2016/05/30
男の隠れ家(その3)
広島駅で山陽新幹線を降りて、在来線の山陽本線の下り岩国方面行きの電車に乗り換えました。しばらく待っていると、真新しいステンレス製車体の電車が入線してきました。
JR西日本でも広島支社管内で運行されている電車は、昔から首都圏や京阪神地区で新型車両が投入されたことによって余剰になった車両が転用されてきたものがほとんどでした。ハッキリ言うと“都会のお古”。鉄道マニア的にはそれもまぁ〜味があっていい‥‥って見方もあるにはありますが、首都圏や京阪神地区で散々使ってきてガタガタになった車両の再利用です。性能的に見劣りがする以上に経年劣化が激しく、広島の“大いなる田舎”色を際立たせる1つの要因になっていたようなところがありました。実際、JR西日本の広島支社管内で現在まで主力車種として運行されてきた115系、113系、105系と呼ばれる車両はいずれも日本国有鉄道(国鉄)時代に製造された車両で、製造されてから35年以上経過した車両が大半を占め、車体の老朽化や設備の陳腐化が目立っていました。
そうしたことから昨年(2015年)3月14日のダイヤ改正からJR西日本の広島近郊地区の山陽本線や呉線といった路線で運行を開始した新型車両が227系電車です。JR西日本がなんと広島エリア向け専用の新型車両として開発した車両で、銀色のステンレス車体には鮮やかな赤色がシンボルカラーとして加えられています。この赤色は広島県木である“もみじ”や“赤ヘル軍団”広島東洋カープ、さらには厳島神社の大鳥居など、広島らしさと親しみやすさを感じさせる塗色なんだそうです。車両愛称は「Red Wing(レッド ウィング)」。なかなか好ましい車両です。先ほど「広島エリア向け専用に開発された新型車両」ということを書きましたが、それ以前に、広島地区の在来線に新型電車が投入されるのはJR発足以降初めてのことらしいです。
その227系電車を使った快速シティライナー岩国行きで安芸路を西へ。長澤クンの“隠れ家”は山口県との県境に近い玖波(くば)駅が最寄り駅だそうなのです。西広島駅(広電の場合は己斐駅)を過ぎたあたりから海側のすぐ隣を広島電鉄(広電)の線路がずっと並走する形となり、広島市内から乗り入れる路面電車タイプの広電の電車を私を乗せたシティライナーが追い抜いていきます。このあたりは山が瀬戸内海の海岸線のすぐ近くにまで迫っている地形のため、JR山陽本線と広電の宮島線、さらには国道2号線、JR山陽新幹線、山陽自動車道といった主要な交通インフラが海岸線沿いの狭い平地の部分を密集して走っています。なかでも強い競合関係にあるのがJR山陽本線と広電の宮島線。西広島駅(己斐駅)〜宮島口駅間をほぼ並行して走っています。JR山陽本線が駅間の距離が長いのに比べ広電宮島線は駅間の距離が短いのが最大の特徴で、しかも広電宮島線は路面電車タイプの電車がそのまま市内の路面電車区間に乗り入れるため、速達性ではJR山陽本線に軍配があがるものの、利便性という点では広電宮島線のほうが断然有利ということで、うまく棲み分けができているように思えます。
海に浮かぶ赤い大鳥居が遠くに見えてきたら宮島に渡るフェリーが発着する宮島口駅に停車します。宮島は宮城県の松島、京都府の天橋立と並んで日本三景の1つに数えられるほどの景勝地なのですが、この宮島には世界文化遺産の厳島神社があります。この厳島神社は「満潮時には海に浮かぶ」という極めて画期的な構想のもと、推古天皇元年(593年)に建立が始まり、平清盛が社殿を造営し、仁安3年(1168年)に現在と同程度の大規模な社殿が整えられました。平家一門の隆盛とともに厳島神社も栄えて平家の氏神となり、平家滅亡後も源氏をはじめとした時の権力者の崇敬を受けました。1996年には同じく広島にある原爆ドームとともに、世界文化遺産に登録されています。この日も宮島に渡ろうとフェリーに乗り換える観光客が、大勢、宮島口駅で下車し、岩国行きの快速シティライナーの車内は一気にローカル線の様相に変わりました。
そうそう、宮島口駅から宮島に渡るルートの1つにJR西日本が運航する宮島フェリーがあります。このJR西日本の宮島フェリーは「宮島連絡船」とも呼ばれ、広島県の宮島口駅と宮島の“宮島駅”との間を運行しています。鉄道が走っていない区間を船で結ぶJRが運行する「鉄道連絡船」なので、“宮島港”ではなくて、あくまでも“宮島駅”です。かつて国鉄(現在のJR)は青函連絡船(青森~函館間)や宇高連絡船(宇野~高松間)といった「鉄道連絡船」を幾つか運行していて、この宮島連絡船もその1つでした。青函トンネルや瀬戸大橋の開通に伴って青函連絡船や宇高連絡船が次々と姿を消し、現在、JRが運行している「鉄道連絡船」はこの宮島連絡船ただ1つだけになっています。
鉄道ネタが途中に入ってなかなか本論に辿り着きませんが、そこは大学時代の鉄研仲間に久々に逢いに行っている途中の旅ということで、ご容赦願います。こうやって事前に“鉄の温度”をある程度高めておかないと、日頃から“鉄分”が高めの連中と会うといきなり圧倒されてしまいそうですから(笑)
広島駅を出て約30分、快速シティライナーは玖波駅に到着しました。玖波駅は広島県大竹市に属する駅で、次の駅がその大竹市の中心駅である大竹駅。その大竹駅が広島県最西端の駅で、その西は山口県岩国市になります。玖波駅は山がすぐそこに迫った感じの海沿いの町にある“山陽本線の典型的なローカル駅”です。昨年の9月に開設されたばかりという山側の真新しい西口改札口のところに3年後輩のノダ君がクルマで私を迎えに来てくれていました。
私が久し振りに広島に遊びにやって来ると長澤クンから聞いて、地元広島に住む昔の仲間達、イチノセ君とノダ君も集まってくれていたのでした。イチノセ君もノダ君も私が大学を卒業して以来ですので、お会いするのは38年振りになります。ノダ君からは「38年振りなので、分かるかなぁ〜って少し不安に思っていたのですが、すぐにアッ、越智さんだって分かりましたよ」と言って貰えました。「学生時代と比べると20kg近く体重が増えているし(当時はガリガリに痩せて、華奢な体型をしていました)、髪の毛は白くなって、かつ薄くなったけどね」と私。「いやいや、雰囲気は昔のまんまです。ぜんぜん変わっていません」。これにはちょっと嬉しかったですね。
ちなみに、学生時代の私は肩にかかるほどの長髪でした。前髪も長く、癖のように何度も何度も前髪を掻きあげていないと目にかかってしまうほどでした。華奢と言っていいくらいの細身で、鬱陶しいくらいの長髪‥‥、今の私からは考えられないことですが、どう見ても病的で神経質そうな印象を受ける若者でした。まぁ~、フォークソングをやっているような連中の間では、そういうのが流行った時代ではありましたが‥‥。今、タイムスリップしてあの時代に行き、当時の私に逢うことができたならば、間違いなく「イメージが暗すぎるから、髪切れ!髪切れ! バリカン、どっかにある?!」って言っちゃうでしょうね(笑)
ノダ君が運転するクルマは玖珂駅の裏手の山の中へ進んでいきます。信号機もこれと言った交差点もない、さらには人家もほとんどない一本道を奥へ奥へ。登りが続き、標高が徐々に高くなっていくのを感じます。まさに“隠れ家”がありそうな雰囲気が満々です。20分ちょっと走ったでしょうか、ひと山越えてちょこっと坂を下ったところの緩い左カーブを曲がると、目の前に数軒の民家が見えます。その一番手前の家の前になんとも可愛らしい感じの白い小さな建物が‥‥。「もしかしてここか?」、「そうです。遠路お疲れ様でした」‥‥ノダ君が答え、クルマをその可愛らしい感じの建物の横にある草むらに停めました(駐車場ではなく、草むらです)。建物の裏から3人の懐かしい顔が出てきました。おぉっ!!
‥‥‥‥(その4)に続きます。自分で言うのもなんですが、メチャメチャ引っ張るなぁ〜 (;^_^A
JR西日本でも広島支社管内で運行されている電車は、昔から首都圏や京阪神地区で新型車両が投入されたことによって余剰になった車両が転用されてきたものがほとんどでした。ハッキリ言うと“都会のお古”。鉄道マニア的にはそれもまぁ〜味があっていい‥‥って見方もあるにはありますが、首都圏や京阪神地区で散々使ってきてガタガタになった車両の再利用です。性能的に見劣りがする以上に経年劣化が激しく、広島の“大いなる田舎”色を際立たせる1つの要因になっていたようなところがありました。実際、JR西日本の広島支社管内で現在まで主力車種として運行されてきた115系、113系、105系と呼ばれる車両はいずれも日本国有鉄道(国鉄)時代に製造された車両で、製造されてから35年以上経過した車両が大半を占め、車体の老朽化や設備の陳腐化が目立っていました。
そうしたことから昨年(2015年)3月14日のダイヤ改正からJR西日本の広島近郊地区の山陽本線や呉線といった路線で運行を開始した新型車両が227系電車です。JR西日本がなんと広島エリア向け専用の新型車両として開発した車両で、銀色のステンレス車体には鮮やかな赤色がシンボルカラーとして加えられています。この赤色は広島県木である“もみじ”や“赤ヘル軍団”広島東洋カープ、さらには厳島神社の大鳥居など、広島らしさと親しみやすさを感じさせる塗色なんだそうです。車両愛称は「Red Wing(レッド ウィング)」。なかなか好ましい車両です。先ほど「広島エリア向け専用に開発された新型車両」ということを書きましたが、それ以前に、広島地区の在来線に新型電車が投入されるのはJR発足以降初めてのことらしいです。
その227系電車を使った快速シティライナー岩国行きで安芸路を西へ。長澤クンの“隠れ家”は山口県との県境に近い玖波(くば)駅が最寄り駅だそうなのです。西広島駅(広電の場合は己斐駅)を過ぎたあたりから海側のすぐ隣を広島電鉄(広電)の線路がずっと並走する形となり、広島市内から乗り入れる路面電車タイプの広電の電車を私を乗せたシティライナーが追い抜いていきます。このあたりは山が瀬戸内海の海岸線のすぐ近くにまで迫っている地形のため、JR山陽本線と広電の宮島線、さらには国道2号線、JR山陽新幹線、山陽自動車道といった主要な交通インフラが海岸線沿いの狭い平地の部分を密集して走っています。なかでも強い競合関係にあるのがJR山陽本線と広電の宮島線。西広島駅(己斐駅)〜宮島口駅間をほぼ並行して走っています。JR山陽本線が駅間の距離が長いのに比べ広電宮島線は駅間の距離が短いのが最大の特徴で、しかも広電宮島線は路面電車タイプの電車がそのまま市内の路面電車区間に乗り入れるため、速達性ではJR山陽本線に軍配があがるものの、利便性という点では広電宮島線のほうが断然有利ということで、うまく棲み分けができているように思えます。
海に浮かぶ赤い大鳥居が遠くに見えてきたら宮島に渡るフェリーが発着する宮島口駅に停車します。宮島は宮城県の松島、京都府の天橋立と並んで日本三景の1つに数えられるほどの景勝地なのですが、この宮島には世界文化遺産の厳島神社があります。この厳島神社は「満潮時には海に浮かぶ」という極めて画期的な構想のもと、推古天皇元年(593年)に建立が始まり、平清盛が社殿を造営し、仁安3年(1168年)に現在と同程度の大規模な社殿が整えられました。平家一門の隆盛とともに厳島神社も栄えて平家の氏神となり、平家滅亡後も源氏をはじめとした時の権力者の崇敬を受けました。1996年には同じく広島にある原爆ドームとともに、世界文化遺産に登録されています。この日も宮島に渡ろうとフェリーに乗り換える観光客が、大勢、宮島口駅で下車し、岩国行きの快速シティライナーの車内は一気にローカル線の様相に変わりました。
そうそう、宮島口駅から宮島に渡るルートの1つにJR西日本が運航する宮島フェリーがあります。このJR西日本の宮島フェリーは「宮島連絡船」とも呼ばれ、広島県の宮島口駅と宮島の“宮島駅”との間を運行しています。鉄道が走っていない区間を船で結ぶJRが運行する「鉄道連絡船」なので、“宮島港”ではなくて、あくまでも“宮島駅”です。かつて国鉄(現在のJR)は青函連絡船(青森~函館間)や宇高連絡船(宇野~高松間)といった「鉄道連絡船」を幾つか運行していて、この宮島連絡船もその1つでした。青函トンネルや瀬戸大橋の開通に伴って青函連絡船や宇高連絡船が次々と姿を消し、現在、JRが運行している「鉄道連絡船」はこの宮島連絡船ただ1つだけになっています。
鉄道ネタが途中に入ってなかなか本論に辿り着きませんが、そこは大学時代の鉄研仲間に久々に逢いに行っている途中の旅ということで、ご容赦願います。こうやって事前に“鉄の温度”をある程度高めておかないと、日頃から“鉄分”が高めの連中と会うといきなり圧倒されてしまいそうですから(笑)
広島駅を出て約30分、快速シティライナーは玖波駅に到着しました。玖波駅は広島県大竹市に属する駅で、次の駅がその大竹市の中心駅である大竹駅。その大竹駅が広島県最西端の駅で、その西は山口県岩国市になります。玖波駅は山がすぐそこに迫った感じの海沿いの町にある“山陽本線の典型的なローカル駅”です。昨年の9月に開設されたばかりという山側の真新しい西口改札口のところに3年後輩のノダ君がクルマで私を迎えに来てくれていました。
私が久し振りに広島に遊びにやって来ると長澤クンから聞いて、地元広島に住む昔の仲間達、イチノセ君とノダ君も集まってくれていたのでした。イチノセ君もノダ君も私が大学を卒業して以来ですので、お会いするのは38年振りになります。ノダ君からは「38年振りなので、分かるかなぁ〜って少し不安に思っていたのですが、すぐにアッ、越智さんだって分かりましたよ」と言って貰えました。「学生時代と比べると20kg近く体重が増えているし(当時はガリガリに痩せて、華奢な体型をしていました)、髪の毛は白くなって、かつ薄くなったけどね」と私。「いやいや、雰囲気は昔のまんまです。ぜんぜん変わっていません」。これにはちょっと嬉しかったですね。
ちなみに、学生時代の私は肩にかかるほどの長髪でした。前髪も長く、癖のように何度も何度も前髪を掻きあげていないと目にかかってしまうほどでした。華奢と言っていいくらいの細身で、鬱陶しいくらいの長髪‥‥、今の私からは考えられないことですが、どう見ても病的で神経質そうな印象を受ける若者でした。まぁ~、フォークソングをやっているような連中の間では、そういうのが流行った時代ではありましたが‥‥。今、タイムスリップしてあの時代に行き、当時の私に逢うことができたならば、間違いなく「イメージが暗すぎるから、髪切れ!髪切れ! バリカン、どっかにある?!」って言っちゃうでしょうね(笑)
ノダ君が運転するクルマは玖珂駅の裏手の山の中へ進んでいきます。信号機もこれと言った交差点もない、さらには人家もほとんどない一本道を奥へ奥へ。登りが続き、標高が徐々に高くなっていくのを感じます。まさに“隠れ家”がありそうな雰囲気が満々です。20分ちょっと走ったでしょうか、ひと山越えてちょこっと坂を下ったところの緩い左カーブを曲がると、目の前に数軒の民家が見えます。その一番手前の家の前になんとも可愛らしい感じの白い小さな建物が‥‥。「もしかしてここか?」、「そうです。遠路お疲れ様でした」‥‥ノダ君が答え、クルマをその可愛らしい感じの建物の横にある草むらに停めました(駐車場ではなく、草むらです)。建物の裏から3人の懐かしい顔が出てきました。おぉっ!!
‥‥‥‥(その4)に続きます。自分で言うのもなんですが、メチャメチャ引っ張るなぁ〜 (;^_^A
執筆者
株式会社ハレックス
前代表取締役社長
越智正昭
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