2014/07/31

憧れの五能線(その4)…下北半島

憧れの五能線(旅程図:1日目)

私達が乗った『はやぶさ3号』は大宮~盛岡間は仙台に停車するだけの速達列車なので、八戸には10時32分の到着。大宮駅発が8時02分でしたから、八戸まではちょうど2時間半。速いものです。ちなみに終点の新青森駅への到着時刻は11時ちょうど。青森まででも3時間を切っています(ちなみに、途中停車駅の少ない最速の『はやぶさ』では東京駅~新青森駅間の所要時間が2時間59分と、東京~青森間でも3時間を切っています)。東北地方は随分と身近なところになった感じがします。

私の田舎の四国の愛媛や、妻の田舎の南九州の鹿児島のほうが、よっぼど気持ちの上で遠い感じです。まぁ~遠すぎて、新幹線を含めても列車で帰ろうとは、通常頭に思い浮かべませんからね。迷わず飛行機利用です。

ここ八戸は十和田湖や奥入瀬渓谷への東からの入り口になっています。八戸から十和田湖方面へはE5系新幹線「はやぶさ」と同じ緑色の車体をしたJRバス東北の特急バス「おいらせ号」が八戸駅と十和田湖を結んでいます(ちなみに青森~十和田湖線は「みずうみ号」です)。私は十和田湖や奥入瀬渓谷には過去二度ほど訪れていて、うち一回はここ八戸から奥入瀬渓谷に入りました。

ちなみに、この八戸駅からは太平洋沿岸を南下するようにJR八戸線が延びていて、キハ40系という古めかしいディーゼルカーが出ています。そのJR八戸線で2時間弱揺られて着く終点が久慈(岩手県)。この久慈から延びる鉄道路線が三陸鉄道北リアス線。この三陸鉄道北リアス線こそが、NHKの朝ドラ『あまちゃん』で「北三陸鉄道」として、一躍全国的に有名となった第三セクター路線です。「第三セクターをなめんなよ!」という駅長役の杉本哲太さんの何気ないセリフが妙にカッコよかったですね(^-^)v この北三陸鉄道、いや三陸鉄道北リアス線も是 非いつか乗りに行ってみたいローカル鉄道路線です(^^)d

八戸駅前で待っていた観光バスに乗り換え、下北半島を一路北へ向かいました。日本三大霊場の一つ恐山、そして本州最北端の下北半島大間崎を目指します。

青森県は東に太平洋、西に日本海、北に陸奥湾と津軽海峡という三方を海に囲まれた県です。その特徴的な形や本州最北端という位置関係から、全国的な認知度としては非常に高く、行ったことはないけど知ってる県ということで言うと、おそらくナンバーワンではないでしょうか。

気候的には県内全域が豪雪地帯に指定されていて、そのうち一部地域は特別豪雪地帯に指定されています。また、県都である青森市は都道府県庁所在地都市では唯一、市域すべてが特別豪雪地帯に指定されているようなところです。

那須火山帯の山麓及び西側は日本海側気候。それ以外の地域は基本的には太平洋側気候で、ケッペンの気候区分でいうと、下北半島など太平洋側の一部は夏も冷涼のため、定義上では西岸海洋性気候とされることもあります。また、山岳地帯や碇ヶ関など南部の内陸部は寒さが厳しく、亜寒帯(冷帯)湿潤気候になっています。

このように青森県は地域ごとの天気が極端に異なるので、気象庁でも「津軽地方」、「下北地方」、「三八上北(さんぱちかみきた)地方」の3つの地域に分けて天気予報を発表しています。江戸時代の藩の区分けに従うと、西部の津軽地方と東部の南部地方に分けられるのですが、上記の気象条件の違いからこのような予報区分になっています。ですが、これが都市としての経済圏とも一致しているようなところがあります。

このうちの「三八上北地方」の中心都市が八戸市です。最初の“三八(さんぱち)”とは三沢市と八戸市のことで、これに十和田市をはじめとした上北郡、三戸郡の各町村が加わります。東北新幹線が新青森まで開通するまでは八戸が終点でした。なので、駅前もそれなりの立派な地方都市って感じです。南部煎餅や“せんべい汁”“いちご煮”など八戸発祥の郷土料理があり、今や一大ブームとなったご当地グルメ(B級グルメ)の祭典『B-1グランプリ』発祥の地としても知られています。

『B-1グランプリ』発祥の地ですので、ご当地グルメの定番“せんべい汁”をぜひ賞味してみたかったのですが、団体旅行なのでそれは断念。代わりに八戸駅名物の駅弁「ほたて弁当」と「とろサーモン炙り寿司」を1個ずつ買い、バス車内で妻と分けあいながら昼食を摂りました。

観光バスは三沢空港の前を通りすぎていきます。この三沢空港は民間航空機が離発着する空港ですが、もう1つの側面があります。それが三沢基地。三沢基地は、航空自衛隊唯一の日米共同使用航空作戦基地です。すわなち、米空軍も基地として使っているということです。現在三沢基地には、航空自衛隊のF-2、F-4支援戦闘機、米空軍のF-16戦闘機等が常駐しています。この基地は、地理的な面ばかりでなく、日米共同利用ということで戦略的・戦術的にも日本の北部防衛の要石とも言える重要拠点の基地になっています。この日も頭上をかすめるようにして、それらのジェット戦闘機が爆音を轟かせて飛んでいるのが見られるのかな…と思ったのですが、残念ながら1機も飛んできませんでした。

それともう1つ。三沢と言えば、私の故郷・四国の松山とは浅からぬ因縁があります。1969年(昭和44年)第51回夏の高校野球甲子園大会で、豪腕エース太田幸司投手擁する青森県立三沢高校は世の中の下馬評を覆してあれよあれよという間に決勝戦に進出。軟投派の井上明投手率いる愛媛県立松山商業高校と対戦しました。試合は延長18回の死闘を繰り広げた結果、0対0の引き分け。甲子園大会史上初の決勝戦引き分け再試合になりました。三沢高校は再試合に敗れ準優勝に終わり、松山商業が優勝したのですが、当時は設備がなく冬の季節は雪に閉ざされて練習もままならない期間の長い圧倒的に不利な東北勢の奮闘に、日本中が熱狂したものです。私が中学1年生の時のことです。

そんな三沢市を通りすぎて、小川原湖に向かいます。

小川原湖(おがわらこ)を車窓から見学。小川原湖は、下北半島の付け根あたりの青森県三沢市、上北郡東北町、六ヶ所村に跨がる湖で、日本の湖沼では11番目の面積規模を有します。周辺には尾駮沼、鷹架沼、市柳沼、田面木沼、内沼、姉沼などの湖沼群が分布していて、これらを総称して小川原湖湖沼群と呼ばれています。

海面水位が湖面水位より高くなる時期には、海水が川を逆流して湖に注ぎ込むため、小川原湖湖沼群は海水と淡水が入り交じるいわゆる“汽水域(きすいいき)”を形成します。このため、小川原湖湖沼群および周辺には豊かな自然が残り、多種多様な生物体系を構成しており、ワカサギ、シラウオ、ハゼ、シジミ、ウナギ等、水産資源が豊富なことから『宝沼』とも呼ばれているそうです。

風力発電所1
風力発電所2


六ヶ所村を通過。人口1万人ほどの下北半島にある村の名前を皆さん一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。おそらく“ろっかしょむら”という地名の響きとともに、日本一有名な“村”ではないか…と私は思います。その六ヶ所村を日本中に有名にしたのが使用済み核燃料保管施設(核燃料再処理工場)。そのような原子力関連施設の他、国家石油備蓄基地や、“やませ(後述)”を利用した風力発電基地等のエネルギー関連施設がこの村には集中していて、なにもない原野のようなところに、近代的な建物が建ち並んでいます。目立つのは風力発電のための風車。何機も建ち並んでいて、“やませ”の東からの風を受けて、とてつもなく巨大な翼(プロペラ)がかなりの勢いで回っています。

反対に日曜日だったからかもしれませんが、これだけのエネルギー関連施設が建ち並ぶ中、観光バスが六ヶ所村を通過する間、誰一人、人影を見掛けることはありませんでした。走っているクルマも数えるくらいでした。六ヶ所村の人達には大変に申し訳ない表現になってしまいますが、人々の生活感のようなものがほとんど感じられない、なんとも“殺風景”な場所でした。人口1万人ほどと書きましたが、その約半数はエネルギー関連施設に勤務する人と、そのご家族だということのようですし。

八戸から乗った観光バスのガイドさんの説明によると、この下北半島では農業はニンニク、ゴボウ、ニンジン、大根といった根菜類の栽培に力を入れているとのこと。夏場は“やませ”も吹くことからドンヨリと曇った日が多く、気温も上がらず、米は実らない、葉物の野菜は育たない…で、どうしても根菜類の栽培が中心になっているとのことです。

やませ1
やませ2
やませ3
やませ4


“やませ(山背)”とは、春から秋にかけての夏季にオホーツク海気団から吹く冷たく湿った北東風または東風(こち)のことです。特に梅雨明け後に吹く冷い風のことを指すこともあります。この“やませ”という東からの風は海上を進む間に海面から立ち上る水蒸気にぶつかって雲や霧を発生させ、北海道・東北地方・関東地方の太平洋側の陸上に到達すると海上と沿岸付近、海に面した平野に濃い霧を発生させることになります。この“やませ”が長く続くと日照時間の減少や気温の低下の影響を及ぼし、米や野菜の収穫量が激減して「冷害」となります。

この日(20日)も下北半島では“やませ”が発生していました。新幹線が八戸に着く手前のあたりでは晴れ間も見えていたのに、下北半島になると雲が低く垂れ込め、かと言って傘も要らず(小雨も降っていない)、ひんやりして、7月の昼間だと言うのに気温は18℃。

戊辰戦争で敗れた会津藩の人達が移封されてきた不毛の地というのが斗南藩。その斗南藩とはこの下北半島の地だったとのこと。これでは米は実らない、葉物の野菜は育たない不毛の地だった…と言うのも、今日の“やませ”の具合を見ればよくわかります(>_<)

同じ東北地方と言っても、南東北の福島県の“やませ”の影響を受けにくい内陸部にある会津地方と、北東北の青森県の“やませ”の影響をモロに受ける太平洋沿岸の下北半島の地とは、気候が全然違います。

ホント、下北半島はどこまで行っても手付かずの原野が続きます。あまりに自然環境が厳しすぎて、栽培(農業)を断念した土地ってことなのでしょうね。六ヶ所村(核燃料再処理工場)や東通村(原子力発電所)などが原子力関連施設を積極的に誘致したというのも理解できます。これから行く大間でも現在原子力発電所が建設中です。こんなに自然環境の厳しいところにも人々が暮らしているわけで、人々が暮らしている以上、地方自治体として成り立っていかないといけません。そうした地方自治体にとって、地方自治体として存続していくためには、そういう選択をするしかなかったと言うこともできます。

実際にその場所に行ってみないと分からないことって、いっぱいあります。東京のような大都会にいて、都会の人の感覚だけで地方の問題を論じることは、絶対にやってはいけないことだ…と改めて思いました。どこの地方にも、地方には地方の事情というものがある。その一番底辺にあるのが、地形と気象なんだな…ということを実感しました。その意味でも、今回の旅行は有意義です。

執筆者

株式会社ハレックス前代表取締役社長 越智正昭

株式会社ハレックス
前代表取締役社長

越智正昭

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