2017/10/16
日光街道ダイジェストウォーク【日光東照宮→今市宿】(その3)
東武鉄道の日光駅です。現在、東京から日光に鉄道を利用して行こうと思えば基本的に新宿(JR新宿駅)経由と浅草(東武浅草駅)経由の2つのルートがあります。まず、JR新宿駅からは東武鉄道の車両を使った特急の「スペーシアきぬがわ号」とJR東日本の車両を用いた「日光号」と「きぬがわ号」があります。これらの特急はJR湘南新宿ラインの経路で浦和駅、大宮駅を経由して栗橋駅まで向かい、栗橋駅からは東武日光線に入り東武日光駅まで行くことができます。いっぽう、東武浅草駅からは東武特急のスペーシア「きぬ号」と「けごん号」が東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)、東武日光線経由で東武日光駅まで行くことができます。
現在はどちらも日光側の終点は東武日光駅ですが、JR(当時は国鉄)も東北本線(現・宇都宮線)の宇都宮駅から分岐してJR日光駅に至るJR日光線があり、かつては上野駅から東北本線、日光線経由でJR日光駅に至るデラックスな157系長距離用直流特別準急電車(皇室専用のお召し車両であるクロ157形を含む)を使用した準急「日光号」を運転していました。
日光東照宮や中禅寺湖など景観の美しい日光は古くから日本有数の観光地で、外国人観光客も含め多くの観光需要が見込まれたことから、東京と日光を結ぶ鉄道路線は古くから建設されました。
まず、東北本線などを建設した日本最初の私鉄であった日本鉄道が、宇都宮から日光までの支線を建設し、終着駅としての日光駅を明治23年(1890年)に開業しました。明治の開国とともにその景観の美しさから世界的に知られていた日光にはお雇い外国人を中心とする西洋圏の富裕層が頻繁に訪れるようになり、当線開業間もない明治26年(1893年)には、日本を訪れたオーストリア皇室のフランツ・フェルディナント大公が上野駅~日光駅間の日本鉄道を利用して日光を訪問しています。明治39年(1906年)には日本鉄道が国有化されて日本国有鉄道(国鉄)の駅となり、明治42年(1909年)に線路名称が制定されて日光駅の所属する路線は日光線と名付けられました。初代の駅は質素な平屋建てでしたが、大正元年(1912年)に、現在の2代目駅舎が落成しました。当時の日光線は非電化だったので、使用する車両は蒸気機関車牽引の客車列車でしたが、要人向けの貴賓車を組み込んだ堂々とした編成で運行されていました。
昭和4年(1929年)には東武鉄道が距離的に有利な東武日光線(浅草駅 – 東武日光駅間135.5 km)を開業して、国鉄と東武の競合関係となり、熾烈な誘客合戦が展開されました。特に東武鉄道は最初から電化で開業したため、開業当初から特急の運行を開始ました。昭和10年(1935年)に特急専用車両デハ10系を投入しました。戦後もまだ敗戦の傷痕の残る昭和23年(1948年)には進駐軍(GHQ・連合国軍)の“要請”により「特急」を浅草 – 東武日光間で運行再開しました。そして、昭和26年(1951年)には接客設備の改善による乗客の増加をもくろんで本格的な特急用車両5700系が就役し、列車名も「けごん」、「きぬ」の平仮名表記となりました。さらに私が生まれた昭和31年(1956年)にはデラックスロマンスカー(Deluxe Romance Car:DRC)の愛称を持つ決定版の特急専用車両1700系の運用を開始しました。私が幼い子供だった頃、まだ東海道新幹線も開業していなかったので、絵本に登場するカッコいい特急列車といえば、昭和32年(1957年)に登場した小田急電鉄の3000形”Super Express car” 、略して「SE車」か、この東武鉄道の1700系デラックスロマンスカー(DRC)でした。低重心・超軽量の流線形車両で赤を基調とした塗色の小田急3000形SE車と、ボンネットに似たノーズの伸びた先頭形状の左右両側に航空機の双垂直尾翼にも似た細長い箱が付き、そこに灯火類が収容されるという東武1700系DRCの斬新なスタイルは当時のカッコいい特急車両の双璧でした。
いっぽう国鉄は上野駅~日光駅間の距離が146.6kmと長く、しかも宇都宮駅での折り返し(進行方向の変更)が必要だったため、蒸気機関車の付け替えをする時間も必要で、最初から所要時間の面において不利となっていました。このため、昭和31年(1956年)に上野駅~日光駅間で国鉄初の準急型ディーゼルカーキハ44800形(後のキハ55形)による準急「日光」の運転を開始し、上野駅~日光駅間の所要時間を約2時間に短縮しました。このように遅れをとった国鉄も昭和34年(1959年)には日光線の電化が完成し、「日光型」と呼ばれるデラックスな157系直流特急電車を使用した“準急”「日光」の運転を開始して東武鉄道に対抗したのですが、距離の違いは如何ともしがたく、運賃・所要時間ともに東武鉄道の方が勝り、とうとう昭和57年(1982年)に上野から直通する列車が全廃となり、国鉄(現JR)の日光駅に準急や急行などの速達列車が発着することはなくなりました。
平成18年(2006年)からJR東日本は東武鉄道と直通しての特急列車の日光乗り入れを再開し、以後は東武日光駅にJRからの直通特急列車も発着している状況にあります。これには鉄道マニアとしてはビックリ仰天しました。しかし、よくよく考えてみると、JR東日本としては所要時間という弱点を補うことができ、東武鉄道としては新宿、池袋という乗客にとって便利なターミナル駅を確保できることになったので、Win-Winってことですわね。最近はJR新宿駅のホームに東武鉄道の看板特急電車スペーシアが入線して来ても、まぁ~、違和感は感じなくなってきました。
東武日光駅は東武鉄道日光線の終点で、頭端式ホーム3面5線を有する地上駅の構造をしています。山小屋をイメージしたという大きな三角屋根の駅舎が特徴となっています。
こちらはJR東日本の日光駅です。駅舎は大正元年(1912年)に落成した2代目のもので、ネオ・ルネサンス様式の洋風木造2階建てで、駅舎2階にはかつての一等車利用者用待合室「ホワイトルーム」があり、現在は駅ギャラリーとして一般公開されています。駅舎右手にある屋根のついた広場は団体待合所ですが、現在はほとんど使われておりません。1階には貴賓室もあるのですが、こちらも普段は公開していません。貴賓室は広さ約40平方メートルで、シャンデリアと大理石製の暖炉が備えられている立派なものらしいです。駅構造は単式ホームと島式ホームの2面3線であったのですが、現在は駅舎側では無い方の線路が撤去され2面2線になっています。
前述のように、シーズン時に運転されるJR線首都圏各方面からの臨時特急列車も含め、優等列車は現在は全て栗橋駅から東武日光線に乗り入れた上で東武日光駅の発着となっており、当駅に発着する定期列車は、歴史を感じさせる立派な駅舎にもかかわらず、寂しいことにJR宇都宮駅との間を走る短距離普通列車のみになっています。秋などの修学旅行シーズンに運転される東京都・神奈川県・埼玉県などからの修学旅行列車は当駅に発着しており、現在当駅に発着する数少ない中距離の運用列車となっています。
下の写真はJR日光駅の側から東武日光駅の方向を撮影したものです。JR日光駅と東武日光駅はほとんど隣接していることがお分かりいただけるかと思います。また、かつてこのあたりに日光街道の鉢石宿の江戸方の木戸(入口)があったのだそうです。
JR日光駅で立ち止まって写真を数枚撮っていたので、撮った後は走って列に追いつきました。前述のようにこの「五街道ダイジェストウォーク」はあくまでもウォーキングが主目的なので、待ってくれません。おまけに歩くスピードが異様に速いので、走らないといけません。
国道119号線(現在の日光街道)です。このあたりから有名な日光杉並木が始まります。「日光杉並木街道」の案内標識が立っています。「普通地域」と「特別保護地域」に区分されていて、今も杉並木が残っている区間は「特別保護地域」になっています。
この区間は杉並木の幅の関係で国道119号線(現在の日光街道)の歩道は杉並木の裏側を通っているので、そこを歩きます。
国道119号線はJR日光線の線路の下を潜ります。杉並木はJR日光線と国道119号線に遮断されているのですが、真っ直ぐ延びています。ここの国道119号線には信号機も横断歩道も設けられていないので、杉並木を歩くのではなく、国道119号線の歩道をそのまま歩きます。左から東武鉄道日光線の線路が迫ってきて、しばらくその東武鉄道日光線の線路に沿って歩きます。
志渡淵川を筋違橋で渡ります。なかなか曰くがありそうな川と橋の名称です。下を流れる水は非常に透き通っていて、綺麗です。
道路脇を流れる川は水が透き通っていて、水量も多く、綺麗です。おそらく先ほど神橋のたもとにあった「磐裂霊水」同様、男体山系の湧き水を集めた用水路ではないかと思われます。
国道119号線から分岐して並行して延びる栃木県道248号日光だいや川公園線に入り、東武鉄道日光線の線路の下を潜ります。
栃木県道248号日光だいや川公園線の脇の歩道を歩きます。県道の脇にはヤマユリ(山百合)やアジサイ(紫陽花)の花が満開です。ユリの花と香りが大好きな妻の顔がほころびます。
県道を渡って、大谷川(だいやがわ)の堤防の上の遊歩道をしばらく歩きます。
先ほど渡った志渡淵川をはじめ幾つかの支流が合流してきているので、ここまで来ると大谷川の川幅もかなり広くなっています。
おやっ、これはクルミの木です。クルミの木は、先日、中山道街道歩きの途中でも見掛けたのですが、あれから2週間ほど経っているので、ちょっと実の水分が抜けて、よく見掛けるクルミの実に近づいてきています。
再び栃木県道248号日光だいや川公園線を渡り、「日光だいや川公園」の中に入っていきます。公園内も県道沿いと同様、ヤマユリやアジサイ、キキョウ(桔梗)などの花が咲き誇っています。
これは見事なヤマユリの群生です。ちょうど満開で、周囲に甘い香りを漂わせています。妻も立ち止まってヤマユリの群生を見上げて楽しんでいます。その間もウォーキングの一団は容赦なく歩を進めていて、私達はドンドン一団から遅れていきます。
甘い香りを漂わせるヤマユリに名残惜しそうな妻も半分駆け足で一団を追いあげます。私は先ほどのJR日光駅の時に引き続いての駆け足での追いあげ。還暦を過ぎた身には、この速度の切り替えは、実は思いのほかこたえます ヽ( ̄д ̄;)ノ=3=3=3 「なんなの、この歩くスピード!(・・;)」…ふだんは歩く速度が私よりも速い妻もちょっと悲鳴をあげています。そうだろ、そうだろ。写真を撮るたびに列から遅れ、駆け足で追いつくを繰り返す私に対して「パパ、なにやってんの!(-_-;)」と、いちいち目くじらを立てるな(笑)
……(その4)に続きます。
現在はどちらも日光側の終点は東武日光駅ですが、JR(当時は国鉄)も東北本線(現・宇都宮線)の宇都宮駅から分岐してJR日光駅に至るJR日光線があり、かつては上野駅から東北本線、日光線経由でJR日光駅に至るデラックスな157系長距離用直流特別準急電車(皇室専用のお召し車両であるクロ157形を含む)を使用した準急「日光号」を運転していました。
日光東照宮や中禅寺湖など景観の美しい日光は古くから日本有数の観光地で、外国人観光客も含め多くの観光需要が見込まれたことから、東京と日光を結ぶ鉄道路線は古くから建設されました。
まず、東北本線などを建設した日本最初の私鉄であった日本鉄道が、宇都宮から日光までの支線を建設し、終着駅としての日光駅を明治23年(1890年)に開業しました。明治の開国とともにその景観の美しさから世界的に知られていた日光にはお雇い外国人を中心とする西洋圏の富裕層が頻繁に訪れるようになり、当線開業間もない明治26年(1893年)には、日本を訪れたオーストリア皇室のフランツ・フェルディナント大公が上野駅~日光駅間の日本鉄道を利用して日光を訪問しています。明治39年(1906年)には日本鉄道が国有化されて日本国有鉄道(国鉄)の駅となり、明治42年(1909年)に線路名称が制定されて日光駅の所属する路線は日光線と名付けられました。初代の駅は質素な平屋建てでしたが、大正元年(1912年)に、現在の2代目駅舎が落成しました。当時の日光線は非電化だったので、使用する車両は蒸気機関車牽引の客車列車でしたが、要人向けの貴賓車を組み込んだ堂々とした編成で運行されていました。
昭和4年(1929年)には東武鉄道が距離的に有利な東武日光線(浅草駅 – 東武日光駅間135.5 km)を開業して、国鉄と東武の競合関係となり、熾烈な誘客合戦が展開されました。特に東武鉄道は最初から電化で開業したため、開業当初から特急の運行を開始ました。昭和10年(1935年)に特急専用車両デハ10系を投入しました。戦後もまだ敗戦の傷痕の残る昭和23年(1948年)には進駐軍(GHQ・連合国軍)の“要請”により「特急」を浅草 – 東武日光間で運行再開しました。そして、昭和26年(1951年)には接客設備の改善による乗客の増加をもくろんで本格的な特急用車両5700系が就役し、列車名も「けごん」、「きぬ」の平仮名表記となりました。さらに私が生まれた昭和31年(1956年)にはデラックスロマンスカー(Deluxe Romance Car:DRC)の愛称を持つ決定版の特急専用車両1700系の運用を開始しました。私が幼い子供だった頃、まだ東海道新幹線も開業していなかったので、絵本に登場するカッコいい特急列車といえば、昭和32年(1957年)に登場した小田急電鉄の3000形”Super Express car” 、略して「SE車」か、この東武鉄道の1700系デラックスロマンスカー(DRC)でした。低重心・超軽量の流線形車両で赤を基調とした塗色の小田急3000形SE車と、ボンネットに似たノーズの伸びた先頭形状の左右両側に航空機の双垂直尾翼にも似た細長い箱が付き、そこに灯火類が収容されるという東武1700系DRCの斬新なスタイルは当時のカッコいい特急車両の双璧でした。
いっぽう国鉄は上野駅~日光駅間の距離が146.6kmと長く、しかも宇都宮駅での折り返し(進行方向の変更)が必要だったため、蒸気機関車の付け替えをする時間も必要で、最初から所要時間の面において不利となっていました。このため、昭和31年(1956年)に上野駅~日光駅間で国鉄初の準急型ディーゼルカーキハ44800形(後のキハ55形)による準急「日光」の運転を開始し、上野駅~日光駅間の所要時間を約2時間に短縮しました。このように遅れをとった国鉄も昭和34年(1959年)には日光線の電化が完成し、「日光型」と呼ばれるデラックスな157系直流特急電車を使用した“準急”「日光」の運転を開始して東武鉄道に対抗したのですが、距離の違いは如何ともしがたく、運賃・所要時間ともに東武鉄道の方が勝り、とうとう昭和57年(1982年)に上野から直通する列車が全廃となり、国鉄(現JR)の日光駅に準急や急行などの速達列車が発着することはなくなりました。
平成18年(2006年)からJR東日本は東武鉄道と直通しての特急列車の日光乗り入れを再開し、以後は東武日光駅にJRからの直通特急列車も発着している状況にあります。これには鉄道マニアとしてはビックリ仰天しました。しかし、よくよく考えてみると、JR東日本としては所要時間という弱点を補うことができ、東武鉄道としては新宿、池袋という乗客にとって便利なターミナル駅を確保できることになったので、Win-Winってことですわね。最近はJR新宿駅のホームに東武鉄道の看板特急電車スペーシアが入線して来ても、まぁ~、違和感は感じなくなってきました。
東武日光駅は東武鉄道日光線の終点で、頭端式ホーム3面5線を有する地上駅の構造をしています。山小屋をイメージしたという大きな三角屋根の駅舎が特徴となっています。
こちらはJR東日本の日光駅です。駅舎は大正元年(1912年)に落成した2代目のもので、ネオ・ルネサンス様式の洋風木造2階建てで、駅舎2階にはかつての一等車利用者用待合室「ホワイトルーム」があり、現在は駅ギャラリーとして一般公開されています。駅舎右手にある屋根のついた広場は団体待合所ですが、現在はほとんど使われておりません。1階には貴賓室もあるのですが、こちらも普段は公開していません。貴賓室は広さ約40平方メートルで、シャンデリアと大理石製の暖炉が備えられている立派なものらしいです。駅構造は単式ホームと島式ホームの2面3線であったのですが、現在は駅舎側では無い方の線路が撤去され2面2線になっています。
前述のように、シーズン時に運転されるJR線首都圏各方面からの臨時特急列車も含め、優等列車は現在は全て栗橋駅から東武日光線に乗り入れた上で東武日光駅の発着となっており、当駅に発着する定期列車は、歴史を感じさせる立派な駅舎にもかかわらず、寂しいことにJR宇都宮駅との間を走る短距離普通列車のみになっています。秋などの修学旅行シーズンに運転される東京都・神奈川県・埼玉県などからの修学旅行列車は当駅に発着しており、現在当駅に発着する数少ない中距離の運用列車となっています。
下の写真はJR日光駅の側から東武日光駅の方向を撮影したものです。JR日光駅と東武日光駅はほとんど隣接していることがお分かりいただけるかと思います。また、かつてこのあたりに日光街道の鉢石宿の江戸方の木戸(入口)があったのだそうです。
JR日光駅で立ち止まって写真を数枚撮っていたので、撮った後は走って列に追いつきました。前述のようにこの「五街道ダイジェストウォーク」はあくまでもウォーキングが主目的なので、待ってくれません。おまけに歩くスピードが異様に速いので、走らないといけません。
国道119号線(現在の日光街道)です。このあたりから有名な日光杉並木が始まります。「日光杉並木街道」の案内標識が立っています。「普通地域」と「特別保護地域」に区分されていて、今も杉並木が残っている区間は「特別保護地域」になっています。
この区間は杉並木の幅の関係で国道119号線(現在の日光街道)の歩道は杉並木の裏側を通っているので、そこを歩きます。
国道119号線はJR日光線の線路の下を潜ります。杉並木はJR日光線と国道119号線に遮断されているのですが、真っ直ぐ延びています。ここの国道119号線には信号機も横断歩道も設けられていないので、杉並木を歩くのではなく、国道119号線の歩道をそのまま歩きます。左から東武鉄道日光線の線路が迫ってきて、しばらくその東武鉄道日光線の線路に沿って歩きます。
志渡淵川を筋違橋で渡ります。なかなか曰くがありそうな川と橋の名称です。下を流れる水は非常に透き通っていて、綺麗です。
道路脇を流れる川は水が透き通っていて、水量も多く、綺麗です。おそらく先ほど神橋のたもとにあった「磐裂霊水」同様、男体山系の湧き水を集めた用水路ではないかと思われます。
国道119号線から分岐して並行して延びる栃木県道248号日光だいや川公園線に入り、東武鉄道日光線の線路の下を潜ります。
栃木県道248号日光だいや川公園線の脇の歩道を歩きます。県道の脇にはヤマユリ(山百合)やアジサイ(紫陽花)の花が満開です。ユリの花と香りが大好きな妻の顔がほころびます。
県道を渡って、大谷川(だいやがわ)の堤防の上の遊歩道をしばらく歩きます。
先ほど渡った志渡淵川をはじめ幾つかの支流が合流してきているので、ここまで来ると大谷川の川幅もかなり広くなっています。
おやっ、これはクルミの木です。クルミの木は、先日、中山道街道歩きの途中でも見掛けたのですが、あれから2週間ほど経っているので、ちょっと実の水分が抜けて、よく見掛けるクルミの実に近づいてきています。
再び栃木県道248号日光だいや川公園線を渡り、「日光だいや川公園」の中に入っていきます。公園内も県道沿いと同様、ヤマユリやアジサイ、キキョウ(桔梗)などの花が咲き誇っています。
これは見事なヤマユリの群生です。ちょうど満開で、周囲に甘い香りを漂わせています。妻も立ち止まってヤマユリの群生を見上げて楽しんでいます。その間もウォーキングの一団は容赦なく歩を進めていて、私達はドンドン一団から遅れていきます。
甘い香りを漂わせるヤマユリに名残惜しそうな妻も半分駆け足で一団を追いあげます。私は先ほどのJR日光駅の時に引き続いての駆け足での追いあげ。還暦を過ぎた身には、この速度の切り替えは、実は思いのほかこたえます ヽ( ̄д ̄;)ノ=3=3=3 「なんなの、この歩くスピード!(・・;)」…ふだんは歩く速度が私よりも速い妻もちょっと悲鳴をあげています。そうだろ、そうだろ。写真を撮るたびに列から遅れ、駆け足で追いつくを繰り返す私に対して「パパ、なにやってんの!(-_-;)」と、いちいち目くじらを立てるな(笑)
……(その4)に続きます。
執筆者
株式会社ハレックス
前代表取締役社長
越智正昭
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