2015/12/07

JR四国バス(その2)

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前回のブログでは実車のJR四国バスのことを書かせていただきましたが、今回は模型のJR四国バスについてです。

JR四国バスの高速バスのプラモデルを作ってみました。製作したのはJR四国バスの高速バスで使用されている「三菱ふそうエアロクイーンⅠ」。この「三菱ふそうエアロクイーンⅠ」、導入当初は『ドリーム松山号』等の東京と四国各県の県庁所在地を結ぶ深夜高速バス『ドリーム○○号』に使用されたJR四国のフラッグシップとも言える花形車両でしたが、2000年に2階建て車両(ダブルデッカー車)の「三菱ふそうエアロキング」が導入された後は、フラッグシップの座をエアロキングに譲り、主に大阪や京都、神戸といった関西方面と松山等を結ぶ路線や、高知~松山線や高松~松山線といった短距離の島内高速路線で活躍している車体です(多客時に東京線の『ドリーム号』の続行便(増便用)として使用されることはありました)。

なので、私の中では、JR四国の高速バスと言えばこの「三菱ふそうエアロクイーンⅠ」…というイメージが固まっているくらいの代表的な車体です(最近は最新型の車両が数多く走っていますが、私の中ではJR四国のバスと言えば、これです)。プラモデルを組み立てるにあたっては、現在の高知~松山線で『なんごくエクスプレス』として活躍する姿をイメージして製作してみました(ナンバープレートが「高知ナンバー」で、行き先が「松山駅・JR松山支店行き」です)。

JR四国バスにとって伝統の路線と言えるのが『松山高知急行線』です。まだ四国に高速道路網が整備されていなかった頃、国道33号線経由で愛媛県の松山市と高知県の高知市を結ぶ国鉄(現JR)の看板路線でした。四国には高さが1,500メートル級の山々が屏風のように連なる四国山地が中央を東西に背骨のように横切っています。このため瀬戸内海側の松山市と太平洋側の高知市の間に鉄道を敷設するのは極めて難しく、松山市から高知市に鉄道で行こうとすると、松山から予讃線で香川県の多度津に行き、そこで土讃線に乗り換えて高知にむかうしかありませんでした(宇和島経由の予土線はまだ全通していませんでした)。

そこで松山市と高知市の間を国道33号線経由でバスで結ぼうとして路線設定されたのが国鉄バスの『松山高知急行線』でした。開業したのはなんと戦前の1934年のことで、松山市の有志の皆さんが「鉄道が無理なら、せめて自動車線を」という熱い想いで鉄道省に陳情を繰り返し、なんとか実現した路線なんだそうです。『松山高知急行線』とは言うものの、当時はレトロな小型のボンネットバスが高く険しい四国山地の1車線しかない細い道をクネクネと曲がりくねりながら越えていっていました。戦後も国道33号線が全通するまでは、大型車が通れないような細く険しい山道を通るので、14人乗りのマイクロバス(日本初のワンマンマイクロバスなんだそうです)で運行されていました。1960年代後半になって国道33号線が全通した以降は、松山市と高知市という両県庁所在地間を結ぶ都市間連絡輸送の幹線路線として大型の観光バスタイプの最新車両が次々と投入され、夜行便や特急便(停車場所限定)も含め最大1日15往復が所要時間3時間半弱で両都市間を結んでいました。全便座席指定が必要なほどで、業績は好調。特に四国旅客鉄道(JR四国)発足当時は、鉄道も含めたJR四国全体の路線の中で唯一の黒字路線でありました。当時は松山~高知間の本線とは分岐する形で、久万や落出から枝線も設定されるほどでした。全便、事前の座席指定が必要なくらい利用者の多い人気路線でした。

この『松山高知急行線』、松山駅を出て松山市砥部町に入ると、すぐに四国山地の急峻な地形に入ります。国道33号線のヘアピンカーブが幾つも連続する急な勾配の坂道を一気に登りきると、松山市と愛媛県上浮穴郡久万高原町の市町境にある標高720メートルの三坂峠に出ます。ここまでの道は日本最大の断層である中央構造線そのものを登るような感じになっていて、瀬戸内海側(松山側)は断崖絶壁のようなところもある交通の難所です。よくこんなところに国道を建設したものだ…と思うほどです(現在の国道ができる前から、旧国鉄はマイクロバスを使って「松山高知急行線」というバス路線を運行していたわけで、驚きます)。この中央構造線上にある三坂峠は国道33号線の最高地点で、瀬戸内海側と太平洋側との分水嶺になっていて、北側の眼下には松山平野と瀬戸内海の美しい風景が望めます(標高が高いので冬期は雪も結構降り、近くにはスキー場もあります)。

この三坂峠は前述のように川の流れが瀬戸内海側と太平洋側に分かれる分水嶺になっていて、三坂峠を過ぎるとそれまでの急峻な風景とは一変し、南側はなだらかな久万高原の先に高知県側の山々が続きます。川の流れも変わり、ここから南側に降った雨は太平洋側(南側)に流れます。国土交通省が毎年発表する「全国一級河川の水質ランキング」で、ここ数年、連続1位に輝く仁淀川は四国の明峰・石鎚山に源を発し、高知県高知市付近を河口とする全長約124kmの清流ですが、源流となる川は三坂峠の南側の久万高原町を流れる久万川と面河川です(すなわち、仁淀川の源流は愛媛県です。また、同じ高知県を流れる一級河川である四万十川も清流として全国区の知名度を誇りますが、水の美しさに関しては、実は仁淀川のほうが上ということです)。三坂峠を出たバスは、その日本一の清流・仁淀川に沿って、これまでの道とは一変して、緩やかに続く坂道を太平洋側の高知市に向かって、渓谷美を車窓に眺めながらダラダラと下っていきます。なので、この国道33号線は、もっとも四国という島の本質的な地形的特徴を実感できる、なかなかに変化に富んだ素晴らしい車窓が楽しめる路線であると、私は思っています。

しかし、1988年の瀬戸大橋開通以降、四国島内でも次々と高速道路網が整備され、特に四国山地の下を長いトンネルで貫く高知自動車道が開通してからは、松山~高知間も快適で時間的にも速く行ける高速道路を利用した移動が一般的になり、2001年12月21日、JR四国バスの『松山高知急行線』も松山自動車道~(川之江JCT)~高知自動車道経由の高速道路を利用した高速バス路線にルート変更がされました。その際、『松山高知急行線』の『なんごく号』という愛称が引き継がれ、『なんごくエクスプレス』という愛称になったわけです。なので、『なんごくエクスプレス』はJR四国バスの数ある路線の中でも、車体側面にデッカク描かれた国鉄時代からの伝統あるツバメのマークが最も似合う、栄光の路線というわけなのです(まぁ、あくまでも私の中では…のことですが)。

なので、この『なんごくエクスプレス』、JR四国にとっては栄光ある伝統の路線なんです。私は小学校4年生の時に、父の転勤の関係で松山市の小学校から高知県安芸市の小学校に転向したのですが、その引っ越しの時に乗車したのが『松山高知急行線』の『なんごく号』でした。友達と別れる辛さから、泣きながら乗ったのを今も覚えています。なので、私の中でJR四国のバスと言うと、どうしても『なんごくエクスプレス』になってしまうんです。(ちなみに、その伝統の『松山高知急行線』は、現在は愛媛県内の松山~落出間の区間のみ「久万高原線」の名称で残っていますが、通常の路線バスを使用しています。)

実はこの模型、10年以上前にふと立ち寄った都内の模型店で見つけて、「四国のバスが模型化されるなんてメチャメチャ珍しい」と思って衝動買いしちゃったものです。バスのプラモデル自体が極めて珍しいものに、おまけにマイナーな故郷四国のバスが模型化されるなんてことは奇跡(大袈裟ですが…)だと思って、後で後悔したくないために購入したってわけでした。

ですが、当時は前の会社のと兼務や大学の非常勤講師等とも重なり仕事がメチャメチャ忙しい盛りの頃だったので、時間的にも気持ち的にもまったく余裕がなかったために、「まっ、そのうち時間や気持ちに余裕ができたら作ろう」と思い、押し入れにしまったままにしていたものです(買っただけで満足しちゃってたようなところもありました)。半年ほど前、妻から命じられて自宅の押し入れの片付けをしていて、発見(発掘)しちゃいました(^^)d。それで、“発掘”したついに製作に着手したというわけです。

実は、その時、こういう買ったまま(箱に入ったまま)で、まったく手をつけていないプラモデルをあと5つも発掘しちゃいました。これはいかんです。無駄遣いだと妻に叱られています。不思議なことに、忙しくて時間的、気持ち的にまったく余裕がない時のほうが、妙に製作意欲が湧いてしまって、買っちゃうんですよね(^_^;)。

プラモデルと言っても、このバスの模型、縮尺は1/32。実車の全長が12メートルという大型バスの模型ですので、全長が40cm近くにもなるかなり大きなものなのです。なので、箱形のバスの模型だと言っても部品の数がメチャメチャ多く、塗装箇所もいっぱいあるので、組み立ては想像した以上に大変でした。休日に時間があるたびにチョコチョコチョコチョコ作っていったので、完成までに約半年もの時間を要してしまいました。(発掘したプラモデルの中で、不用意にも、どうも一番難易度の高い上級者向けのものから、私は手をつけてしまったようです。)

私は“矯正右利き”なので、手先は“超”の字が付くほど不器用ですし、おまけにもうすぐ還暦なので、老眼が進み、手もとの小さい文字がやたらと見えづらくっていけません。なので、細かい部品の取り付けや細かい部分の塗装(筆塗り)で大苦戦。各部で塗装がみっともなくはみ出してしまい、塗装を剥がしての再塗装や修正にやたら時間がかかっちゃいました。

車体が大きいので素材には硬く厚みのあるABS樹脂が使われていて、通常のプラモデルで使用される溶剤系の接着剤や塗料が使えないため、接着剤と塗料選びから始めないといけませんでした(いろいろと試した結果、接着には酢酸ビニル系の木工用ボンドを使用しました。これ、意外と接着強度も強く、使えます)。しかも、中国製なのが原因なのか、はたまた放ったらかしの時間が長かったのが原因なのかわかりませんが、歪みや反りが酷く、組み立てるにあたっては、各部でチョコチョコと整形が必要でした。途中、何度完成を諦めて、放ってしまおう…と思ったことか(^_^;) 実際、3ヶ月近く、途中で作業を投げ出していた期間もありました。

でもまぁ、作り直しや、整形、塗り直し、修正等を繰り返し、スッキリ満足とはいかないまでも、なんとかそれなりの完成にまでは漕ぎ着けることができました。微妙に模型に付属の組み立て説明図と実際の車体に違いがあるのがわかったので、ネットで見つけた実際の車体の画像を参考にして製作し、車体の外側だけでなく、運転席やズラァ~っと並ぶ客座席等、車内までもしっかりそれなりに作り込んでみました(^^)d。車体が大きいし、窓が広いので、ここまでしっかり作り込まないと、見映えがよくなりませんから。実際、30個以上の座席の組み立てを含む室内の組み立てが一番大変でした。組み立てるには、各座席で微妙な歪みの修正を必要としましたし(組み立てを始めた当初は軽く見ていたのですが…)。

ですが、私も理系の男の子ですので、プラモデルは子供の頃よく作りましたが、ブランクは30年以上。まったくの初心者に等しく、おまけに、前述のように超不器用で老眼が進んでいるので、最後は“妥協と割り切りの産物”になっちゃいました。特に10年以上も押し入れの中で眠っていたので、デカールの劣化が激しく、色が褪せてしまっていたほか、貼るときにビリビリ破れて、ジグソーパズルのようにしてなんとか粘り強く頑張って貼った箇所が幾つもあります。一番重要な車体横の燕のマークが悲惨で、それなりに見せるまでには、かなり難産しました(^^;)

細部のことを言い出すと、ああすればよかった、こうすればよかった…とキリがないのですが、ちょっと遠目から眺めてみるとそれなりには見えるので、私的にはギリギリ合格点の作品に仕上げることができたかな…と思っています。そもそも老眼なので、接近して細部を眺めるなんてことはできませんし…(笑)。初心者としては上出来のほうでしょう。添付の写真はすべて完成したプラモデルの写真です。さすがに縮尺1/32、全長40cm弱の大型モデルですので、プラモデルと言っても写真に撮ると本物っぽく見えます(まぁ~、大きいので、置き場に困っていますが…)。で、出来上がったJR四国バスを自宅の玄関に飾り、このところ毎朝、私のこの“作品”を眺めては、故郷四国に思いを馳せてから会社に出勤しています(^^)d

このJR四国バスのプラモデル製作で眠っていた理系男子の製作意欲が覚醒されてしまったようなので、さあて、次は何を作ろうか…と思っているところです。半年前に自宅の押し入れの中から発掘したプラモデルはボンネットバスや路面電車、プロペラ旅客機等、今ではなかなか手に入りにくいレア物ばかりで、しかも、どれも私が好きで、自分の手で作ってみたいと思ったものばかり。今回製作したJR四国の高速バス同様、時間や気持ちに余裕ができたら作ろう…と思って購入したものばかりなので、一度火がつくと、やたら製作意欲が掻き立てられます。

で、残り5つの発掘したプラモデルのうち、次の製作候補は同じ1/32スケールの「いすゞボンネットバス(呉市交通局)」か1/80スケールの土佐電鐵の路面電車かな…と思っています。このうち「いすゞボンネットバス(呉市交通局)」は、同じ1/32スケールではありますが、今回作ったJR四国バスの高速バスと比べ車体長が半分程度と短く、それに伴い部品数も比較的少ないのですが、塗装の塗りわけがやたらと面倒そうです。車体表面にはリベットを模した細かな凹凸もあるし。どのようにマスキングテープを貼って上手に塗り分けようか…と思案中です。模型製作にあたっては、このように組み立てを始める前に料理の仕方(自分なりの手順等)をあれこれ考えることが一番楽しいのかもしれません。まぁ、初心者で技量が乏しいので、事前にあれこれ思い描いても、なかなか思い通りにはいかないものなのですが…(^_^;)

まぁ、焦らず、今回のJR四国バスと同様、3ヶ月から半年ほどの時間をかけて、時間がある時にチョコチョコと少しずつ楽しみながら作っていきたいと思っています。私が子供の頃に(今から50年以上前までは)町中でよく見掛けた昔懐かしいボンネットバスですし、10年以上、押し入れの中でじっくりと“熟成”してきたわけで(笑)、間違いなく味わい深いものがあるでしょうから。失敗部分の修正、整形等を何度も繰り返しながら、ゆっくりと楽しみます。まっ、JR四国バスと比べ、部品の点数も少なく、難易度は幾分低そうに思われますから(^^)d

執筆者

株式会社ハレックス前代表取締役社長 越智正昭

株式会社ハレックス
前代表取締役社長

越智正昭

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