2018/01/10
中山道六十九次・街道歩き【第18回: 岡谷→贄川宿】(その10)
本山宿の宿内は左側へ少し湾曲しており、進んで行くと右手に旅籠の面影をそのまま残す3軒の建物群があります。3軒とも出桁造りで、千本格子と呼ばれる2階の連子格子が見事です。ここは (右から)川口屋(小林家住宅主屋)・池田屋(田中家住宅主屋)・若松屋(秋山家住宅主屋)で、どれも国の登録有形文化財に指定されています。3軒とも間口五間から七間の上級旅館で、明治2年(1869年)の大火の直後に再建されたものと伝えられています。
宿場内の道は比較的広く、この3軒もそうですが、建物の並び方が斜交(はすかい)屋敷というらしく、家が街道に面して斜めにのこぎり状に並んでいます。この斜交屋敷は坂本宿、塩名田宿等でも見られましたが、斜交いの角度はこの本山宿の方が大きいように思います。この斜交屋敷に関しては、兵士が隠れるのに都合がいいとか、大名行列が通る時に隠れられるので都合がいいとかの説があるそうです。
川口屋の向かいの路地の奥に本山宿本陣小林家跡があります。雀オドリが乗っている立派な家で、前には、「明治天皇行在所跡」の碑が建っています。本山宿までが松本藩領で、雀オドリの文化圏でした。
本陣・小林家は文久元年(1861年)に仁孝天皇の皇女和宮が徳川家茂に嫁下する際や、明治13年(1880年)の明治天皇御巡幸の際の宿泊所となりました。
その本山宿本陣小林家の前で、本陣小林家の現ご当主から本山宿に関するご説明をしていただきました。本陣の当主とは、世が世ならば、中山道を旅されるやんごとなき方々をご接待するという大変なお役目を仰せつかっていた方なんですね。はっはぁ~…って感じです。大変に分かりやすい、かつ興味深い説明をありがとうございました。
本陣の先、左手公民館の前に、「中山道」、「本山宿」の碑が建っています。ここは、脇本陣花村家の跡で、花村家は宿駅廃止後、よそへ転出し、建物は公民館建設のため壊されたのだそうです。
先ほどの川口屋・池田屋・若松屋という国の登録有形文化財に指定されている3軒ではないにしろ、旧中山道の宿場の歴史を感じさせる旅籠建築の建物が幾つも残っています。宿場としての規模が小さく、主たる観光施設もなく、知名度も低い宿場ですが、雰囲気だけならピカイチではないか…と私は思います。バックに山が迫る周囲の風景とも相まって、とにかくとぉ~っても味わい深い雰囲気を醸し出しています。間違いなく私がこれまで訪れてきた宿場の中で「ナンバー1」に推したい宿場ですね。
松本藩の口留番所跡です。ここは本山宿の京方の入口で、木曽路の入口に近く、この先に松本藩と尾張藩との境があったので穀物などの口留番所が置かれていました。
左の崖下に「秋葉常夜灯」と「秋葉大権現碑」が建っています。秋葉大権現は遠江(遠州)地方を中心に広く信仰されていた「火防の神様」ですが、このあたりにも遠江(遠州)の文化が流れて来ていたということですね。
「長久寺・常光寺跡」です。案内板によると、金峰山長久寺は「天正年間(1573年~1593年)に奈良井義高が開基した曹洞宗の寺院で、正徳3年(1713年)には1,900坪の敷地に、客殿・衆寮・庫裏・十王堂等122坪が建立されていた。 (中略) 明治4年、松本藩の激しい廃仏毀釈により、15世関宗和尚で廃寺となった。」いっぽう、小沢山常光寺は「信濃三十三番札所のうち第二十一番に数えられた真言宗の寺院で、中世からの古寺で、釜の沢の奥にあった。 (中略) 天和年間(1680年頃)に耶蘇教であったため廃寺になったとも伝えられている。以降、幕末まで長久寺領の常光寺観音堂として残った」と書かれています。結局、常光寺観音堂も明治4年の廃仏毀釈により取り壊されてしまったわけですね。
「長久寺・常光寺跡」を過ぎたところで左の側道に入ります。
側道に入ってすぐのところに本山学校の跡があります。おそらく明治時代の尋常小学校の跡のようです。今は、本山宿内の各所から集められた道祖神や庚申塔といった石像・石仏がここに集められて祀られています。
その本山学校跡から歩道橋を使って国道19号線を渡った先に本山神社が鎮座しています。本山宿の氏神様のようです。
この本山神社の前を通り、そのすぐ右側を奥に向かって回り込むように延びる道があります。実はこの道が旧中山道でした。神社の奥でいったん左に曲がって見えなくなり、さらにその奥で今度は右に向かって延びているように見て取れます。
沢登りで登高困難な場所を避けて山腹に道を作り、遠回りして通る道のことを「遠巻き道」と言います。このあたりの中山道では2ヶ所、南方向に大きく湾曲した「遠巻き道」が設けられていました。ここがその1つの「関沢越え」と呼ばれた遠巻き道でした。遠巻き道は随分と長い距離を迂回する必要があるため、土木技術が発達して、橋梁やトンネル等が作られ、沢越えであってもショートカットの道を建設することが可能になると一気に使用されなくなり、ほとんどのところが廃道になってしまいました。廃道になった遠巻き道はところどころで崩落していたり、崩落の危険性が高いため、通行禁止になっていることが多いです。この「関沢越え」の遠巻き道もこの先で崩落していて、通行禁止になっています。
なので、私達は「長久寺・常光寺跡」まで戻って、宿場から続く2車線の少し広い道を下っていきます。
下の写真は本山神社の前から見たところです。まさにV字谷。左右の山が迫り、V字になった地形の底を奈良井川が流れ、その奈良井川の河岸段丘の中腹を縫うようにJR中央本線の線路と国道19号線が寄り添うように延びています。これぞ木曽谷!…って風景です。
国道19号線やJR中央本線を名古屋方面からやって来ると、真正面に「本山宿」と書かれたこの目立つ看板が目に入ると思います。
先ほどの「関沢越え」の遠巻き道は山腹を大きく迂回するものの、この「本山宿」の看板の先に出てきたようなのですが、このあたりには「釜の沢超え」と呼ばれた遠巻き道がもう1か所あって、これがその入口のようです。この「釜の沢超え」の遠巻き道も沢奥に迂回していた街道の名残りは残っていますが、その先で崩落していて、現在は通行不能になっています。
中山道は国道19号線から右の脇道に入ります。右側をJR中央本線(西線)の線路が走っています。この先の第2中仙道踏切でJR中央本線(西線)の線路を渡るのですが、その途中で左側を見ると、左から「釜の沢超え」の遠巻き道が国道19号線に合流してくる出口があります。おそらく、かつての中山道はそこから国道19号線とJR中央本線(西線)の線路を斜めに突っ切るような感じで延びていたものと推測されます。位置的に遠巻き道からほぼ一直線に繋がっている感じです。
JR中央本線(西線)を第2中仙道踏切で渡ります。
中央本線(西線)を第2中仙道踏切で渡った先にある「日出塩の青木」の碑です。工場裏に古い碑が立っています。ここにはある貴人の墓があり、「洗馬の肘松 日出塩青木 お江戸屏風の絵にござる」…と江戸でも広く知られた樹齢数百年を経たヒノキ(檜)の大木があったとその碑には書かれています。この場所には樹木の切り株が残っていますが、とても樹齢数百年を経たヒノキ(檜)の大木の切り株とは思えませんので、どこかこの近所にでもあったのでしょうか?
……(その11)に続きます。
宿場内の道は比較的広く、この3軒もそうですが、建物の並び方が斜交(はすかい)屋敷というらしく、家が街道に面して斜めにのこぎり状に並んでいます。この斜交屋敷は坂本宿、塩名田宿等でも見られましたが、斜交いの角度はこの本山宿の方が大きいように思います。この斜交屋敷に関しては、兵士が隠れるのに都合がいいとか、大名行列が通る時に隠れられるので都合がいいとかの説があるそうです。
川口屋の向かいの路地の奥に本山宿本陣小林家跡があります。雀オドリが乗っている立派な家で、前には、「明治天皇行在所跡」の碑が建っています。本山宿までが松本藩領で、雀オドリの文化圏でした。
本陣・小林家は文久元年(1861年)に仁孝天皇の皇女和宮が徳川家茂に嫁下する際や、明治13年(1880年)の明治天皇御巡幸の際の宿泊所となりました。
その本山宿本陣小林家の前で、本陣小林家の現ご当主から本山宿に関するご説明をしていただきました。本陣の当主とは、世が世ならば、中山道を旅されるやんごとなき方々をご接待するという大変なお役目を仰せつかっていた方なんですね。はっはぁ~…って感じです。大変に分かりやすい、かつ興味深い説明をありがとうございました。
本陣の先、左手公民館の前に、「中山道」、「本山宿」の碑が建っています。ここは、脇本陣花村家の跡で、花村家は宿駅廃止後、よそへ転出し、建物は公民館建設のため壊されたのだそうです。
先ほどの川口屋・池田屋・若松屋という国の登録有形文化財に指定されている3軒ではないにしろ、旧中山道の宿場の歴史を感じさせる旅籠建築の建物が幾つも残っています。宿場としての規模が小さく、主たる観光施設もなく、知名度も低い宿場ですが、雰囲気だけならピカイチではないか…と私は思います。バックに山が迫る周囲の風景とも相まって、とにかくとぉ~っても味わい深い雰囲気を醸し出しています。間違いなく私がこれまで訪れてきた宿場の中で「ナンバー1」に推したい宿場ですね。
松本藩の口留番所跡です。ここは本山宿の京方の入口で、木曽路の入口に近く、この先に松本藩と尾張藩との境があったので穀物などの口留番所が置かれていました。
左の崖下に「秋葉常夜灯」と「秋葉大権現碑」が建っています。秋葉大権現は遠江(遠州)地方を中心に広く信仰されていた「火防の神様」ですが、このあたりにも遠江(遠州)の文化が流れて来ていたということですね。
「長久寺・常光寺跡」です。案内板によると、金峰山長久寺は「天正年間(1573年~1593年)に奈良井義高が開基した曹洞宗の寺院で、正徳3年(1713年)には1,900坪の敷地に、客殿・衆寮・庫裏・十王堂等122坪が建立されていた。 (中略) 明治4年、松本藩の激しい廃仏毀釈により、15世関宗和尚で廃寺となった。」いっぽう、小沢山常光寺は「信濃三十三番札所のうち第二十一番に数えられた真言宗の寺院で、中世からの古寺で、釜の沢の奥にあった。 (中略) 天和年間(1680年頃)に耶蘇教であったため廃寺になったとも伝えられている。以降、幕末まで長久寺領の常光寺観音堂として残った」と書かれています。結局、常光寺観音堂も明治4年の廃仏毀釈により取り壊されてしまったわけですね。
「長久寺・常光寺跡」を過ぎたところで左の側道に入ります。
側道に入ってすぐのところに本山学校の跡があります。おそらく明治時代の尋常小学校の跡のようです。今は、本山宿内の各所から集められた道祖神や庚申塔といった石像・石仏がここに集められて祀られています。
その本山学校跡から歩道橋を使って国道19号線を渡った先に本山神社が鎮座しています。本山宿の氏神様のようです。
この本山神社の前を通り、そのすぐ右側を奥に向かって回り込むように延びる道があります。実はこの道が旧中山道でした。神社の奥でいったん左に曲がって見えなくなり、さらにその奥で今度は右に向かって延びているように見て取れます。
沢登りで登高困難な場所を避けて山腹に道を作り、遠回りして通る道のことを「遠巻き道」と言います。このあたりの中山道では2ヶ所、南方向に大きく湾曲した「遠巻き道」が設けられていました。ここがその1つの「関沢越え」と呼ばれた遠巻き道でした。遠巻き道は随分と長い距離を迂回する必要があるため、土木技術が発達して、橋梁やトンネル等が作られ、沢越えであってもショートカットの道を建設することが可能になると一気に使用されなくなり、ほとんどのところが廃道になってしまいました。廃道になった遠巻き道はところどころで崩落していたり、崩落の危険性が高いため、通行禁止になっていることが多いです。この「関沢越え」の遠巻き道もこの先で崩落していて、通行禁止になっています。
なので、私達は「長久寺・常光寺跡」まで戻って、宿場から続く2車線の少し広い道を下っていきます。
下の写真は本山神社の前から見たところです。まさにV字谷。左右の山が迫り、V字になった地形の底を奈良井川が流れ、その奈良井川の河岸段丘の中腹を縫うようにJR中央本線の線路と国道19号線が寄り添うように延びています。これぞ木曽谷!…って風景です。
国道19号線やJR中央本線を名古屋方面からやって来ると、真正面に「本山宿」と書かれたこの目立つ看板が目に入ると思います。
先ほどの「関沢越え」の遠巻き道は山腹を大きく迂回するものの、この「本山宿」の看板の先に出てきたようなのですが、このあたりには「釜の沢超え」と呼ばれた遠巻き道がもう1か所あって、これがその入口のようです。この「釜の沢超え」の遠巻き道も沢奥に迂回していた街道の名残りは残っていますが、その先で崩落していて、現在は通行不能になっています。
中山道は国道19号線から右の脇道に入ります。右側をJR中央本線(西線)の線路が走っています。この先の第2中仙道踏切でJR中央本線(西線)の線路を渡るのですが、その途中で左側を見ると、左から「釜の沢超え」の遠巻き道が国道19号線に合流してくる出口があります。おそらく、かつての中山道はそこから国道19号線とJR中央本線(西線)の線路を斜めに突っ切るような感じで延びていたものと推測されます。位置的に遠巻き道からほぼ一直線に繋がっている感じです。
JR中央本線(西線)を第2中仙道踏切で渡ります。
中央本線(西線)を第2中仙道踏切で渡った先にある「日出塩の青木」の碑です。工場裏に古い碑が立っています。ここにはある貴人の墓があり、「洗馬の肘松 日出塩青木 お江戸屏風の絵にござる」…と江戸でも広く知られた樹齢数百年を経たヒノキ(檜)の大木があったとその碑には書かれています。この場所には樹木の切り株が残っていますが、とても樹齢数百年を経たヒノキ(檜)の大木の切り株とは思えませんので、どこかこの近所にでもあったのでしょうか?
……(その11)に続きます。
執筆者
株式会社ハレックス
前代表取締役社長
越智正昭
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