2014/08/27

古代越智氏の研究

さらに空海関連ネタが続きます。

空海の遣唐使選出に深く関係したと言われている桓武天皇の第三皇子・伊予親王ですが、私が今読んでいる『古代越智氏の研究』(白石成二著:ソーシァル・リサーチ叢書)という本によると、古代越智氏の祖とされる藤原為世(浮穴四郎)はその伊予親王の子供なのだそうです。

「越智」と言う愛媛県にしかない摩訶不思議な苗字(最近は全国に散らばってきていますが、先祖を辿ると皆、愛媛県に行きつきます)、いったい何を意味した苗字なのか、そしてなんで“越”を“お”と読むのか…先祖代々我が家に伝わる苗字ではありますが、実に疑問だらけの苗字なので、そのルーツを探ろうと思って読んでいます。

子供の頃、父に「なんで我が家は“越智”なの?」って訊いたことがあります。父の答えは「我が家は先祖代々“越智”という苗字だ。越智は(愛媛県の)越智郡にしかない苗字なので、おそらくその地名からとったんだろう。(本籍地のある)越智郡朝倉村あたりは近所中“越智”だらけだし」って、なんとも答えになっていない答えが返ってきました。

では、なんであのあたりは越智郡と呼ばれるのか?

子供の頃、私がそんな質問をしたのを覚えてくれていたのでしょう、帰省した折に、父が「これ読め」と言って渡してくれた本が『古代越智氏の研究』でした。

これは疑問に思った私が責務として調べて、子供や孫にちゃんと伝えないといけないな…と思っています。ただこの『古代越智氏の研究』という本、いっぱい人の名前が出てくるのと、難解すぎて、私にはいまだよく分かりません(苦笑) 父もお そらくあまりに難解なのでギブアップし、私に跡を託すという意味で渡してくれたのでしょう。

古代越智氏の研究

どこまでが本当かわかりませんが、こうやって昔のことをいろいろと調べていくと、ドンドン夢が広がります。正しい歴史認識って重要ですね。

これって気象の世界でも同じです。「古気象学」って学問があります。これは、過去の気候変動を研究する学問のことで、現代気候学との違いは、対象となる気候を、直接、計測機器により科学的に観測した結果が得られない点にあります。そこで、地球科学に求められる「観測に基づいた推定や考察」を行うため、間接的に観測する方法が採られています。

氷床から取り出される氷床コアや、地中の枯死した木の年輪、湖底や海底の堆積物に含まれる動植物の化石や花粉、堆積物中の物質の同位体比の分析によって過去の気候変化の様子を知ろうというものです。田家康さんのような残された歴史的文献を調べて過去の気候変化の様子を類推するというのも一つの立派な「古気象学」です。

地球の誕生以来、気候変化には多数の周期性が見られることから、100年単位や1000年単位の大きな気候変動を予測するためには極めて有効な手段です。

防災だって同じことです。1854年(嘉永7年/安政元年)の安政南海地震津波に際しての出来事をもとにした物語『稲むらの火』が有名ですが、人々の防災意識を喚起し、対策を考えるにあたっては、歴史的事実を検証し、その中から有効なヒントを得るというのが一番だと思っています。そして、そうすることが自然災害で不幸にも犠牲に遭われた方々への本当の意味でのご供養だと私は思っています。犠牲になった多くの人の命を、決して無駄にしてはいけません。

そういう意味でも、歴史を学ぶことって重要です。


【追記】
私の本籍地である愛媛県今治市朝倉(旧越智郡朝倉村)周辺は“越智”という苗字だらけだって書きましたが、実際そうなんです。

で、「愛をこめて花束を」や「タマシイレボリューション」「輝く月のように」といった代表曲を持ち、身長153cm(公称)という小柄の体から迸るパワフルな歌声で知られるシンガーの『Superfly』。彼女の本名は越智志帆さんと言います。

実はこのSuperfly越智志帆さんの実家は、愛媛県今治市朝倉(旧越智郡朝倉村)にある私の本籍地(本家)の2軒隣です(2件隣と言っても、ドが付くほどの田舎なので、100メートルほど離れていますが…)。しかも、私の父と志帆さんのお祖父ちゃんは同い年の幼馴染。我が家でSuperfly越智志帆さんのことを「〇〇さんの孫」と呼んでいるように、志帆さんの家で私のことは「忠雄さんの長男」と呼ばれている筈です。

そういうこともあり、私は応援のため、Superflyが出した楽曲はアルバムを含めすべてCDを購入して持っています。とにかく元気になる楽曲が多いので、クルマでドライブする時など、よくSuperflyの楽曲をカーステレオで流しています。