2016/09/30
中山道六十九次・街道歩き【第5回: 桶川→鴻巣】(その2)
宿場館の先の丁字路を右折して、数分歩いたところに桶川稲荷神社があります。この桶川稲荷神社は12世紀の創建とも言われる古社で、江戸時代には桶川宿の鎮守となっていました。拝殿の前に一対の石灯籠が建っています。この石灯籠は安政4年(1857年)に前述の矢部家をはじめとした桶川の紅花商人24名が寄進したものです。その稲荷神社の境内にはびっくりするようなものがありました。「大磐石」と呼ばれる力石です。重さは約610kg。なんと、嘉永5年2月、岩槻の三ノ宮卯之助という力士がこの力石を持ち上げたという伝承が残っています。重さだけでなく、大きさも大きいので、腕で直接抱え上げるのは到底無理な話で、実際は地面に仰向けに寝て、両脚の上に載せた小舟にこの力石を載せ、両脚でその舟を支えたということのようです。それにしても、大勢の人が寄ってたかってとは言え、人力だけでこの巨大な石を動かした(小舟に載せるために持ち上げた)ということで、信じられません。
戦国の時代ただなかの弘治3年(1557年)の開基と伝えられる曹洞宗大雲寺が、宿場町の西の外れに位置しています。この大雲寺は弘治3年(1557年)に開山されたと伝えられている寺院で、大雲寺の墓地には本陣職を務めた府川家をはじめとする宿場開設以来の家々の墓石が並び、桶川宿の歴史を偲ばせてくれます。その境内には、「女郎買い地蔵」と呼ばれる不名誉な名称を付けられた1体の地蔵菩薩像が鎮座しています。賑わいのある宿場町なら多くがそうだったように、ここ桶川宿にも飯盛女(めしもりおんな)が大勢いて、女色に溺れる男たちを飯盛旅籠に引き入れていました。そのような町で、土地のお地蔵様が女を買いに出掛けているらしいとの噂が立ちました。それを耳にした寺の住職は困り果てたのですが、一計を案じ、件(くだん)の地蔵の背に鎹(かすがい)を打ち付け、鎖で縛って動けなくしてしまったとのことです。
さても不思議な話ではあるのですが、実際のところは、一人の飯盛女に熱を上げ、通い詰めた若い僧にまつわる小さな事件の顛末であったように思います。坊主頭を布で隠して人目を忍ぶ様子のこの若者を怪しんでいたある人が、その後をつけてみたところ、最後に大雲寺の中へ帰っていったというのです。このことを知らされた住職は、必ず見つけ出して仕置きすると約束をしました。すると、次の日になって、鎹と鎖で動きを封じられたお地蔵様が立っていたのです。きっと住職が煩悩多き若い僧に、「その罪を地蔵菩薩に被っていただくゆえ、以後は心を入れ替えて精進するように」と諭し、一件を落着させたのではないでしょうか。この地蔵の背には、今も鎹が残っています。
旧中山道に戻ります。大雲寺を出て街道を先へ行くと、市神社の跡碑が建っています。桶川宿では毎月5と10の付く日に市が開かれていました。この市と宿場の人々を守る神として祀られたのが市神社です。今も続いている7月15日から16日の桶川祇園祭は、この市神社の祭りとして始まったと伝えられています。かつて中山道沿いにあった神社の社は、明治9年に前述の桶川稲荷神社の境内に移され、八雲神社として祀られています。
横断歩道橋の下に、一里塚跡の表示が出ています。中山道には江戸日本橋を起点として、1里(約4km)ごとに塚を築き、旅の道標(みちしるべ)としたのですが、この桶川宿にある一里塚が日本橋を出て10番目の一里塚でした。すなわち、日本橋を出てからほぼフルマラソンの距離にあたる40km来たことになります。桶川宿の一里塚は明治9年に取り壊されるまで道の両側に築かれていました。塚の上には杉が植えられ、その根元には妙見様を祀る石の祠があったそうです。
市役所入口交差点の右手前に「木戸跡」の碑があります。これは京方(北)の木戸跡碑で、ここまでが桶川宿でした。さらにその先の交差点際に「中山道桶川宿碑」があります。各宿場の江戸方、京方の出入り口には必ず「木戸跡」がありますが、かつてこの出入り口には文字通り木製の大きな門が設置され、朝夕には木戸番によって開け閉めがなされていました(すなわち、夜間はよっぽどのことがない限り宿場には入れませんでした)。また、日中もここで木戸番が厳重に防犯のための見張をしていたそうです。
その「中山道桶川宿碑」のある交差点で交差点で交差する道路が「松山街道」です。ここからちょっと行ったところに「松山街道の道標碑」があるのですが、今回は時間の関係で立ち寄るのをパスしました。この「松山街道の道標碑」は、江戸日本橋にあった小田原町の魚河岸の人達によって、天保7年(1836年)に建てられたものです。「松山以奈り道 本小田原町」と刻まれていて、碑文の中には「魚」の字が図案化されているそうです。松山(現在の埼玉県東松山市)には名の知れた「箭弓稲荷神社」があり、古くから商売繁昌の神として遠くから参拝者も多く隆盛を極めました。この道は「箭弓稲荷神社」への主要な参拝路で、松山街道はこの桶川宿の京方の木戸付近で中山道から西に分岐し、下石戸村(現在の北本市)を過ぎ、荒川の渡しを経て松山に通じていました。現在の道標は昭和62年に修理し、かつての松山街道に近いこの地に再建されたものということです。
……(その3)に続きます。
戦国の時代ただなかの弘治3年(1557年)の開基と伝えられる曹洞宗大雲寺が、宿場町の西の外れに位置しています。この大雲寺は弘治3年(1557年)に開山されたと伝えられている寺院で、大雲寺の墓地には本陣職を務めた府川家をはじめとする宿場開設以来の家々の墓石が並び、桶川宿の歴史を偲ばせてくれます。その境内には、「女郎買い地蔵」と呼ばれる不名誉な名称を付けられた1体の地蔵菩薩像が鎮座しています。賑わいのある宿場町なら多くがそうだったように、ここ桶川宿にも飯盛女(めしもりおんな)が大勢いて、女色に溺れる男たちを飯盛旅籠に引き入れていました。そのような町で、土地のお地蔵様が女を買いに出掛けているらしいとの噂が立ちました。それを耳にした寺の住職は困り果てたのですが、一計を案じ、件(くだん)の地蔵の背に鎹(かすがい)を打ち付け、鎖で縛って動けなくしてしまったとのことです。
さても不思議な話ではあるのですが、実際のところは、一人の飯盛女に熱を上げ、通い詰めた若い僧にまつわる小さな事件の顛末であったように思います。坊主頭を布で隠して人目を忍ぶ様子のこの若者を怪しんでいたある人が、その後をつけてみたところ、最後に大雲寺の中へ帰っていったというのです。このことを知らされた住職は、必ず見つけ出して仕置きすると約束をしました。すると、次の日になって、鎹と鎖で動きを封じられたお地蔵様が立っていたのです。きっと住職が煩悩多き若い僧に、「その罪を地蔵菩薩に被っていただくゆえ、以後は心を入れ替えて精進するように」と諭し、一件を落着させたのではないでしょうか。この地蔵の背には、今も鎹が残っています。
旧中山道に戻ります。大雲寺を出て街道を先へ行くと、市神社の跡碑が建っています。桶川宿では毎月5と10の付く日に市が開かれていました。この市と宿場の人々を守る神として祀られたのが市神社です。今も続いている7月15日から16日の桶川祇園祭は、この市神社の祭りとして始まったと伝えられています。かつて中山道沿いにあった神社の社は、明治9年に前述の桶川稲荷神社の境内に移され、八雲神社として祀られています。
横断歩道橋の下に、一里塚跡の表示が出ています。中山道には江戸日本橋を起点として、1里(約4km)ごとに塚を築き、旅の道標(みちしるべ)としたのですが、この桶川宿にある一里塚が日本橋を出て10番目の一里塚でした。すなわち、日本橋を出てからほぼフルマラソンの距離にあたる40km来たことになります。桶川宿の一里塚は明治9年に取り壊されるまで道の両側に築かれていました。塚の上には杉が植えられ、その根元には妙見様を祀る石の祠があったそうです。
市役所入口交差点の右手前に「木戸跡」の碑があります。これは京方(北)の木戸跡碑で、ここまでが桶川宿でした。さらにその先の交差点際に「中山道桶川宿碑」があります。各宿場の江戸方、京方の出入り口には必ず「木戸跡」がありますが、かつてこの出入り口には文字通り木製の大きな門が設置され、朝夕には木戸番によって開け閉めがなされていました(すなわち、夜間はよっぽどのことがない限り宿場には入れませんでした)。また、日中もここで木戸番が厳重に防犯のための見張をしていたそうです。
その「中山道桶川宿碑」のある交差点で交差点で交差する道路が「松山街道」です。ここからちょっと行ったところに「松山街道の道標碑」があるのですが、今回は時間の関係で立ち寄るのをパスしました。この「松山街道の道標碑」は、江戸日本橋にあった小田原町の魚河岸の人達によって、天保7年(1836年)に建てられたものです。「松山以奈り道 本小田原町」と刻まれていて、碑文の中には「魚」の字が図案化されているそうです。松山(現在の埼玉県東松山市)には名の知れた「箭弓稲荷神社」があり、古くから商売繁昌の神として遠くから参拝者も多く隆盛を極めました。この道は「箭弓稲荷神社」への主要な参拝路で、松山街道はこの桶川宿の京方の木戸付近で中山道から西に分岐し、下石戸村(現在の北本市)を過ぎ、荒川の渡しを経て松山に通じていました。現在の道標は昭和62年に修理し、かつての松山街道に近いこの地に再建されたものということです。
……(その3)に続きます。
執筆者
株式会社ハレックス
前代表取締役社長
越智正昭
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