2015/10/07
北のカナリアたちに逢いに最北限の島へ(その6)
ウニ丼の昼食で大満足した後は散策の続きです。とは言え、既に13時になろうとしているので、あまり遠くまで出掛けるわけにはいきません。14時30分には登山口まで山の会の連中を迎えに行かないといけませんから。
ここで目についたのが鴛泊フェリーターミナルのすぐ近くに見える灯台のある岬です。案内標識によると、「ペシ岬」と言うのだそうです。見ると岬の上には展望台があるようで、そこを目指して遊歩道を登っていく人の姿が小さく見えます。妻と2人で「よしっ!あそこに登ってみよう! 1時間もあれば登って下りてこれるだろう」ということになって、登ることにしました。
ペシ岬は鴛泊港の湾先端にそそり立つ標高わずか93メートルの岩山の岬です。しかしここの頂上からは、鴛泊港一帯を360度の大パノラマで楽しめるほか、真正面には利尻山の雄姿を目の当たりにできるとあって、なかなかの人気ポイントのようです。また、岬の北側の断崖は海鳥の繁殖地として知られる所で日本海に沈む夕陽の見どころでもあります。ちなみに、ペシとはアイヌ語で「崖」という意味だということのようです。
遊歩道を登り始めるとすぐに会津藩士の墓(顕彰碑)が立っています。あまり知られていないことですが(私もここに来て、初めて知りました)、幕末、黒船の襲来以上の緊張がこの北方の国境でありました。江戸幕府に対して開国と通商を求めたロシアは、強行手段として択捉島や樺太の集落を襲撃し、略奪を繰り返しました。利尻でも船舶の破壊や、運上屋の焼き討ち等の被害を受けました。これらの事態を重く見た江戸幕府は会津藩に対して北方の守りに就くように命じました。会津藩は、遠くは樺太、稚内、利尻にも陣を張り、北方の国境の警護にあたったのです。
しかし、当時のロシアはナポレオンとの戦争を優先し、極東から兵を引き上げたため、直接の交戦はありませんでした。ですが、当時の粗末な住環境やビタミン等の栄養不足によって命を落とす藩士もいました。また、樺太警護の任を終えて会津への帰還途中に暴風雨に遭い、利尻島に漂着したり沈没したりという痛ましい事故の中で命を落とす藩士もいました。
こうした非業の死を遂げた会津藩士達を弔う墓碑(顕彰碑)が利尻島には幾つか建立されていて、このペシ岬に立つ墓碑(顕彰碑)もその1つのようです。幕末の会津藩と言えば、幕府から京都守護職を命じられて京都の治安を守り、それが戊辰戦争での悲劇に繋がったことが有名ですが、ほかにもこんな厳しい北方の国境警護の任にも就かされていたのですね。その労をねぎらうように、墓碑(顕彰碑)の周囲には花が咲き誇っています。鴛泊港からは汽笛を残してフェリーが出港していきました。
その会津藩士の墓碑(顕彰碑)に手を合わせ、さらに遊歩道を上へと登ることにしました。今、遊歩道と書きましたが、遊歩道などと呑気に言えるのは会津藩士の墓碑(顕彰碑)までで、その先はまさに“登山道”でした。それもかなりキツイ登山道です。遊歩道はペシ岬の尾根線に沿って続いているのですが、写真をご覧になるとお分かりいただけるように、この尾根線、かなりの急傾斜なんです。しかも、石を積み上げて作ったような道で、歩きづらいことって、このうえありません。私も妻もトレッキングシューズを履いていたのでなんとかなりましたが、それでもシューズの紐を固く結び直す必要があったくらいです。鎖で取り敢えずのガードはされていますが、遊歩道の左側は断崖絶壁。
この断崖は海鳥の繁殖地として知られている所だと先ほど書きましたが、高所恐怖症の私にはそれを覗き込む気持ちの余裕はありません。断崖の下は入り江になっていて、そこで水遊びをする中学生くらいの子供達の歓声が聞こえてきます。私が先にたち、その後ろを妻が歩いてきたのですが、妻からは「パパ、へっぴり腰になっているよ」って笑われてしまいました。どうもこの高所恐怖症を克服しないことには、私には山登りなんて無理なのかもしれません(苦笑)(^_^;)
途中で先頭を妻に譲り、20分ほど登り、なんとか岬の突端にある展望台に辿り着きました。確かに眼下に鴛泊港一帯が360度の大パノラマで見え、利尻山や日本海の景色も絶景なのですが、周囲は鎖でガードされているだけなので、高所恐怖症の私にとっては気持ちの余裕が吹っ飛んでしまい、落ち着いてその絶景を眺めることもできませんでした。まさにペシ岬は、アイヌ語の言葉通りの“崖の岬”でした。
下りもへっぴり腰でなんとか下りて(下を見ながら下りないといけない下りのほうが、実は恐かったです)、フェリーターミナルの駐車場に停めたクルマのところまで戻ったのが14時ちょうど頃。
苦手な高いところにも立ち怖い思いもして、さすがに喉が渇いたので、目の前にあるスーパーに入りました。そこで目にしたのが「ミルピスあります」の文字。ミルピスとは、どうも地元利尻島限定の乳酸飲料のことのようです。こりゃあ話題のネタに飲むしかあるまいと思い、購入しました。ミルピスは今時珍しいガラスの牛乳瓶に入った白い液体でした。昔ながらの錐のような道具で厚紙でできた蓋を開け、一口飲んでみました。飲んだ感想は、その名の通り、ミルクとカルピスを混ぜたような感じがします。それなりに美味しいのですが、ちょっと大人には甘すぎるかな…って感じでした。瓶の裏側に生産者である利尻町に住む女性の方の名前が書かれていました。なんと、個人で生産なさっているのですね。
ミルピスを飲み終え、渇いた喉も潤ったので、下山してくる山の会の連中を迎えに登山口にむかうことにしました。口の中にはミルピスの甘さが残っています(^_^;)
ここで目についたのが鴛泊フェリーターミナルのすぐ近くに見える灯台のある岬です。案内標識によると、「ペシ岬」と言うのだそうです。見ると岬の上には展望台があるようで、そこを目指して遊歩道を登っていく人の姿が小さく見えます。妻と2人で「よしっ!あそこに登ってみよう! 1時間もあれば登って下りてこれるだろう」ということになって、登ることにしました。
ペシ岬は鴛泊港の湾先端にそそり立つ標高わずか93メートルの岩山の岬です。しかしここの頂上からは、鴛泊港一帯を360度の大パノラマで楽しめるほか、真正面には利尻山の雄姿を目の当たりにできるとあって、なかなかの人気ポイントのようです。また、岬の北側の断崖は海鳥の繁殖地として知られる所で日本海に沈む夕陽の見どころでもあります。ちなみに、ペシとはアイヌ語で「崖」という意味だということのようです。
遊歩道を登り始めるとすぐに会津藩士の墓(顕彰碑)が立っています。あまり知られていないことですが(私もここに来て、初めて知りました)、幕末、黒船の襲来以上の緊張がこの北方の国境でありました。江戸幕府に対して開国と通商を求めたロシアは、強行手段として択捉島や樺太の集落を襲撃し、略奪を繰り返しました。利尻でも船舶の破壊や、運上屋の焼き討ち等の被害を受けました。これらの事態を重く見た江戸幕府は会津藩に対して北方の守りに就くように命じました。会津藩は、遠くは樺太、稚内、利尻にも陣を張り、北方の国境の警護にあたったのです。
しかし、当時のロシアはナポレオンとの戦争を優先し、極東から兵を引き上げたため、直接の交戦はありませんでした。ですが、当時の粗末な住環境やビタミン等の栄養不足によって命を落とす藩士もいました。また、樺太警護の任を終えて会津への帰還途中に暴風雨に遭い、利尻島に漂着したり沈没したりという痛ましい事故の中で命を落とす藩士もいました。
こうした非業の死を遂げた会津藩士達を弔う墓碑(顕彰碑)が利尻島には幾つか建立されていて、このペシ岬に立つ墓碑(顕彰碑)もその1つのようです。幕末の会津藩と言えば、幕府から京都守護職を命じられて京都の治安を守り、それが戊辰戦争での悲劇に繋がったことが有名ですが、ほかにもこんな厳しい北方の国境警護の任にも就かされていたのですね。その労をねぎらうように、墓碑(顕彰碑)の周囲には花が咲き誇っています。鴛泊港からは汽笛を残してフェリーが出港していきました。
その会津藩士の墓碑(顕彰碑)に手を合わせ、さらに遊歩道を上へと登ることにしました。今、遊歩道と書きましたが、遊歩道などと呑気に言えるのは会津藩士の墓碑(顕彰碑)までで、その先はまさに“登山道”でした。それもかなりキツイ登山道です。遊歩道はペシ岬の尾根線に沿って続いているのですが、写真をご覧になるとお分かりいただけるように、この尾根線、かなりの急傾斜なんです。しかも、石を積み上げて作ったような道で、歩きづらいことって、このうえありません。私も妻もトレッキングシューズを履いていたのでなんとかなりましたが、それでもシューズの紐を固く結び直す必要があったくらいです。鎖で取り敢えずのガードはされていますが、遊歩道の左側は断崖絶壁。
この断崖は海鳥の繁殖地として知られている所だと先ほど書きましたが、高所恐怖症の私にはそれを覗き込む気持ちの余裕はありません。断崖の下は入り江になっていて、そこで水遊びをする中学生くらいの子供達の歓声が聞こえてきます。私が先にたち、その後ろを妻が歩いてきたのですが、妻からは「パパ、へっぴり腰になっているよ」って笑われてしまいました。どうもこの高所恐怖症を克服しないことには、私には山登りなんて無理なのかもしれません(苦笑)(^_^;)
途中で先頭を妻に譲り、20分ほど登り、なんとか岬の突端にある展望台に辿り着きました。確かに眼下に鴛泊港一帯が360度の大パノラマで見え、利尻山や日本海の景色も絶景なのですが、周囲は鎖でガードされているだけなので、高所恐怖症の私にとっては気持ちの余裕が吹っ飛んでしまい、落ち着いてその絶景を眺めることもできませんでした。まさにペシ岬は、アイヌ語の言葉通りの“崖の岬”でした。
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下りもへっぴり腰でなんとか下りて(下を見ながら下りないといけない下りのほうが、実は恐かったです)、フェリーターミナルの駐車場に停めたクルマのところまで戻ったのが14時ちょうど頃。
苦手な高いところにも立ち怖い思いもして、さすがに喉が渇いたので、目の前にあるスーパーに入りました。そこで目にしたのが「ミルピスあります」の文字。ミルピスとは、どうも地元利尻島限定の乳酸飲料のことのようです。こりゃあ話題のネタに飲むしかあるまいと思い、購入しました。ミルピスは今時珍しいガラスの牛乳瓶に入った白い液体でした。昔ながらの錐のような道具で厚紙でできた蓋を開け、一口飲んでみました。飲んだ感想は、その名の通り、ミルクとカルピスを混ぜたような感じがします。それなりに美味しいのですが、ちょっと大人には甘すぎるかな…って感じでした。瓶の裏側に生産者である利尻町に住む女性の方の名前が書かれていました。なんと、個人で生産なさっているのですね。
ミルピスを飲み終え、渇いた喉も潤ったので、下山してくる山の会の連中を迎えに登山口にむかうことにしました。口の中にはミルピスの甘さが残っています(^_^;)
執筆者
株式会社ハレックス
前代表取締役社長
越智正昭
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