2014/08/06
憧れの五能線(その8)…津軽半島・十三湖・龍飛崎
ちょうど60分間の船旅で陸奥湾の入り口を横断し、津軽半島側の蟹田港に到着しました。八戸から乗ってきた観光バスも同じフェリーに積んで津軽半島にやってきました。蟹田港到着間際にバスに乗り込んで、バスに乗ったまま津軽半島に上陸です。
蟹田港からは津軽半島を北上して、最北端の龍飛崎に向かいました。「ごらん あれが竜飛岬 北のはずれとぉ~ 見知らぬ人が指をさす~♪」と石川さゆりさんが名曲『津軽 海峡・冬景色』で歌って一躍有名になった龍飛崎(竜飛岬とも書きます)です。
バスの車窓の両側には津軽半島の景色が広がります。同じ青森県でも、先ほどまでいた下北半島とはかなり異なる風景です。夏ということもありますが、津軽半島側のほうはかなり開けていて、断然明るい感じがします。下北半島と比べると高い山もなく、広大な津軽平野の北の端ってことなんでしょう。人家も多く、道路の両側には手入れをされた田畑がずっと広がっています。ヒバに加えて杉の木もあったりと、繁っている樹木の植生までもがまるで違っているようです。
関東以西に住んでいると、一般に太平洋側のほうが日本海側よりも明るいというイメージがありますが、ここ青森ではまるで反対です。気温もかなり違います。下北半島よりも津軽半島のほうが断然暑い。下北半島ではジャケットが欲しいほどだったのですが、この時期の津軽半島は関東地方と変わらないくらいに暑い! 緯度はほぼ同じなのに、この気温差はすごいです。そのくらい、夏場の気象現象“やませ”の影響が大きいってことのようです。同じ日に下北半島から津軽半島に移動してみると、その差を実感することができます。
蟹田港に上陸後、観光バスは、まず津軽半島を東から西へと横断して十三湖に出ました。
十三湖(じゅうさんこ)は、津軽半島北西部の日本海岸にある汽水湖です。地元津軽地区では「十三潟(じゅうさんがた)」とも呼ばれています。津軽国定公園内に位置していて、周囲約30kmという大きな湖です。ですが、水深は最大でも僅かに3メートルほどに過ぎず、南方より岩木川が流入しています。この岩木川が日本海に向かう途中で、砂州によって塞き止められ汽水湖となったと考えられています。周囲は独特の荒涼とした風景に囲まれています。十三湖や十三湊の名称の由来は、アイヌ語で「トサ」(川尻の湖)を意味しているとする説もあり、もしそうであるならば、下北半島の恐山(宇曽利山)と同様に、北海道のアイヌ民族との繋がりが偲ばれます。
青森と言えば、三内丸山遺跡。この津軽地方には今から約5000年前の縄文時代に、大きな都市文明が栄えたとされています。その当時は今よりも年平均気温が5℃近く高かったようで、海面の高さも今より5mほど高かったと言われています。(このあたり、田家康さんの『気候で読み解く日本の歴史』、竹村公太郎さんの『日本史の謎は「地形」で解ける』に詳しく載っています。) だとすると、昨日訪 れた下北半島の小川原湖もそうですが、汽水湖であるこの十三湖もその海面の低下(海岸線の後退)によって誕生したと考えられます。
汽水湖であるため、小川原湖同様、水産資源が豊富で、特産物はシジミで、そのシジミを狙ってオオハクチョウやコハクチョウが渡来してきます。その十三湖を左の車窓から眺め、次に日本海を同じく左の車窓に眺めながら、最北端の龍飛崎を目指して津軽半島を北上していきました。
途中、「道の駅こどまり」というところのレストランで昼食。やはりここは海鮮丼です。かなりの美味(^-^)v 特にサザエがコリコリして美味しい。
昼食後もさらに日本海を車窓左に見ながら、最北端の龍飛崎を目指して津軽半島を北上です。津軽海峡を隔てた左前方遠くには北海道・道南(松前半島)の山々がくっきり綺麗に見えます。
ここも半島特有の急峻な道路を通り、まずは眺瞰台という高いところから津軽海峡に突き出た龍飛崎を見下ろします。岬の尖端に白い灯台があります。風の穏やかな日は1年に5日もないと言われるほど風の強いところなので、灯台の周辺には風力発電の巨大な風車が幾つも並んでいます。下北半島もそうでした。このあたりの風が如何に強いか、この風車が物語っています。
眺瞰台から急勾配を下り降りて、津軽半島最北端の龍飛崎(北緯41度14分、東経140度22分) に到着しました。この龍飛崎も昨日訪れた大間崎同様、「龍飛崎」の碑と灯台以外、特になにもないところです。でも、それがいい(^^)d とってもいい感じで、“岬巡り”が癖になりそうです (^-^)v
目の前には津軽海峡を挟んで対岸の北海道の松前半島の山々の姿がはっきりクッキリ見えます。おそらく韓国の釜山から北米の港に向かうのでしょう、コンテナを満載した大型のコンテナ船が日本海(西)から太平洋(東)の方向に進んでいます。
岬から少し下ったところに駐車場があり、そこにあるのが石川さゆりさんの『津軽海峡・冬景色』の歌碑(^^)d
赤いボタンを押すとイントロが始まり、石川さゆりさんの歌が始まるのですが、それが二番でした。『津軽海峡・冬景色』の二番は
「ごらん あれが竜飛岬 北のはずれとぉ~ 見知らぬ人が指をさす~♪」
ですからね。(ちなみに、一番は「上野発の夜行列車 降りた時から~ 青森駅は雪のなか~♪」です。)
実は私もこの石川さゆりさんの歌で龍飛崎(竜飛岬)という岬の名前を知りました。“龍が飛ぶ岬”と書いて“たっぴみさき(たっぴざき)”。実にインパクトのある名前で、一発で覚えてしまいましたからね。添乗員さんの指揮で、ツアー客全員で声を揃えてこの『津軽海峡・冬景色』の二番を歌っちゃいました(笑)
それにしてもこの『津軽海峡・冬景色』、改めて歌詞を読んでみると、情景が頭の中に浮かんでくるような実に素晴らしい詞です。一つ一つの文言に微塵も無駄がありません。さすがは天才作詞家・阿久悠さんって感じです。この卓越すぎる歌詞に、これまた天才作曲家・三木たかしさんが曲をつけ、このように歌碑が出来るほどの後世に残る名曲が生まれました。ちなみに『津軽海峡・冬景色』という題名には、津軽海峡と冬景色の間に“・”が入っています。これを入れたのは作詞した阿久悠さんらしいのですが、なんで“・”を入れたのか、ご自分でも分からないんだそうです。おそらく、この詞を書かれた時、神が降臨していたのかもしれません。
石川さゆりさんの歌碑のすぐ脇に『階段国道399号線』の文字があります。全国の国道の中でここだけが階段になっていて、人が歩いて通るだけで、自動車は通れません。実は津軽半島の尖端の龍飛崎まで通じる国道399号線は西海岸から来る道路と東海岸から来る道路が上下に分かれていて、随分と高低差があります。それを日本で唯一、362段の階段で繋いであるのです(総延長388.2メートル)。なので、『階段国道399号線』。青い角のとれた逆三角形の国道のマークがこの階段が国道であることを表しています。津軽海峡からの風をうけ斜面を登るこの道は、車両こそ通れませんが旅情をそそる名所となっています。
この龍飛崎の真下を通って、津軽半島からは対岸の北海道・函館に向かって、海面下140メートルの海底を青函トンネルが抜けていて、そこをJR津軽海峡線が走っています。石川さゆりさんの『津軽海峡・冬景色』で歌われた竜飛岬は青函連絡船から見た龍飛崎でしたが、今はその龍飛崎の真下を海底トンネルが抜けているわけです。
その青函トンネルと言えば、かつて高倉健さん主演で青函トンネルの大工事を描いた『海峡』という映画がありました。「寒いところは嫌だ」とゴネる森繁久彌さん演じる老齢だが腕のたつトンネル技術者の棟梁を、高倉健さん演じる旧国鉄の土木エンジニアが説得する「10万年前にマンモスが歩いて渡った道を、もう一度作るんだ!」や「本州から北海道まで風を通すんだ!」という言葉は、超カッコよかったです(^^)d
公開当時、私も観て涙したものですが、高倉健さんファンにとっては必見の映画だと私は思います。とにかくカッコイイです。是非DVDでご覧ください。
このJR津軽海峡線、いよいよ来年には新幹線が走るようになって、青函トンネル経由で東京から新幹線(電車)で北海道まで行けるようになります(新青森駅→新函館北斗駅まで延伸)。これも楽しみです。
蟹田港からは津軽半島を北上して、最北端の龍飛崎に向かいました。「ごらん あれが竜飛岬 北のはずれとぉ~ 見知らぬ人が指をさす~♪」と石川さゆりさんが名曲『津軽 海峡・冬景色』で歌って一躍有名になった龍飛崎(竜飛岬とも書きます)です。
バスの車窓の両側には津軽半島の景色が広がります。同じ青森県でも、先ほどまでいた下北半島とはかなり異なる風景です。夏ということもありますが、津軽半島側のほうはかなり開けていて、断然明るい感じがします。下北半島と比べると高い山もなく、広大な津軽平野の北の端ってことなんでしょう。人家も多く、道路の両側には手入れをされた田畑がずっと広がっています。ヒバに加えて杉の木もあったりと、繁っている樹木の植生までもがまるで違っているようです。
関東以西に住んでいると、一般に太平洋側のほうが日本海側よりも明るいというイメージがありますが、ここ青森ではまるで反対です。気温もかなり違います。下北半島よりも津軽半島のほうが断然暑い。下北半島ではジャケットが欲しいほどだったのですが、この時期の津軽半島は関東地方と変わらないくらいに暑い! 緯度はほぼ同じなのに、この気温差はすごいです。そのくらい、夏場の気象現象“やませ”の影響が大きいってことのようです。同じ日に下北半島から津軽半島に移動してみると、その差を実感することができます。
蟹田港に上陸後、観光バスは、まず津軽半島を東から西へと横断して十三湖に出ました。
十三湖(じゅうさんこ)は、津軽半島北西部の日本海岸にある汽水湖です。地元津軽地区では「十三潟(じゅうさんがた)」とも呼ばれています。津軽国定公園内に位置していて、周囲約30kmという大きな湖です。ですが、水深は最大でも僅かに3メートルほどに過ぎず、南方より岩木川が流入しています。この岩木川が日本海に向かう途中で、砂州によって塞き止められ汽水湖となったと考えられています。周囲は独特の荒涼とした風景に囲まれています。十三湖や十三湊の名称の由来は、アイヌ語で「トサ」(川尻の湖)を意味しているとする説もあり、もしそうであるならば、下北半島の恐山(宇曽利山)と同様に、北海道のアイヌ民族との繋がりが偲ばれます。
青森と言えば、三内丸山遺跡。この津軽地方には今から約5000年前の縄文時代に、大きな都市文明が栄えたとされています。その当時は今よりも年平均気温が5℃近く高かったようで、海面の高さも今より5mほど高かったと言われています。(このあたり、田家康さんの『気候で読み解く日本の歴史』、竹村公太郎さんの『日本史の謎は「地形」で解ける』に詳しく載っています。) だとすると、昨日訪 れた下北半島の小川原湖もそうですが、汽水湖であるこの十三湖もその海面の低下(海岸線の後退)によって誕生したと考えられます。
汽水湖であるため、小川原湖同様、水産資源が豊富で、特産物はシジミで、そのシジミを狙ってオオハクチョウやコハクチョウが渡来してきます。その十三湖を左の車窓から眺め、次に日本海を同じく左の車窓に眺めながら、最北端の龍飛崎を目指して津軽半島を北上していきました。
途中、「道の駅こどまり」というところのレストランで昼食。やはりここは海鮮丼です。かなりの美味(^-^)v 特にサザエがコリコリして美味しい。
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昼食後もさらに日本海を車窓左に見ながら、最北端の龍飛崎を目指して津軽半島を北上です。津軽海峡を隔てた左前方遠くには北海道・道南(松前半島)の山々がくっきり綺麗に見えます。
ここも半島特有の急峻な道路を通り、まずは眺瞰台という高いところから津軽海峡に突き出た龍飛崎を見下ろします。岬の尖端に白い灯台があります。風の穏やかな日は1年に5日もないと言われるほど風の強いところなので、灯台の周辺には風力発電の巨大な風車が幾つも並んでいます。下北半島もそうでした。このあたりの風が如何に強いか、この風車が物語っています。
眺瞰台から急勾配を下り降りて、津軽半島最北端の龍飛崎(北緯41度14分、東経140度22分) に到着しました。この龍飛崎も昨日訪れた大間崎同様、「龍飛崎」の碑と灯台以外、特になにもないところです。でも、それがいい(^^)d とってもいい感じで、“岬巡り”が癖になりそうです (^-^)v
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目の前には津軽海峡を挟んで対岸の北海道の松前半島の山々の姿がはっきりクッキリ見えます。おそらく韓国の釜山から北米の港に向かうのでしょう、コンテナを満載した大型のコンテナ船が日本海(西)から太平洋(東)の方向に進んでいます。
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岬から少し下ったところに駐車場があり、そこにあるのが石川さゆりさんの『津軽海峡・冬景色』の歌碑(^^)d
赤いボタンを押すとイントロが始まり、石川さゆりさんの歌が始まるのですが、それが二番でした。『津軽海峡・冬景色』の二番は
「ごらん あれが竜飛岬 北のはずれとぉ~ 見知らぬ人が指をさす~♪」
ですからね。(ちなみに、一番は「上野発の夜行列車 降りた時から~ 青森駅は雪のなか~♪」です。)
実は私もこの石川さゆりさんの歌で龍飛崎(竜飛岬)という岬の名前を知りました。“龍が飛ぶ岬”と書いて“たっぴみさき(たっぴざき)”。実にインパクトのある名前で、一発で覚えてしまいましたからね。添乗員さんの指揮で、ツアー客全員で声を揃えてこの『津軽海峡・冬景色』の二番を歌っちゃいました(笑)
それにしてもこの『津軽海峡・冬景色』、改めて歌詞を読んでみると、情景が頭の中に浮かんでくるような実に素晴らしい詞です。一つ一つの文言に微塵も無駄がありません。さすがは天才作詞家・阿久悠さんって感じです。この卓越すぎる歌詞に、これまた天才作曲家・三木たかしさんが曲をつけ、このように歌碑が出来るほどの後世に残る名曲が生まれました。ちなみに『津軽海峡・冬景色』という題名には、津軽海峡と冬景色の間に“・”が入っています。これを入れたのは作詞した阿久悠さんらしいのですが、なんで“・”を入れたのか、ご自分でも分からないんだそうです。おそらく、この詞を書かれた時、神が降臨していたのかもしれません。
石川さゆりさんの歌碑のすぐ脇に『階段国道399号線』の文字があります。全国の国道の中でここだけが階段になっていて、人が歩いて通るだけで、自動車は通れません。実は津軽半島の尖端の龍飛崎まで通じる国道399号線は西海岸から来る道路と東海岸から来る道路が上下に分かれていて、随分と高低差があります。それを日本で唯一、362段の階段で繋いであるのです(総延長388.2メートル)。なので、『階段国道399号線』。青い角のとれた逆三角形の国道のマークがこの階段が国道であることを表しています。津軽海峡からの風をうけ斜面を登るこの道は、車両こそ通れませんが旅情をそそる名所となっています。
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この龍飛崎の真下を通って、津軽半島からは対岸の北海道・函館に向かって、海面下140メートルの海底を青函トンネルが抜けていて、そこをJR津軽海峡線が走っています。石川さゆりさんの『津軽海峡・冬景色』で歌われた竜飛岬は青函連絡船から見た龍飛崎でしたが、今はその龍飛崎の真下を海底トンネルが抜けているわけです。
その青函トンネルと言えば、かつて高倉健さん主演で青函トンネルの大工事を描いた『海峡』という映画がありました。「寒いところは嫌だ」とゴネる森繁久彌さん演じる老齢だが腕のたつトンネル技術者の棟梁を、高倉健さん演じる旧国鉄の土木エンジニアが説得する「10万年前にマンモスが歩いて渡った道を、もう一度作るんだ!」や「本州から北海道まで風を通すんだ!」という言葉は、超カッコよかったです(^^)d
公開当時、私も観て涙したものですが、高倉健さんファンにとっては必見の映画だと私は思います。とにかくカッコイイです。是非DVDでご覧ください。
このJR津軽海峡線、いよいよ来年には新幹線が走るようになって、青函トンネル経由で東京から新幹線(電車)で北海道まで行けるようになります(新青森駅→新函館北斗駅まで延伸)。これも楽しみです。
執筆者
株式会社ハレックス
前代表取締役社長
越智正昭
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