2017/03/31

中山道六十九次・街道歩き【第9回: 本庄→新町】(その11)

関越自動車道のガードを潜るとまた道は二手に分かれます。右手の土手に上がっていく道もあるのですが、旧中山道は左側の道です。実は旧中山道の旧道はここで右手の土手を越えて河川敷の中に入るルートだったようですが、烏川の洪水によりルートが変わったようなのです。河川敷の中にはかつて伊勢嶋村という集落まであったようなのですが、洪水で廃村になっていて、それと同時に中山道もルートを変えたようなのです。旧道はこの先あたりから消失してしまっていて、部分的にしか分からないのだそうです。なので、この突き当りのところで左折して、立石の集落の中を進みます。

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畑の中をいく農道かと見紛うほどの軽乗用車1台がやっと通れるか通れないかくらいの細い道ですが、実はこの道がかつての中山道です。地元の地名をとって「立石旧道」と呼ばれています。

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曲がりくねった細い立石旧道を進むと、先が開け、右に烏川の土手、左側に群馬県道178号中島新町線が通るところに出てきます。群馬県道178号中島新町線と合流する手前で烏川の堤防に突き当たり、ここから土手を上がって堤防に上ります。エッ!?…っと思われるでしょうが、この畑の中の畦道のような細い道が、実は旧中山道でした。なかなかワイルドでいいですねぇ~。

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土手(堤防)の上は高崎市浜尻町から伊勢崎市若葉町まで42.5km続く「高崎・伊勢崎自転車道」というサイクリングロードになっています。烏川に沿ってしばらく歩きます。広い河川敷に視界が広がり、風はほとんど無風で、小雨の中を歩いていても気持ちいいくらいです。烏川も相当広い川幅を持つ川のようで、堤防の上に上がったというのに、川自体はまったく見えません。

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「利根川合流地点より7.0km」の標識が立っています。烏川はここから7.0km下流(写真では手前方向)で本流である関東地方を代表する大河・利根川と合流します。その利根川との合流地点の手前に、支流である神流川との合流地点があります。

右手の河川敷の中にこんもりと茂った場所があります。「お伊勢の森」と呼ばれるところです。昔、そのあたりに伊勢嶋村という集落があったそうなのですが、前述のように烏川の洪水により壊滅してしまい、廃村となりました。先ほど関越自動車道のガードを潜ったところから分岐した旧中山道の旧道は、あの「お伊勢の森」付近にあったと言われる伊勢嶋村を通っていたと思われます。廃村になる前の伊勢嶋村には伊勢神宮を勧請したという鎮守の神社もあったそうなのですが、もしかしたら先ほど前を通ってきた立石新田にあった伊勢島神社は、その伊勢嶋村の鎮守様を遷座してきたものかもしれません。

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土手の左手に、子供の頃、随分とお世話になった三菱鉛筆の工場があります。ここで作られたものなのですね。そういえば、今もシャープペンシルにはuniマークの三菱鉛筆の芯を使っています。

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この烏川の土手の上のサイクリングロードを1kmほど歩くのですが、実は今回の街道歩きでは埼玉県と群馬県の県境に架かる神流川橋とこの烏川の土手沿いのサイクリングロードが最大の難所と考えられていました。この時期の上州は北西から吹いてくる“からっ風”があまりにも強く、前へ歩を進めるのも困難な状態になることがあると聞いていましたので、それを心配していました。しかしながら、前述のように、実際のところはほぼ無風。小雨が降る中とはいえ、気持ちよく歩くことができました。

弊社のオンラインリアルタイム気象ビッグデータ可視化ツールである「WeatherView2」で確認すると、8日の15時現在、低気圧の中心はまだ紀伊半島の潮岬の沖合にあって、その低気圧の中心に向かって反時計回りに風が流れ込んでいるため、関東地方には北東からのかなり強い風が吹き込んでいるのが分かります。関東地方を拡大した図をご覧いただいても、本庄から新町あたりには極微風の東からの風が吹いているだけであることが見て取れます。おそらく、この風が“からっ風”の進入を防いでくれているのだと思われます。

それから6時間後の8日21時のデータによると、低気圧が関東地方の南岸に接近してくるため、関東地方、特に本庄から新町あたりは北ないし北北西からの風に変わっているのが分かります。“からっ風”です。雨や雪の中、冷たく強い“からっ風”の洗礼を浴びたのでは、たまったもんじゃあありません。体感温度は下がって、危険な状態に陥っていたかもしれません。冒頭にも書きましたが、低気圧の接近が当初出されていた予報よりも6時間ほど遅れたことが本当にラッキーでした。

曇りから小雨と街道歩きにはあいにくの天気ではありましたが、“からっ風”の洗礼を浴びなかっただけでもラッキーだったのかもしれません。

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実際、この翌日の1月9日は低気圧が東の海上に抜けたため、関東地方の雨は朝方にはあがり、午後からはよく晴れたのですが、北関東には北西からの強い風、いわゆる“からっ風”が吹きました。いくら晴れていたとしても、こうした強い“からっ風”を向かう風で受ける中を神流川橋とこの土手沿いのサイクリングロードを歩くのはさぞや大変なことだろう…と思いますから。

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左に見える群馬県道178号中島新町線が離れていくところで土手(堤防)を左手に下り、再び車1台がやっと通れるくらいの細い道を歩きます。

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このあたりは旧中島村と呼ばれる集落で、この道は中島旧道と呼ばれています。

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この付近に中島立場があり、江戸・日本橋から24番目の「中島の一里塚」があったと言われているのですが、その位置は不明となっています。

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この先の土手の向こうに、「柳瀬の船渡し場」があったと言われています(当時、烏川は柳瀬川とも呼ばれていたそうです)。

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今回の街道歩きはここまで。本庄宿から高崎宿までは約23km。この間に新町宿、倉賀野宿という2つの宿場があります。この区間は宿場間の距離が短いこともあり、この日は新町宿を通り越して、本庄宿から高崎宿までのほぼ真ん中にあたるここ中島の柳瀬の船渡し場跡がゴールになりました。次回【第10回】はここから烏川を渡って倉賀野宿を通り、高崎宿まで歩きます。次回も川を渡るので強烈な上州名物の“からっ風”の洗礼が気になりますが、上州に入って中山道の昔の面影、雰囲気がこれまで以上に色濃く出てくるようになってきました。次回以降も楽しみです。

今回も25,198歩、距離にして18.6km歩きました。

柳瀬の船渡し場跡に到着したのが16時ちょうど頃。その時はまだ雨は0.5ミリ/時程度の極々小雨だったのですが、帰りのバスに乗り込んだ直後あたりから本降りの雨に変わりました。“からっ風”の洗礼を浴びなかったことと加えて、「晴れ男」のレジェンドはまだまだ今年も健在と言えるかもしれません。

ちなみに、この急速に発達した低気圧が伊豆諸島付近を通過した影響で、関東甲信地方上空には寒気が流れ込み、広い範囲で雪が降りました。気象庁によりますと、1月8日の降り始めから翌9日午前2時までの積雪は、山梨県の山中湖村で57センチ、山梨県の富士河口湖町で43センチ、大月市で14センチ、甲府市で4センチ、長野県松本市で22センチ、栃木県の奥日光で17センチなどとなりました。

また、この1週間後の週末は強い冬型の気圧配置とこの冬一番の強い寒気が日本列島に流れ込んできた影響で、1月14日(土)から16日(月)にかけて関東甲信越地方は群馬県や新潟県、それに長野県の山沿いを中心に大雪となったほか、日中は関東北部の平地でも雪が積もりました。15日午後8時までの積雪は、新潟県津南町で1メートル70センチ、群馬県みなかみ町藤原で1メートル42センチ、長野県菅平で86センチ、栃木県の日光市土呂部で48センチとなりました。また、日中は関東北部の平地でも雪が降り、群馬県前橋市では最大で2センチの積雪を観測したほか、埼玉県北部の本庄市などでも、朝方、雪が降りました。気温もメチャメチャ寒く、北西の風もかなり強かったので、もし1週間ズレていたとしたら、それはそれで大変なことでした。


【追記】
気がつけば今回の【第9回】は(その11)までと、これまでの『中山道六十九次・街道歩き』シリーズの中では過去最長の長さのブログになってしまいました。それだけこの本庄→新町間の中山道は私の好奇心をくすぐってくれる区間だったってことです。これから上州路に本格的に入ります。期待感がますます高まってきます。


――――――――〔完結〕――――――――