2016/08/22
大人のお泊まり遠足2016 in 京都祇園祭 (その8)
三宝院を出て、金堂(醍醐寺本堂)と五重塔に向かいます。仁王門(西大門)です。豊臣秀頼が金堂の再建の後、慶長10年(1605年)に再建したもので、そこに安置されている仁王像(国の重要文化財)は、元々は南大門に祀られていた尊像で、平安後期の長承3年(1134年)に仏師勢増と仁増によって造立された尊像です。
新緑の木立の中を奥に進みます。爽やかです。
国宝に指定されている醍醐寺の金堂です。この金堂は醍醐天皇の御願により延長4年(926年)に創建された建物で、当時は釈迦堂と言われていました。永仁年間と文明年間に二度焼失しました。現在の金堂は豊臣秀吉の命によって紀州(和歌山県)湯浅の満願寺(12世紀後半に建立された後白河法皇の御願寺)から本堂を移築することが計画され、秀頼の時代、慶長5年(1600年)に完成しました。この金堂が、醍醐寺の中心のお堂であり、安置されている薬師如来坐像(国の重要文化財)が醍醐寺の本尊です。
国宝の五重塔です。この五重塔は、醍醐天皇のご冥福を祈るために、第一皇子・朱雀天皇が承平6年(936年)に着工し、第二皇子・村上天皇の天暦5年(951年)に完成した建物です。初層の内部には両界曼荼羅や真言八祖が描かれており、日本密教絵画の源流をなすものといわれています。高さは約38メートルで、屋根の上の相輪は約13メートルあり、相輪が塔の三分の一を占め、安定感を与えています。古都京都でも現存する最も古い五重塔、最も古い木造建築物です。幾多補修を重ねてきたと思われますが、1,000年以上昔の姿を今に伝えていて、凛と立つ姿には神々しさを感じます。
清滝宮です。この清滝宮は醍醐寺の総鎮守清瀧権現(せいりゅうごんげん)を祀る鎮守社です。永長2年(1097年)に、最初に建立された上醍醐より分身を移し祀りました。その後、この社殿の前で清瀧会(桜会)が行われるようになりましたが、文明の兵火により焼失。現在の社殿は永正14年(1517年)に再建され、慶長4年(1599年)、座主・義演僧正により拝殿の整備が施されました。毎年4月1日から21日まで『清瀧権現桜会(さくらえ)』として様々な法要が行われています。国の重要文化財になっています。
醍醐寺の境内は緑が豊かで、綺麗に整備されていて、歩いていて気持ちがいいです。あれっ? 「無量寿苑」という庭園があるようです。愛媛県今治市にある我が家の菩提寺の名称は「龍門山無量寺」。なにか関係があるのでしょうか?
醍醐寺にはこの五重塔をはじめ金堂、薬師堂など歴史的に貴重な幾多の建造物のほか、仏像・絵画・工芸品など15万点以上の寺宝を伝承しています。このうち、国宝は69,420点、国の重要文化財は6,521点に及びます。これらの寺宝は醍醐寺創建以来、歴代の座主を中心に多くの僧侶達による絶え間ない努力と人々の祈りによって、守り続けられてきました。これらの貴重な寺宝の保存と公開を兼ねた施設として、昭和10年(1935年)に開館したのが「醍醐寺霊宝館」です。平成13年(2001年)には上醍醐薬師堂の本尊である国宝・薬師三尊像を中央に安置する大展示室を増築。現在は、諸堂に祀られている諸尊以外のほとんどの寺宝はこの「醍醐寺霊宝館」に安置されていて、我々も拝観できるようになっています。日本の仏教史や美術史上たいへん貴重な資料館なのですが、館内は撮影禁止なので、この場でご紹介できないのが残念です。
それにしても、国宝が69,420点に、国の重要文化財も6,521点…ですか。その他未指定のものを含めると仏像、絵画をはじめとする寺宝・伝承文化財は約15万点にも及ぶとかで、すべての展示は不可能なので、毎年その一部が春夏秋冬で展示替えが行われ公開されているのだそうです。今回は時間がないので駆け足で館内を観て回りましたが、次回ゆっくりと時間をとって訪れてみたいと思っています。
「醍醐寺霊宝館」の周囲にも「しだれ桜」の木が何本も植えられています。そう言えば、愛媛県今治市にある我が家の菩提寺「無量寺」も、立派な「しだれ桜」があることで有名です。真言宗醍醐派ということで、無量寺の第32代宥量上人が、醍醐派総本山醍醐寺よりいただいた桜なのだそうで、どうも「しだれ桜」は真言宗醍醐派のシンボルのようなもののようです。
龍門山無量寺公式HP
いつかは訪れてみたいと思っていた真言宗醍醐派の総本山、醍醐寺についに来ることができました。想像していた以上に荘厳で素晴らしいところだったので、驚きました。さすがは由緒正しい総本山です。次回はもっとゆっくりと時間をとって、訪れてみたいと思っています。もちろん「下醍醐」だけではなく、次回は「上醍醐」にまでも足を運びたいと思っています。
時刻は午前11時、観光ワゴンタクシーに分乗して、京都市内に戻ることにしました。
京都って、テレビドラマの中では京都府警科学捜査研究所の沢口靖子さん(榊マリコ法医学研究員:『科捜研の女』)をはじめ、京都地検の名取夕子さん(鶴丸あや検事:『京都地検の女』)、京都府警察本部捜査一課の藤田まことさん(音川音次郎係長:『京都殺人案内』)、京都鴨川東署の渡瀬恒彦さん(鳥居勘三郎資料課長:『おみやさん』)、はたまた京都日報京都府警記者クラブの橋爪功さん(杉浦恭介記者:『京都迷宮案内』)といった方々が、入れ替わり立ち替わり様々な推理を繰り広げて難解なトリックを見破り、犯人を追い詰め、犯人の苦しい自白を聞いて‥‥と、やたらと殺人事件が発生する物騒なところのようではありますが、決してそういうところではありません(笑)。ドラマを製作しているテレビ朝日さんと東映さんが京都の街が大好きなだけのようです(実は、どの作品も京都太秦にある東映京都撮影所が製作する作品のようです)。
それらの作品に限らず、京都はテレビドラマや映画で時代劇や現代劇の舞台になることが多く、京都市内の各地で撮影ロケが行われています。特に、誰の目にも一目見ると京都だとわかる嵐山や嵯峨野、鞍馬、貴船、鴨川、祇園、大覚寺、南禅寺、清水寺など京都市内にある有名観光名所がロケ場所に使われることが多く、この醍醐寺とその周辺も頻繁にロケが行われているのだそうです。私が乗った観光ワゴンタクシーの運転手さんはそういう撮影現場を何度も目撃しているのだそうです。で、一般的に、そうした観光名所での撮影はなるべく人の少ない早朝の時間帯に行われることが多いのだそうです。このように、京都は、テレビドラマや映画のロケ撮影をするほうも、されるほうも、随分と慣れているようです。これも京都が誇る“現代文化”の一つですね。
さぁ~て、いよいよ祇園祭のハイライト、「山鉾巡行」の見学です。
【追記】
前述のように、真言宗醍醐派は古義真言宗に属する修験道の一派です。仏教伝来以前からある日本古来の「古神道」では、森羅万象に命や神霊が宿るとしていて、神霊(神や御霊)が宿るとされる御霊代(みたましろ)や依り代(よりしろ)を擁した領域一帯のことを「神奈備(かむなび)」と呼び、人々から敬われていました。神奈備には神が「鎮座する」または「隠れ住まう」山や森といった神域や、神籬(ひもろぎ)・磐座(いわくら)となる森林や神木(しんぼく)があったり、鎮守の森や神体山、また特徴的な形をした岩や滝があったりします。日本古来の山岳信仰はこの神奈備や磐座を信仰の対象としており、山へ籠もって厳しい修行を行うことによって、悟りを得ることを目的としています。この日本古来の山岳信仰と仏教が習合し、さらには密教などの要素も加味されて確立した日本独特の混淆宗教が修験道(しゅげんどう)です。修験宗ということもあります。
修験道は、日本各地にある霊山を修行の場とし、深山幽谷に分け入り厳しい修行を行うことによって超自然的な能力「験力」を得て、衆生の救済を目指す実践的な宗教でもあります。この山岳修行者のことを「修行して迷妄を払い験徳を得る」、あるいは「修行して その徳を驗わす(あらわす)」ことから修験者、さらには「山に伏して修行する姿」から山伏と呼びます。
修験道は、奈良時代に役小角(役行者:えんのぎょうじゃ)が創始したとされ、平安時代に入ってから盛んに信仰されるようになります。その信仰の源は、前述のように仏教伝来以前からある日本古来の神々への信仰(古神道)と仏教の信仰とを融合させる「神仏習合」です。この神仏習合は徐々に広まり、神社の境内に神宮寺が、反対に寺院の境内に「鎮守」としての守護神の社が、それぞれ建てられ、神職、あるいは僧職が神前で読経を行うなどしました。そして、それらの神仏習合の動きと、仏教の一派である密教(天台宗・真言宗)で行われていた山中での修行、さらには日本古来の山岳信仰とが結びついて、修験道という独自の信仰が成立していったわけです。このように、修験道は密教との関わりが深かったため仏教の一派とされることもありますが、根本的には仏教とは一線を画した日本独特の混淆宗教と言うことができます。修験道の法流は、大きく分けて真言宗系の当山派と、天台宗系の本山派に分類されます。当山派はここ醍醐寺を開いた理源大師・聖宝に端を発し、本山派は園城寺の増誉が聖護院を建立して熊野三所権現を祭ってから一派として形成されていったものです。
すなわち、真言宗醍醐派は修験道、山伏の宗教ってことで、ここ醍醐寺は山伏の総本山ってことになります。どうりで同じ真言宗といっても高野山に総本山を置く真言宗主流派とは似て非なるようなところが感じられるわけです。愛媛県今治市にある我が家の菩提寺、無量寺は真言宗醍醐派の寺院ですが、その無量寺でも毎年「火渡り」の儀式を行います。「火渡り」は、修験道に伝わる色々な祈祷法のなかで、特によく知られているものです。 醍醐寺を訪れてみて、いろいろなことが見えてきました。本当によかったです。
ところで、山伏は袈裟と、篠懸(すずかけ)という麻の法衣を身に纏い、頭に頭巾(ときん)と呼ばれる多角形の小さな帽子のような物を付け、手には錫杖(しゃくじょう)と呼ばれる金属製の杖を持つ格好をしています。また、山中での互いの連絡や合図のために、ほら貝を加工した楽器を持っています。天狗や烏天狗もこの山伏と同じ装束を身に纏うとされています。そして、赤ら顔で鼻が高く、翼があり空中を飛翔する‥‥。「赤ら顔で鼻が高く」って、どう考えてみたって欧米人、すなわちヨーロッパあたりからやって来た渡来人ってことではないでしょうか。また、「翼があり、空中を飛翔する」っていうのは、その渡来人である彼等が山の中を驚くほどのスピードで移動できる登山技術を持っていたと考えたほうがよろしいかと思います。その天狗と山伏、修験道、山岳信仰‥‥、その繋がりを調べていけば、もっと面白い何かが判明するかもしれません。
……(その9)に続きます。
新緑の木立の中を奥に進みます。爽やかです。
国宝に指定されている醍醐寺の金堂です。この金堂は醍醐天皇の御願により延長4年(926年)に創建された建物で、当時は釈迦堂と言われていました。永仁年間と文明年間に二度焼失しました。現在の金堂は豊臣秀吉の命によって紀州(和歌山県)湯浅の満願寺(12世紀後半に建立された後白河法皇の御願寺)から本堂を移築することが計画され、秀頼の時代、慶長5年(1600年)に完成しました。この金堂が、醍醐寺の中心のお堂であり、安置されている薬師如来坐像(国の重要文化財)が醍醐寺の本尊です。
国宝の五重塔です。この五重塔は、醍醐天皇のご冥福を祈るために、第一皇子・朱雀天皇が承平6年(936年)に着工し、第二皇子・村上天皇の天暦5年(951年)に完成した建物です。初層の内部には両界曼荼羅や真言八祖が描かれており、日本密教絵画の源流をなすものといわれています。高さは約38メートルで、屋根の上の相輪は約13メートルあり、相輪が塔の三分の一を占め、安定感を与えています。古都京都でも現存する最も古い五重塔、最も古い木造建築物です。幾多補修を重ねてきたと思われますが、1,000年以上昔の姿を今に伝えていて、凛と立つ姿には神々しさを感じます。
清滝宮です。この清滝宮は醍醐寺の総鎮守清瀧権現(せいりゅうごんげん)を祀る鎮守社です。永長2年(1097年)に、最初に建立された上醍醐より分身を移し祀りました。その後、この社殿の前で清瀧会(桜会)が行われるようになりましたが、文明の兵火により焼失。現在の社殿は永正14年(1517年)に再建され、慶長4年(1599年)、座主・義演僧正により拝殿の整備が施されました。毎年4月1日から21日まで『清瀧権現桜会(さくらえ)』として様々な法要が行われています。国の重要文化財になっています。
醍醐寺の境内は緑が豊かで、綺麗に整備されていて、歩いていて気持ちがいいです。あれっ? 「無量寿苑」という庭園があるようです。愛媛県今治市にある我が家の菩提寺の名称は「龍門山無量寺」。なにか関係があるのでしょうか?
醍醐寺にはこの五重塔をはじめ金堂、薬師堂など歴史的に貴重な幾多の建造物のほか、仏像・絵画・工芸品など15万点以上の寺宝を伝承しています。このうち、国宝は69,420点、国の重要文化財は6,521点に及びます。これらの寺宝は醍醐寺創建以来、歴代の座主を中心に多くの僧侶達による絶え間ない努力と人々の祈りによって、守り続けられてきました。これらの貴重な寺宝の保存と公開を兼ねた施設として、昭和10年(1935年)に開館したのが「醍醐寺霊宝館」です。平成13年(2001年)には上醍醐薬師堂の本尊である国宝・薬師三尊像を中央に安置する大展示室を増築。現在は、諸堂に祀られている諸尊以外のほとんどの寺宝はこの「醍醐寺霊宝館」に安置されていて、我々も拝観できるようになっています。日本の仏教史や美術史上たいへん貴重な資料館なのですが、館内は撮影禁止なので、この場でご紹介できないのが残念です。
それにしても、国宝が69,420点に、国の重要文化財も6,521点…ですか。その他未指定のものを含めると仏像、絵画をはじめとする寺宝・伝承文化財は約15万点にも及ぶとかで、すべての展示は不可能なので、毎年その一部が春夏秋冬で展示替えが行われ公開されているのだそうです。今回は時間がないので駆け足で館内を観て回りましたが、次回ゆっくりと時間をとって訪れてみたいと思っています。
「醍醐寺霊宝館」の周囲にも「しだれ桜」の木が何本も植えられています。そう言えば、愛媛県今治市にある我が家の菩提寺「無量寺」も、立派な「しだれ桜」があることで有名です。真言宗醍醐派ということで、無量寺の第32代宥量上人が、醍醐派総本山醍醐寺よりいただいた桜なのだそうで、どうも「しだれ桜」は真言宗醍醐派のシンボルのようなもののようです。
龍門山無量寺公式HP
いつかは訪れてみたいと思っていた真言宗醍醐派の総本山、醍醐寺についに来ることができました。想像していた以上に荘厳で素晴らしいところだったので、驚きました。さすがは由緒正しい総本山です。次回はもっとゆっくりと時間をとって、訪れてみたいと思っています。もちろん「下醍醐」だけではなく、次回は「上醍醐」にまでも足を運びたいと思っています。
時刻は午前11時、観光ワゴンタクシーに分乗して、京都市内に戻ることにしました。
京都って、テレビドラマの中では京都府警科学捜査研究所の沢口靖子さん(榊マリコ法医学研究員:『科捜研の女』)をはじめ、京都地検の名取夕子さん(鶴丸あや検事:『京都地検の女』)、京都府警察本部捜査一課の藤田まことさん(音川音次郎係長:『京都殺人案内』)、京都鴨川東署の渡瀬恒彦さん(鳥居勘三郎資料課長:『おみやさん』)、はたまた京都日報京都府警記者クラブの橋爪功さん(杉浦恭介記者:『京都迷宮案内』)といった方々が、入れ替わり立ち替わり様々な推理を繰り広げて難解なトリックを見破り、犯人を追い詰め、犯人の苦しい自白を聞いて‥‥と、やたらと殺人事件が発生する物騒なところのようではありますが、決してそういうところではありません(笑)。ドラマを製作しているテレビ朝日さんと東映さんが京都の街が大好きなだけのようです(実は、どの作品も京都太秦にある東映京都撮影所が製作する作品のようです)。
それらの作品に限らず、京都はテレビドラマや映画で時代劇や現代劇の舞台になることが多く、京都市内の各地で撮影ロケが行われています。特に、誰の目にも一目見ると京都だとわかる嵐山や嵯峨野、鞍馬、貴船、鴨川、祇園、大覚寺、南禅寺、清水寺など京都市内にある有名観光名所がロケ場所に使われることが多く、この醍醐寺とその周辺も頻繁にロケが行われているのだそうです。私が乗った観光ワゴンタクシーの運転手さんはそういう撮影現場を何度も目撃しているのだそうです。で、一般的に、そうした観光名所での撮影はなるべく人の少ない早朝の時間帯に行われることが多いのだそうです。このように、京都は、テレビドラマや映画のロケ撮影をするほうも、されるほうも、随分と慣れているようです。これも京都が誇る“現代文化”の一つですね。
さぁ~て、いよいよ祇園祭のハイライト、「山鉾巡行」の見学です。
【追記】
前述のように、真言宗醍醐派は古義真言宗に属する修験道の一派です。仏教伝来以前からある日本古来の「古神道」では、森羅万象に命や神霊が宿るとしていて、神霊(神や御霊)が宿るとされる御霊代(みたましろ)や依り代(よりしろ)を擁した領域一帯のことを「神奈備(かむなび)」と呼び、人々から敬われていました。神奈備には神が「鎮座する」または「隠れ住まう」山や森といった神域や、神籬(ひもろぎ)・磐座(いわくら)となる森林や神木(しんぼく)があったり、鎮守の森や神体山、また特徴的な形をした岩や滝があったりします。日本古来の山岳信仰はこの神奈備や磐座を信仰の対象としており、山へ籠もって厳しい修行を行うことによって、悟りを得ることを目的としています。この日本古来の山岳信仰と仏教が習合し、さらには密教などの要素も加味されて確立した日本独特の混淆宗教が修験道(しゅげんどう)です。修験宗ということもあります。
修験道は、日本各地にある霊山を修行の場とし、深山幽谷に分け入り厳しい修行を行うことによって超自然的な能力「験力」を得て、衆生の救済を目指す実践的な宗教でもあります。この山岳修行者のことを「修行して迷妄を払い験徳を得る」、あるいは「修行して その徳を驗わす(あらわす)」ことから修験者、さらには「山に伏して修行する姿」から山伏と呼びます。
修験道は、奈良時代に役小角(役行者:えんのぎょうじゃ)が創始したとされ、平安時代に入ってから盛んに信仰されるようになります。その信仰の源は、前述のように仏教伝来以前からある日本古来の神々への信仰(古神道)と仏教の信仰とを融合させる「神仏習合」です。この神仏習合は徐々に広まり、神社の境内に神宮寺が、反対に寺院の境内に「鎮守」としての守護神の社が、それぞれ建てられ、神職、あるいは僧職が神前で読経を行うなどしました。そして、それらの神仏習合の動きと、仏教の一派である密教(天台宗・真言宗)で行われていた山中での修行、さらには日本古来の山岳信仰とが結びついて、修験道という独自の信仰が成立していったわけです。このように、修験道は密教との関わりが深かったため仏教の一派とされることもありますが、根本的には仏教とは一線を画した日本独特の混淆宗教と言うことができます。修験道の法流は、大きく分けて真言宗系の当山派と、天台宗系の本山派に分類されます。当山派はここ醍醐寺を開いた理源大師・聖宝に端を発し、本山派は園城寺の増誉が聖護院を建立して熊野三所権現を祭ってから一派として形成されていったものです。
すなわち、真言宗醍醐派は修験道、山伏の宗教ってことで、ここ醍醐寺は山伏の総本山ってことになります。どうりで同じ真言宗といっても高野山に総本山を置く真言宗主流派とは似て非なるようなところが感じられるわけです。愛媛県今治市にある我が家の菩提寺、無量寺は真言宗醍醐派の寺院ですが、その無量寺でも毎年「火渡り」の儀式を行います。「火渡り」は、修験道に伝わる色々な祈祷法のなかで、特によく知られているものです。 醍醐寺を訪れてみて、いろいろなことが見えてきました。本当によかったです。
ところで、山伏は袈裟と、篠懸(すずかけ)という麻の法衣を身に纏い、頭に頭巾(ときん)と呼ばれる多角形の小さな帽子のような物を付け、手には錫杖(しゃくじょう)と呼ばれる金属製の杖を持つ格好をしています。また、山中での互いの連絡や合図のために、ほら貝を加工した楽器を持っています。天狗や烏天狗もこの山伏と同じ装束を身に纏うとされています。そして、赤ら顔で鼻が高く、翼があり空中を飛翔する‥‥。「赤ら顔で鼻が高く」って、どう考えてみたって欧米人、すなわちヨーロッパあたりからやって来た渡来人ってことではないでしょうか。また、「翼があり、空中を飛翔する」っていうのは、その渡来人である彼等が山の中を驚くほどのスピードで移動できる登山技術を持っていたと考えたほうがよろしいかと思います。その天狗と山伏、修験道、山岳信仰‥‥、その繋がりを調べていけば、もっと面白い何かが判明するかもしれません。
……(その9)に続きます。
執筆者
株式会社ハレックス
前代表取締役社長
越智正昭
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