2018/03/09

邪馬台国は四国にあった…が確信に!(その14)

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3日目もよく晴れています。「晴れ男さんのおかげやなぁ〜」とは牧さん。私自身はこのところ天気に関していささか自信を失いかけているのですが、牧さんは私のことをいまだに“天下無双の晴れ男”と思っていてくれているようです。

今回の旅は初日に阿波木偶箱まわし保存会のサントリー地域貢献賞受賞イベントに顔を出すのと、2日目に剣山に行くことだけが決まっていて、あとはその時の気分次第、成り行き次第で決めようというユルユルな計画の旅でした。なので、初日に早めにホテルにチェックインし、フロントから貰った観光パンフレットの地図を眺めながら、全員で「どこ行く?」「ここ面白そうじゃない」って感じで話し合ってその日の行動を決めたのですが、即断即決したわりには結果的に「阿波忌部氏をはじめとする徳島の謎に迫る」という目的にかなったなかなかいいコースになったようです。それもこれもクルマを出していただいて、ドライバーを務めていただいた牧さんのおかげです。感謝、感謝です。

3日目は午前11時に阿波忌部氏直系28代目当主の三木信夫さんのところを訪問することになっています。それも初日の夜に牧さん馴染みのスナックのママさんの紹介で、阿波忌部氏で行者という宮本さんに会えたから。今回の三木信夫さん訪問もその宮本さんのご紹介がなければとても実現しませんでした。宮本さん曰く、「天皇陛下と直接話ができる」という方のところをアポ無しで直接訪ねても、会っていただけるわけにはいきませんからね。

三木信夫さんの住む木屋平の三木家住宅までは穴吹から国道492号線に入ってクルマで約40分ということですので、この一宇からだとその2倍ちょっとの約90分。現在が午前8時だから1時間ほどしか余裕はありません。その1時間でどこに立ち寄ろうということになり、岸本さんの「ここまで来る途中で忌部氏の菩提寺っていう気になる看板が出ていたので、そこに行ってみませんか?」という提案に全員一致で賛成。「そこの手前に“一宇の巨木群”という気になる看板もあったので、途中、そこに寄ってみよう」という牧さんの提案に、これまた全員一致で賛成。地元の人お薦めの一宇渓谷随一とも言える景勝地である鳴滝と土釜がここから貞光町方向にちょっと行ったところにあるというのに、わざわざ逆方向に剣山に戻る方向に行くなんて、普通の人なら考えられないのですが、そこが今回の旅の目的が「阿波忌部氏と徳島の謎に迫る」というものだからですね。

ということで、午前8時過ぎに旅館を出発して、国道438号線を剣山方向にクルマを走らせました。まず訪れたのは『巨樹王国・一宇の代表的な名木!“赤羽根大師の大エノキ”』。案内看板に沿って国道438号線を右折し、乗用車がやっと1台通れるぐらいの細い坂道を登っていきます。

こんなところにそんな巨木があるのか?…って思い出し始めた頃、ありました。枝ぶりのいいエノキ(榎)の巨木が。この「赤羽根大師の大エノキ」は幹回りが8.7メートル、推定樹齢800年。幹周りが日本一の長さであるとされ、国の天然記念物に指定されています。エノキ(榎)は一里塚などに使われ、私も中山道六十九次街道歩きで時々目にするのですが、これほどの巨木を見るのは初めてです。おまけに、推定樹齢800年と言えば「老木」。木の幹に大きな空洞が出てていたり、倒れないように支え木で補強されていたりするものなのですが、自力でデーン!と立っています。木に勢いというものを感じます。幹に触ってみたのですが、ほんのちょっと温もりさえ感じられて力強い生命力のようなものを感じます。ちょっと圧倒されました。

巨樹王国・一宇の代表的な名木!「赤羽根大師の大エノキ」は幹周りが日本一とされ、国指定天然記念物となっています。幹回り8.7m、推定樹齢800年。説明書きによると、この一宇地区にはこの日本一の巨大エノキをはじめ88本の巨樹のある、まさに「巨樹王国」なのだそうです。四国山地から流れ出るミネラルをたっぷりと含んだ水を吸って、樹木も活き活きと、そして長く成長するのでしょう。これも自然の恵みというもので、この山あいに住む人達が山と森がもたらすこのような自然の恵みに守られて、そして糧(かて)として古くからこの地で生活をしてきたわけが分かります。なるほどぉ〜。

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その巨大エノキの隣にちょっとした祠があり、中に祀られているのが「赤羽根大師」です。この赤羽根大師にはなにやら謂れがあるようです。それも心温まるような。祠の横に大きな説明板が立っていて、そこに次のような地元の伝承が書かれていました。全文を掲載します。

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赤羽根大師の由来 「一願成就」


昔むかし阿波の国の一宇村に与吉と言う親孝行の若者が住んでいました。与吉は村一番の働き者の母お杉婆さんと暮らしていました。
この貧しい村では昔から「60歳になった年寄りは山に捨てるべし」という掟がありました。与吉は老いた母親をどうしても山に捨てることができず、ひそかに家の裏の納屋にかくまっていました。ある日、お代官様が掟が守られているか見に来られた時、かくまっていた母は見つけられ、与吉と村人達は許してくださるようお代官様にお願いしました。お代官様はそれならと「赤い羽根を持った鳥を期限までに捕らえてこい」という難題を申しつけました。
村人達は、毎日毎日村中をくまなく探しに出掛けましたが、いっこうに鳥は見つかりません。秋も深まり農家の軒先を埋め尽くすつるし柿が茜色の大きな鏡のように輝いてきた時、とうとう期限の日はやってきました。
村人達は藁をも掴む思いで昔から願い事を一つ叶えてくださるといわれるエノキのお大師さんにお願いしました。すると不思議なことにどこからともなく白い鳥が現れ、エノキの枝に止まっていました。
やがてお代官様がやって来た時、白い鳥は夕焼けがつるし柿に反射した光により茜色に染まりました。お代官様はこれを見て「美しい。実に見事じゃ」と言って感激なされ「みんな仲良く達者で暮らせ。与吉もお杉に孝行するがよい」と言い残され、お供の者と帰っていかれました。
それ以来、姥捨てはなくなり、いつしかエノキ大師は「赤羽根大師」と呼ばれ、信仰されるようになりました。

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こうした「姥捨て山伝説」は、ここ一宇村だけでなく、全国で似たような話がいくつも伝承されています。姥捨ての実際については、はっきりとしたことは何も分かっていません。少なくとも古代から近世までにおいて、姥捨てやそれに類する法令などがあったという公的記録は何も残っていません。ですが、民間伝承や姥捨て由来の地名が各地に残っていることだけは事実です。これはいったい何を意味しているのでしょうね。

この貧しい村では昔から「60歳になった年寄りは山に捨てるべし」という掟があったらしいのですが、還暦(60歳)を過ぎた私はいったいどうしたらいいの?

剣山系の山々が綺麗です。ちょうど紅葉に時期で、山々の山肌は上質な絨毯のように様々な色で彩られています。

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山の中腹にへばりつくようにして幾つもの集落があるのが見えます。いや、もうこのあたりは標高1,000メートルに近いところですので、山の頂上付近と言ったほうが正しいのかもしれません。そういうところにかなりの戸数の集落が点在しています。大きな屋根の家が多いのが特徴です。赤や青の屋根になっていますが、おそらく藁葺きの屋根をトタン板で覆っているのでしょう。国道438号線から延びているのであろう道路が九十九折(つづらおり)で走っていて、ガードレールも見えています。山肌に点在するこれらの集落ですが、最近になってここに移り住んできた人の家とはとても思えず、かなり昔からこの山の中で暮らしてきた人の家なのでしょう。

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赤羽根大師の大エノキから国道438号線をさらに剣山方向に南下していったところに、岸本さんが前日に気になったという「忌部麻植家菩提寺 定光寺入口」という案内看板が立っていました。その案内看板の「忌部」の文字の下にはさらに気になる文字が……。「高天原系一族」。さらに小さな文字で「平家一族」と書かれています。たしかに、この3つのキーワードはやたらと気になります。

定光寺へはこの案内看板が立っているところを左折し、そこからさらに細い坂道を登っていきます。

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定光寺は国道438号線からクルマ1台がやっと通れるほどの細くて急な坂道をさらに800メートルほど登った山の上にあります。定光寺に着いて周囲を見回して驚きました。寺院だけがポツンとあるわけではないのです。一段下がったところに集落があるのです。それもそれなりの規模の…。

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寺の山門がこんなところにあります。この上部に鐘の付いた山門、表はこちらから見て反対側にあります。右側に下に降りる石段があり、そこを降りると集落があるのです。その集落の屋根が一部見えています。また、定光寺の奥にも家があります。国道438号線から随分と登ってきたので、標高は1,000メートルに近いのではないでしょうか。こんな高い標高の山のテッペンあたりに今もそれなりの数の人が暮らしているようです。この人達って、もしかして……。

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国道438号線沿いに立っていた定光寺の案内看板には「忌部」の文字の下に「高天原系一族」と、さらに小さな文字で「平家一族」という気になる文字が書かれていたことは先に書いたとおりです。だとすると、ここは俗に言うところの「平家の落人集落」ってことなのでしょうか?



……(その15)に続きます。

執筆者

株式会社ハレックス代表取締役社長 越智正昭

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越智正昭

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