2018/05/29
中山道六十九次・街道歩き【第19回: 贄川→宮ノ越】 (その7)
JR中央本線の線路の向こう側に木曽の酒「中乘りさん(なかのりさん)」の看板が出ています。このあたりは首都圏でも名前が知られた日本酒の銘柄が多いですね。
JR東海の313系直流近郊形電車が2両の短い編成でやって来ました。塩尻方面行きの下り普通列車です。私は鉄道マニアといっても「撮り鉄」ではないのですが、ここでしばらくカメラを構えて待っていると、迫力ある素晴らしい鉄道写真が撮れるのではないか…と思えてきます。余計な障害物がありませんし、特に先にあるS字カーブ、あそこを望遠レンズで狙えたら…と思いますね。そう言えば、贄川駅の手前にあったちょっと高いところ(旧中山道)から下を走る列車を狙ってもいいかも。
この木曽川の鉄橋を渡る列車を狙った写真もいいかも。
あれまっ! JR東海の制御付き自然振り子方式の383系直流特急型電車を使用した「特急しなの」がやって来ました。残念! もうちょっとだけ前のタイミングでやって来てくれていたら、さっきの鉄橋のところでいい写真が撮れたのに…って思っちゃいますが、団体行動なので仕方ありません。
道路標識によると名古屋まで140kmですか。かなり歩いてきました。右側を木曽川が流れています。山と山の間を木曽川と国道19号線(旧中山道)」、さらにJR中央本線が通るという山間の大動脈を歩きます。
国道19号線のフェンスの向こう側にガードレールが見えます。実はあちらの道のほうが旧中山道です。あの旧中山道を通るには交通量の極めて多い国道19号線の信号機も横断歩道もないところをこちら側のガードレールをヨッコイショ!と跨いで横切らないといけないため、あまりに危険なのでここは安全第一で敢えて通らず、並行する国道19号線をそのまま歩きます。
国道19号線の側壁に巨大壁画があります。鳥居峠を行く旅人と馬子の壁画です。
JR中央本線が上り下り2本の鉄橋に分かれて木曽川を渡っています。
ここで並行して伸びていた旧中山道が国道19号線と合流します。
「宮ノ越宿4.9km→」という道標が出ています。この日のゴールである宮ノ越宿はもうすぐです。街道歩きを始めてから、5kmを切ったら、もう近くまで来ているな、もうちょっとだ…と思えるようになりました。
再び国道19号線に合流します。旧中山道はその先の吉田洞門の上を通っていたのですが、今は消滅しているので「吉田洞門」の側道(歩道)を歩きます。右手眼下に木曽川が流れており快適な道です。
洞門とは雪崩や落石、土砂崩れから道路や線路を守るために作られた、トンネルに類似した形状の防護用の建造物のことです。主に、海岸沿いや川沿いで山や崖が道路や鉄道の近くまで差し迫ったところに作られる事が多く、トンネルとは明り取りの違いがあるだけで、実質的には同じものであると言えます。覆道の谷側は完全に吹き抜けになっていることが多いのが特徴です。なるほど、険しい木曽谷ならではの道路です。もしかすると、旧中山道はこの吉田洞門の上の崖の中腹を通っていたのかもしれません。
「吉田洞門」の側道(歩道)を過ぎて、国道19号線を進みます。国道19号線の反対側に石仏石塔群が見えます。国道19号線を作る時に、このあたりの旧中山道に建てられていた石仏や石塔を一箇所に集めて祀ったものと思われます。おそらく旧中山道は現在の国道19号線が通っているところを左右に蛇行しながら伸びていたと思われます。
左手に今は誰も住まずに廃墟になっていますが、歴史を感じさせる雰囲気の民家が建っています。
吉田橋です。押しボタン式信号のある横断歩道があり、この横断歩道を渡って、ここからは反対側に設けられた歩道を使って吉田橋を渡ります。下を流れる川は木曽川です。ここからは木曽川は中山道の左側をしばらく流れます。
「旧中山道草道」というちょっと小さいが手作りの案内板が設置してあります。その草道(自然遊歩道)に入ります。
この先にかすかに見える道路が本来の旧中山道なのですが、この先で道路が崩落しているため、通行止めになっています。ガードレールが設けられて進入禁止になっています。なので、ここからは国道19号線の山吹トンネル(全長334メートル)を通ります。
ちょっと分かりづらいのですが、そのガードレールのところから国道19号線を少し戻った向こう側に江戸の日本橋から数えて67番目の一里塚が立っています。ここに一里塚が立っているということは、旧中山道は歩いてきた草道(自然遊歩道)よりも少しだけ内側を通っていたのかもしれません。
木曽川を渡ってきた旧中山道は国道19号線を横断して国道の旧道から山に分け入り、巴渕の脇へ出るようなのですが、前述のように今は消滅に近い状態なので、ここは国道19号線の山吹トンネル(全長334メートル)を歩きます。トンネルの中を歩く街道歩きなんて始めてのことですが、本来の中山道が崩落していて通れないのですから仕方ありません。それよりも国道のトンネルを歩くなんて滅多にできない経験なので、それはそれでよかったです。横を大型トラックが轟音を轟かせて何台も通り過ぎていきます。風圧も感じますし、さすがにちょっと怖いですね。
山吹トンネルを出たところが権兵衛峠を越える権兵衛街道との追分(分岐点)になっています。
ここが山吹トンネルの手前で進入禁止になっていた道路の反対側です。こちら側もガードレールと鉄製の扉で進入できないようになっています。実際、旧中山道と権兵衛街道との追分はこのガードレールからほんの少し入ったところにあります。
この道が木曽から伊那に抜ける権兵衛街道です。権兵衛街道は奈良井宿から入る道もありますが、この宮ノ越宿の手前の神谷入口からが正式な権兵衛街道のようです。この道の先に神谷の集落があり、そこにこの峠の開鑿を主導した古畑権兵衛の生家があります。現在は権兵衛峠トンネルが開通してそこを国道361号線が通っています。
この権兵衛街道(国道361号線)との分岐点にあるコンビニでしばしのトイレ休憩です。このあたりは山と山に挟まれた深い谷のような地形で、気流の関係で雪が降りやすいところらしく、ほかが晴れていてもここだけ雪が降っていたり、霰(アラレ)が降ったりするそうです。この日も気温はこれまで歩いてきた他のところよりも低めで、コンビニの外にいてジッとしていると、急に身体が冷えてきます。ですが、幸いなことに相変わらずよく晴れていて、雪や霰は降りそうもありません。
国道19号線の長くて緩い坂を下っていきます。ここも元々の中山道ではありません。旧中山道は国道19号線の右手にある山の中を国道19号線に沿って伸びていたようなのですが、前述のように入り口がガードレールと鉄製の扉で進入できないようになっているので、通れません。右側の山を見ると、ところどころにガードレールが見えます。もしかしてあの道が本来の旧中山道でしょうか。
山吹トンネルの出口の先からは木曽義仲ゆかりの地、旧日義村(現木曽町)です。その中心地にある宿場が次の「宮ノ越宿」です。
「→巴淵200m、義仲館1.6km」という道路表示が出てきました。この日のゴールである義仲館はもうすぐです。
押しボタン式横断歩道がある巴淵の交差点で右折します。道の反対側に「宮ノ越宿」の表示が出ています。
なにかの案内表示なのでしょうが、すっかり字が消えてしまっていて読めません。すぐそばに木曽町生活交通システムというコミュニティーバスのバス停留所があり、そこには「山吹橋」というバス停表示があるので、おそらく山吹橋に関する案内表示ではないか…と思われます。確かにこの信号で国道19号線を渡る直前が橋になっていて、木曽川を渡りました。今は木曽川が右側を流れています。
松明を角に付けた牛を放ち平氏(平家)軍を破った倶利伽羅峠の戦いや、のちの征夷大将軍・源頼朝の討伐軍に敗れた宇治川の戦い、粟津の戦いで知られる武将・木曾義仲(源義仲)に仕えた便女(びんじょ)としては巴御前と山吹御前が知られています。便女とは、元来は召使いとか美女とかの意味です。しかし彼女達は、義仲の愛妾(あいしょう:気に入りのめかけ)でありながら、甲冑を身にまとって戦闘に参加していた女傑で、一手の軍勢を率いて戦う部将としての役目を担っていました。
巴淵のすぐ手前にある橋の名称が山吹橋。そう言えばここにやって来る途中に通った国道19号線のトンネルの名称も山吹トンネルでした。巴と山吹は木曾義仲にとって重要な人物なので、その名が付けられたのでしょう。
ここでJR中央本線(西線)の鉄橋(第4木曽川橋梁)の下を潜ります。ここも素晴らしい鉄道写真が撮れそうな撮影ポイントです。
こちらは巴橋です。もちろん巴御前にちなんで付けられた橋の名称です。その巴橋のたもとに巴淵があります。
巴淵です。ここは木曽川が巴状に渦巻いていることから、巴淵(ともえがふち)と名付けられました。ここは義仲とともに幼少期を過ごし、義仲とともに戦場を駆け、義仲と生涯をともにした愛妾(便女)・巴御前が水浴をしたという伝説が残っています。さらに別の伝説では、ここに龍が住みついていて、その龍は「巴御前」の化身で、木曾義仲の生涯を守り続けたと言われています。
「粟津野に 討たれし公の 霊抱きて 巴の慕情 淵に渦巻く」
との歌が彫られた石碑が建っています。
下を流れる木曽川を見ると、“淵”と言われるだけあって、そこだけ流水が緩やかで深みのある場所になっています。淵では泥や有機物が沈殿しやすいためプランクトンや藻の繁殖が活発になるため、深く神秘的なエメラルドグリーン色をしています。確かにこの神秘的なエメラルドグリーン色の淵を見ると、龍の伝説も生まれるだろうな…と思ってしまいます。対岸には崖を伝って、小さな滝が流れ落ちてきています。これも神秘的で、綺麗です。
巴橋を渡ります。神秘的な美しいエメラルドグリーンをした巴淵が眼下に見えます。
その反対側はこうなっています。この巴橋の下に大きな岩があり、この巴淵のところだけ水の流れが抑えられて、淵になっているわけです。
巴橋を渡ったところに南宮神社手洗水の表示が立っています。南宮神社はここの近くの国道19号線沿いにある神社です。木曾義仲が宮ノ越に居を構えた際に、この場所に移されたといわれていて、木曾家の戦勝祈願所として信仰のあった神社です。その南宮神社への参詣の際に、木曾義仲が手を清めたといわれているのが、この手洗水です。旧中山道は対岸の山を越えて、巴淵の先のこの南宮神社手洗水の前に出てきていました。ここから先は正真正銘の旧中山道となります。
……(その8)に続きます。
執筆者
株式会社ハレックス
前代表取締役社長
越智正昭
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