッパリした後、JR上野駅発JR仙台駅行きの夜行の復旧支援バスに乗り込みました。

一般車両の通行が可能となったとは言え、東北自動車道は各所で路面が損傷しているようで、速度規制がかかっていて、高速道路とは言っても一般道以下の遅い速度でバスは進みます。途中立ち寄ったサービスエリア(SA)では被災地支援に向かう陸上自衛隊の大型車両が何台も停まっていました。その車両の周囲で迷彩模様の陸上自衛隊戦闘服を着た隊員達がキビキビと動き回っています。こういう時に最も頼りになるのは、やはり自衛隊だな…って思ってしまいました。

目的地のJR仙台駅前に着いた時には朝になっていました。仙台市内に入る手前で夜が明けて、周囲の様子が分かるようになっていたになっていたのですが、道路標識には岩沼や名取といったこのところの報道ですっかり聴き慣れてしまった地名が出てきました。東北自動車道の周辺にもブルーシートで屋根を覆った家屋が幾つもありました。私がこの日自ら仙台に向かったのは、気象情報会社として弊社でできることを探すためでした。地震発生から2週間、五反田の社長室の天井を見上げながらいろいろと考えたことのうち、何が有効なことなのかさらに検討するためには、現地の様子を見てみないといけないと思ったからです 。社員の多くからは社長が行くべきではないと言われちゃいましたが、それでも行っちゃうのが私なんです。到着した仙台駅の駅舎の周囲には足場が組まれ、タイルが剥がれ落ちることを防ぐための危険防止のネットで覆われていました。駅前の様子は一見すると平穏そのものだったのですが、よく見ると建物に大きなヒビ割れができていたり、地震の爪痕があちこちに残っていました。一番不気味に感じたのは、駅前の広い通りを歩く人の姿があまりに少ないこと。仙台には何度も来ているのですが、こんなに静寂に包まれた仙台駅前を見たのは初めてのことでした。

仙台のテレビ局に派遣している4人の気象予報士達に会うことができました。4人とも居住しているマンションの建物は無事だったけど、室内はメチャクチャで足の踏み場もない…と言っていましたが、いたって元気そうでした。若い女性社員が2名含まれていたのですが、2人とも地震直後に受けたショックを乗り越えて、仕事への意欲は満々って感じを受けました。自然の脅威と向き合わないといけない気象の仕事をするのって、こうでなくっちゃいけないな…って、その時の彼等から学ばせてもらった気がしています。

彼等に持ってきた救援物資を手渡し、その後、彼等4人をNTTデータグループの地域会社、NTTデータ東北の本社に連れて行き、そこで地震発生時の様子、地震発生後この日までの現地の様子をつぶさに聞きました。4人とも報道の現場のテレビ放送局を職場にしているので、一般の報道では流されていないようなものまで情報をいろいろと持っていて、これは災害対応時の情報提供の仕組みを検討するうえで極めて貴重な情報でした。またNTTデータ東北の社員からは彼等のお客様企業や金融機関の被災の状況や復旧状況についての情報もお聞きしました。やはり、現地に来てみないと分からないことっていっぱいあります。

東京へ戻り、今回得た情報をもとに被災地復興支援用のシステムの企画を取りまとめました。この企画はすぐにNTTデータの復興支援策に採用され、大急ぎで開発できる部分から開発を開始、約1ヶ月後に気仙沼市や女川町など被災地の幾つかの自治体様にお使いいただくことになりました。これが『防災さきもり』です。“さきもり”は漢字で書くと“防人”、さらには“先に守る”という意味も込めて命名しました(ハレックス社の登録商標です)。『防災さきもり』で実現した機能は主に次の3つ。

①大雨などの予見機能……気象庁が大雨警報などの警報・注意報を出すのは通常24時間前。各自治体では復旧復興に追われて防災担当者の数が決定的に不足しているので、もっと以前に気象庁が大雨警報を発出するかもしれないくらいの雨が降ることが分かったら、“予見”として知らせる機能。ちなみに、気象庁が防災気象情報に関する改善検討会を開き、警戒度や被害状況に応じて防災情報を5段階にレベル化するという報告書をまとめたのが2013年9月17日のこと。その2年前にその気象庁のレベル化の考え方を先行して取り入れ、システムに実装したのがこの『防災さきもり』と言えます。

②大雨等の気象事象がピークを迎えるであろう時間帯を予め知らせる機能

③防災コメント作成機能……これは気象庁が注意報や警報を出した際に、平文、すなわちテレビやラジオでアナウンサーや気象キャスターが読み上げる原稿のようなものを自動的に作成する機能です。被災地で防災無線で注意を呼び掛ける際の放送原稿の作成や、通信環境が整っていない避難所の掲示板に手書きで書かれた警告文をコピペにより簡単に作成できるようにと用意した機能です。これは電話の177システムで培った技術を活用し、気象庁から送られてくる注意報・警報、さらには数値予報データをもとに全国約1,800の自治体(市町村区)別に自動処理が行えるようにしました。現地自治体の防災担当者様からの強い要望があり、実現した機能でした。

これら3つの機能は独自に開発して提供するものの、ほかは気象庁のHPに全国約1,800の自治体(市町村区)ごとにリンクを張って気象庁HPの情報を閲覧できるようにしました。気象庁で提供しているのと同じ情報をわざわざ新たに作る時間的余裕もありませんでしたからね。あくまでも気象庁さんのHPに載っている情報を補完するための仕組みを提供しようと考えました。これはこの後の弊社の提供するサービスの基本的な考え方になっています。

また、この時の検討の中で、ハザードマップ等であらかじめ警戒が必要なことが判っている危険箇所を気象データ等を活用して重点的に自動監視し、例えば累積雨量等がある決められた警戒基準の値を超えそうになることが判ったら、自動的にアラートを鳴らして担当者に危険を知らせる仕組みがあったらいいね…ということになり、『防災さきもり』の初期バージョンには間に合わずに実装できなかったものの、その時から研究開発を開始したシステムが東日本大震災の翌年(2012年)に京浜急行電鉄様に導入いただくことになる土砂災害警戒情報システム『防災さきもりRailweys』です。『防災さきもりRailweys』はあくまでも『防災さきもり』の拡充検討の中で生まれた派生サービスなので、『防災さきもり』の名を冠しているわけです。

NHKグローバルメディアサービス様からNHKのデータ放送の部署が福島県の詳細な風の情報を求めているというお話をお聞きし、すぐにご提案に伺い、突端工事で準備を進め、その数日後にはご要望の情報のご提供を開始することができました。このサービスは現在も継続中で、それ以外にも阿蘇山や霧島山新燃岳といった現在噴火中の火山の降灰情報なども追加でご提供するようになっています。

地震の分野でも発災後の初動体勢の早期の確立こそが重要であるとの思いから、気象庁が各地に配備した地震計で観測した震度を発表する前に(発生から約3分後)、緊急地震速報の情報を活用して各地の推定震度を地図上の画像情報として表示する『推定震度マップ』も実用化しました。

災害情報学会等の場で、その必要性をアピールしまくった「気象防災アナリスト」もこの東日本大震災の時に考えたことです。

そうそう、東日本大震災で大きな被害を受けたJR気仙沼線と大船渡線の「BRT」による復旧にあたっても、弊社の情報提供の仕組みをお使いいただいています。「BRT」とは「バス高速輸送システム(Bus Rapid Transit)」のことで、バス専用道路を使うことで安定した運行が可能で、鉄道と比べダイヤ設定や新駅設置などの面で柔軟性が高いといったメリットがあります。JR気仙沼線と大船渡線は東日本大震災から2年後の2013年3月に、巨大地震やそれに伴う津波により沿線全域の長い区間で甚大な被害を受けた線路を一部使用し、そこを舗装して大型バスが走行可能な専用道路とし、列車の代わりに専用のバスを走らせる「気仙沼線BRT(柳津~気仙沼間55.3km)」「大船渡線BRT(気仙沼~盛間43.7km)」として仮復旧が行われ、現在も運行が続けられています。

弊社ハレックスは「気仙沼元気プロジェクト」(NHK様、JR東日本コンサルタンツ様が主体)に参加させていただき、「BRT」によって仮復旧したJR気仙沼線とJR大船渡線を走行中のバスに対して、緊急地震速報や津波警報を送信する仕組みの提供を行っています。津波で流された線路があったところにバスを走らせるわけですから、乗客の安全確保のために…と求められたわけです。車内では、液晶ディスプレイで次の停車駅(バス停)が表示されているのですが、そこに停車駅に加えて、各停車駅ごとの天気予報や文字ニュースが流れていて、地震発生時には緊急地震速報や津波警報が割り込まれて流れるという仕組みです。

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このように、それまで漠然と考えていた弊社事業の方向性やサービスのコンセプトが明確に定まるきっかけとなったのがこの東日本大震災で、大きな無力感の中で「圧倒的破壊力を持つ自然の脅威の来襲の前で我々民間気象情報会社ができることはないのか…」と知恵を巡らしたことが現在こうして具体的なサービスとなって活きていると思っています。その意味で、この東日本大震災の時のことは生涯忘れることがないでしょう。

東日本大震災の被災地のうち、気仙沼市や女川町、陸前高田市などへは2011年に何度か訪問し、巨大地震や巨大津波という圧倒的破壊力を持つ自然の脅威の爪痕を見たり、さらには復興に向けて頑張っておられる地元の方々と意見交換をさせていただいたり、その様子を見させていただきましたが、この「気仙沼線BRT」「大船渡線BRT」が2013年に運行を始めてからは一度も現地を訪れておりません。社長退任後、時間が出来たら、是非、「気仙沼線BRT」「大船渡線BRT」に乗って、被災地の現在をゆっくりと時間をかけて訪ねてみたいと思っています。


8.さいごに
15年間という長い時間を振り返ったおかげで、またまた思いっきりの長文になってしまいました。あまりにもハレックスに対する思いが強く、まだまだ書き足りない部分も多々あるのですが、振り返るのはこのくらいにしておきます。社員の中には自分が取り組んだあの仕事のこと、あの出来事についても少しくらいは触れて欲しかった…と思っておられる方もいらっしゃるかと思います。もちろんそれは忘れてはいません。しかしこの15年間のことを書くにはこれでも時間が足りませんでした。ごめんなさい。それほどいろいろなことが凝縮された15年間でした。今回、この『越智社長の おちゃめ日記』の最終稿を書きながら、その1つ1つが自分の中で“完結”していっている感じです。

ハレックス社の代表取締役社長を退任して、私はこれからNTTデータMCS(松戸市)、NTTデータ四国(松山市)、NTTデータ中国(広島市)、そしてNTTデータのビジネスパートナー(BP)会社の1社であるフォーカスシステムズ(品川区)という4社の顧問に就任します。電電公社に入社してこれまでの40年間、なかでもハレックス社の代表取締役社長としての15年間で学んだことはあまりにも大きく、今後はその経験を活かして、後輩の皆さんの良きアドバイザーとなれればいいな…と思っています。

そうそう、私が果たせなかったハレックス社の夢の1つに東京ローカルの会社からの脱却、すなわち地方の事業拠点の設置がありました。気象情報を求めている人はなにも東京だけにとどまりません。防災や農業、漁業など、地方のほうが多いと私は思っています。当初は日本気象協会様から業務を請け負った九州や東海を拠点に地方展開を目論んだのですが、日本気象協会様の方針変更であえなくその夢は潰え、辛うじて九州の大分に小さな事業所を残すだけになっています(なんとしてもこの1箇所を残そうとして頑張りました)。これから顧問に就任する会社には四国地方の松山市と中国地方の広島市に本社がある会社が含まれます。どこまでできるかは分かりませんが、私がこれから顧問に就任する各会社とハレックス社のグループ内連携を進めることで、当初想定していたのとは違った形にはなりますが、ハレックス社事業の地方展開が図れたらいいな…と考えています。それにより、地域の発展に少しでも寄与すること、これがこれからの私の当面の夢、目標です。

私が尊敬してやまない郷里四国松山が生んだ偉人である秋山好古陸軍大将は、晩年、郷里松山の北予中学校(現在の愛媛県立松山北高校)の校長となりました。日露戦争の際には満州の広野で当時史上最強と言われたロシアのコサック騎兵師団を破るという奇跡を成し遂げ、その後陸軍大将という高官を務めたほどの人物が郷里とはいえ地方の一中学校の校長になるというのは極めて異例のことで、社会的にはいわば格下げとなるわけですが、地元の人達から熱心な校長就任の要請を聞いた秋山好古陸軍大将は次にように述べて、快くそれに応じたのだそうです。

「俺は中学の事は何も知らんが、ほかに人がいなければ校長の名前は出してもよい。日本人は少しく地位を得て退職すれば遊んで恩給で食ふことを考へる。それはいかん。俺でも役に立てば何でも奉公するよ」

私は秋山好古陸軍大将ほどの高官だったというわけではありませんが、私が尊敬してやまない秋山好古陸軍大将のこの言葉は私の背中をドンッと押してくれました。今の私も、「少しでも世の中の役に立てることがあれば、なんでも奉公する」…この気持ちでいます。加えて、私の座右の銘としている秋山好古陸軍大将の名言「男子は生涯、一事をなせば足る」も、私の中ではまだまだその“一事”を成し遂げられているようには思っておりませんしね。幸い、“一事”は見つかった気になっていますが、残念ながらまだまだ“成している途中”ですから。

また、私が敬愛してやまないもうお一方、俳優の高倉健さんの主演作品の1つに『海峡』があります。青函トンネルの先進導坑開通までのトンネル掘削工事の現場を描いた作品で、『網走番外地』や『幸せの黄色いハンカチ』、『八甲田山』、『鉄道員』など、高倉健さん主演の映画はたくさんあり、どれをとっても名作ばかりなのですが、そんな中で、私が一番印象に残っている作品がこの『海峡』なんです。この『海峡』の中で高倉健さんは津軽海峡の地質調査から始まり、先進導坑の開通までの約30年間にわたり青函トンネル建設の現場の第一線に立ち続けた主人公の阿久津を演じました。その『海峡』のラストシーンは、現場工事の責任者として青函トンネルの先進導坑を開通させた高倉健さん演じる主人公の阿久津が、本坑が開通する前に、次なる自らの活躍する現場を目指してアジアとヨーロッパの間を遮るボスポラス海峡の海底トンネルの建設に向けての地質調査に向かう成田国際空港のシーンでした。見上げたフラップ式の行き先表示器がパタパタと音を立てて回り、どこかヨーロッパの都市名(どこだったかは忘れました)、それを見て津軽海峡への思いを吹っ切るかのように決心を決めたような表情で前を向いて出国ゲートに向かう阿久津。セリフはなくともその表情だけで全てを語り尽くす高倉健さんならではの名演技でした。

今、私の心境はその『海峡』の中の高倉健さん演じる主人公の阿久津の心境と重なるところがあります。先進導坑はなんとか15年かけて開通させることができました。この後、本坑を掘り開通させるのは、藤岡浩之新社長のもとで私が自慢とする社員の皆さん方が必ずややってくれるものと信じています。

15年前の就任当初、NTTデータグループ、NTTグループで最年少の社長だった私も、気がつけばグループ最長老の社長の1人になっていました。15年という年月はそういう時間でした。最近は世代のギャップや多少のやりにくさに直面して戸惑うことも多くなってきました。ですがまだ62歳。まだまだやれるので、敬愛してやまない秋山好古陸軍大将や高倉健さんの背中を追いかけてみるかな…って気持ちに切り替わっています。

これまで15年間、本当にありがとうございました。そして、これからもハレックスのことをよろしくお願いいたします。

株式会社ハレックスは私の創った最高傑作、そしてこの先いつまでも忘れることのない私の大事な大事な宝です。

株式会社ハレックスも私も『To the Next Stage!』です。

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【追記】
2014年5月からこれまで4年間以上に渡り連載させていただきましたこの『越智社長の おちゃめ日記』も今回をもって終了させていただきます。長い間、私の拙文にお付き合いいただきまして、本当にありがとうございました。

代わりにブログ『越智正昭の 新・おちゃめ日記』を立ち上げました。15年間背負い続けてきた経営責任や執行責任の重荷から解放されて、もっと気ままに情報発信をしていきますので、次からはこの『新・おちゃめ日記』のほうをお楽しみいただければ…と願っております。引き続き、よろしくお願いいたします。

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