2015/02/06
大人の修学旅行2015 in 土佐の一本釣り(その4)
宇和島を出発して約1時間。10時46分に江川崎(えかわさき)駅に到着しました。この江川崎駅は1953年に開業。1974年に若井~江川崎間が開業して中間駅になるまで、20年間以上も宇和島からの予土線の終着駅でした。なので、周囲にたいした民家もないのに、島式ホーム1面2線に留置線まで有した構造になっています。駅舎も木造ですが、一部二階建てのローカル駅にしてはなかなか立派な駅舎です(現在は無人駅です)。四万十市江川崎、気象に関心の低い人でも、この地名を一度や二度は耳にされたことがあろうかと思います。2013年(平成25年)8月12日、ここ江川崎に設置された気象庁のアメダスで、最高気温41.0℃を観測。日本の最高記録を更新しました。それを記念して、駅舎には『ようこそ日本一暑い駅へ41.0℃ JR江川崎駅』という看板が掲げられています。
この江川崎で8分間の停車。列車には車内にトイレが付いていないので、トイレ休憩のようなものです。トイレのついでに駅舎や『日本一暑い駅』の看板をカメラで撮影し、線路を渡って列車に再び乗り込もうとした時、窪川側から宇和島行きの列車がやって来るのが見えました。一眼レフカメラを携えた鉄道マニアだけでなく、一般の観光客の皆さんも一斉にホームに降りてきてカメラを構えます。なんだなんだぁ~!?(*_*)
そこへやって来たのは白い車体に青い帯の塗装をした単行(1両編成)のディーゼルカー。おおっ!、あれは確か…!。初代の0系新幹線をイメージした“ビックリするような外観”の「鉄道ホビートレイン」でした。窪川方向の先頭は初代の0系新幹線を模した「団子鼻」のユニークな外観に改造されています。新聞でその姿を始めて目にした時、「なんじゃこりゃ!? デパートの屋上にあるお子ちゃま向けの遊戯施設じゃああるまいし…」と呆れて思ったのですが、こうして実物を実際に傍で見てみると、なかなかどうして。よく出来ています(^-^)v
この「鉄道ホビートレイン」、“新幹線の生みの親”と言われている十河信二元国鉄総裁が愛媛県の出身であるという縁で作られたもので、ユニークな外観に加え、車内には“ホビートレイン”の名に相応しく、「海洋堂ホビートレイン」と同様に一部の座席を撤去して、鉄道模型の展示スペースが設けられています。車外から確認しただけですが、0系新幹線や100系新幹線、さらには四国に関係した急行「鷲羽」や特急「うずしお」、寝台特急「瀬戸」と思しきHOゲージの鉄道模型が飾られていました。鉄道マニアとして、しばし興奮(@_@)
その興奮を冷ますかのように、ワンマン運転の運転士から「間もなく発車します。急ぎ車内にお戻りください」(-.-)の声がかかり、乗客達が全員、急いで車内に戻ってきて、10時54分、定刻に江川崎駅を発車しました。ここからは高知県内を南東方向に向けて南下していき、太平洋を目指します。
愛媛県内は元々が軽便鉄道として開通した区間だったため急勾配や急カーブが多く、ノロノロとした低速での走行が続いていたのですが、高知県に入って列車の速度は急に上がります。予土線の高知県側、江川崎駅~若井駅間は1970年代に新たに開通した高規格路線であり、比較的高速の運転が行われます。それだけ四国でも高知県側は高い山が少なく、キツイ勾配も少ないということです。とは言え、運転席の速度計を見ると速いと言っても時速60km/hくらいですが…。愛媛県側の区間があまりに低速だったため、この程度の速さでも、やたらと速く感じられます。
線路の進行方向左側には四万十川の清流が流れているのですが、ふと気がつくと先ほどまでとは逆の方向、すなわち江川崎のほうに向かって登るような(戻るような)方向に流れています。この風景を見ると、エッ!? どうして?…って一瞬思うのですが、地図を見て納得しちゃいました。クネクネと蛇行を繰り返しているんですね。ここでも先入観を持って物事を見てはいけないってことのようです。まぁ~、それだけ高知県の地形は高い山はなく、比較的平坦だってことなんでしょう。同じ四国でも瀬戸内海側にある愛媛県とはまるで様相が異なります。
四万十川は高知県の西部を流れる渡川水系の本川で、一級河川。全長196km、流域面積2,270平方km。四国内で最長の川で、流域面積も吉野川に次ぎ四国第2位の川である四万十川の本流は高知県中部の愛媛県との県境付近にある不入山(いらずやま)に源流があり、そこから流れ出た川は、山間をクネクネと縫うように東西南北に大きく蛇行しながら周辺の小川を集めてだんだん太く大きな流れになっていきます。山から湧き出す清水を集めた川は清流の名にふさわしい透明な水を湛えて、一旦、太平洋にほど近い窪川盆地に入ります。窪川盆地で周辺の田圃を潤し、今度は北西、すなわち江川崎の方向に流れを変えて、山の中を登って行くように流れの方向を変えます。そして、四万十町田野々で本流以上に水量が多いと言われる支流の梼原川と合流します。さらに愛媛県との県境に程近い四万十市江川崎付近で愛媛県側から流れ込む広見川と、さらには目黒川と合流してさらに川幅を広げ、ゆったりとした清流の雰囲気を醸し出す河川となり、四万十市の土佐中村あたりの河口から太平洋に流れ出ます。これだけ河川が大きく蛇行するということは、それだけその流域に標高差がないということを意味します。愛媛県側にはこんな河川はありません。これが愛媛県と高知県の風景において、大きな違いを形成しているわけで、同じ四国と言っても、中央構造線(四国山地)の北と南では地形がまったく異なるということです(^^)d
四万十川は今でこそ“しまんとがわ”と呼ばれ、日本最後の清流として知られていますが、この「四万十川」の名称がこの河川の法律上の公式名称になったのは平成6年7月25日のことで、それまでは「渡川(わたりがわ)」と公式には呼ばれていました。元々は「四万渡川(しまんとがわ)」と呼ばれていて、これが省略されて「渡川」になったのだ…とのことです。それが人々の間で「清流四万十川」ブームが起きて、皆さんが四万十川、四万十川と呼ぶようになったことから、法律上の公式名称も「四万十川」になったそうなんです。一級河川の名称変更は滅多にないことで、この「四万十川」が最初とのことだそうです。
四万十川と言えば沈下橋。四万十川には本流に22本、支流を含めると全部で47本の沈下橋があります。沈下橋は鉄筋コンクリート造りの橋で、欄干がなく、通常の水位より2~3m上の高さのところに架けられています。台風や大雨時には水中に沈下することで、流木等が橋脚に引っ掛って滞留し、そこに水圧がかかって橋全体を破損したり流失したりすることを防いでいます。列車の車窓からも沈下端を幾つか見つけることができます。沈下橋と川、周囲の山並み等が醸し出すのどかな景観は、清流四万十川の代名詞にもなっていて、しばしば風景写真の題材になっています。透明な清流の流れは美しく、眺めているだけで心が癒されます。
江川崎の次に停まる駅が半家(はげ)駅。単式ホーム1面1線の無人駅で、駅舎はなく、ホームに小さな待合室が設置されているだけの駅ですが、この駅、難読駅としてこれまでテレビのクイズ番組等で数多く取り上げられてきて、マニアの間ではそれなりに有名な駅なんです。半家と書いて“はげ”と読みます。予土線が土讃線から分岐する駅が若井駅であることもあり、若井駅とセットで、「若井半家(若いハゲ)」なぁ~んてね(笑) 「半家」という地名の由来は、この地に住み着いた平家の落人達が源氏方の追討から逃れるために「平」の横線を移動させて「半」にしたためと言われているそうなのですが、確かなことは判りません。
半家駅の次に停車するのは十川(とおかわ)駅。駅名標識の表記によると、この十川駅のあるところは高知県高岡郡四万十町。先ほどの半家駅や江川崎駅は高知県四万十市でした。四万十市と四万十町。隣接して同じ“四万十”を名乗る市と町があるなんて、紛らわしくて仕方がないように思えるのですが…。実際にはどうなんでしょうね。
次は土佐昭和(とさしょうわ)駅。単式ホーム1面1線の無人駅です。その次が土佐大正(とさたいしょう)駅。こちらは島式ホーム1面2線の駅で、ホームから地下道を渡ると山小屋風の駅舎があります。住所を調べてみると、この昭和も大正も四万十町の字名(地名)なのですが、いったいどういう謂れがあるのでしょうね。興味が湧くところです。土佐昭和と土佐大正があるのなら、土佐明治や土佐平成があるんじゃあないかい?…とか言い出す方がきっといらっしゃるかと思いますが、残念ながらどちらもありません。
土佐大正の次の駅は打井川(うついがわ)駅。1面1線の無人駅で、ホームに待合所があるのみです。その次の家地川(いえぢがわ)駅も同じく単式ホーム1面1線の無人駅で、ホームに小さな待合所があるのみです。
家地川駅から次の若井駅(JR土讃線との分岐駅)に行くまでの途中に川奥信号場があり、ここで中村方向からやって来る土佐くろしお鉄道中村線と合流します。ほどなく若井駅に到着です。正式にはこの若井駅が予土線の営業上の分岐駅です。とは言え、単式1面1線ホームのちっぽけな無人駅で、ホームに待合所があるのみです。
若井駅からこの列車の終点である次の窪川駅までは土佐くろしお鉄道中村線の線路の上を走ります(施設上は上記の川奥信号場から窪川駅間は土佐くろしお鉄道中村線の管轄です)。ちょっと周辺の風景に民家が多くなったなぁ~と思ったら、11時47分、終点の窪川駅に到着です。宇和島駅を発車したのが9時39分ですから、所要時間は2時間と8分。北宇和島駅と若井駅の駅間の距離は76.3km、それに宇和島駅~北宇和島駅間と若井駅~窪川駅間を加えても80kmほどのものです。その区間を2時間と8分もかけて走ってきたわけで、表定速度(ある地点から別の地点までの距離を、移動に要する時間で割って求めた速度。この場合の移動に要する時間には、途中で停止している時間も含む)は40km/h弱。列車としてはかなり遅い部類に入る速度です。
この窪川駅は四万十町(旧・窪川町)の代表駅で、JR土讃線の終点駅。JR土讃線の特急列車は、この駅に乗り入れる9往復の列車が全てが土佐くろしお鉄道中村線と相互直通運転を行っており、全特急列車が停車し、ここで乗務員が交替します。JRと土佐くろしお鉄道の駅舎は別々になっていて、JR土讃線から土佐くろしお鉄道中村線への乗り換え時のみ、構内のホームにある中間改札が使用されます。
まだ12時前なので、土佐久礼駅への集合時間である16時34分(下りの特急あしずり5号の到着時刻)まではまだ4時間半以上もあります。窪川駅から土佐久礼駅までは特急に乗れば僅かに15分で着きます。目的地に着いたも同じです。ここまでは計算通り(^^)d 4時間半以上も余裕があるので、さらに“鉄分補給”の続行です。
計画では、ここから窪川12時08分発の土佐くろしお鉄道中村線の中村行き普通列車に乗って、中村着は13時09分。中村で13時30分発の同じく土佐くろしお鉄道宿毛線の宿毛行き普通列車に乗り換えれば、土佐くろしお鉄道の終点の宿毛には14時ちょうどに着きます。次に折り返しの宿毛14時34分発の普通列車に乗って中村にとって返し、中村着が15時04分。ここで6分の連絡で出る15時10分発の岡山行きの特急南風24号に乗れば土佐久礼には16時06分に到着し、集合時刻の16時34分には余裕で間に合って、しかも一番乗りが出来ます。体力も十分に残っています。
見上げれば空には雲がほとんどなく快晴。南国高知らしく、気温もこの季節にしたら高めで、セーターの上にダウンのコートを羽織っていると暑いくらいです。
……(その5)に続きます。
この江川崎で8分間の停車。列車には車内にトイレが付いていないので、トイレ休憩のようなものです。トイレのついでに駅舎や『日本一暑い駅』の看板をカメラで撮影し、線路を渡って列車に再び乗り込もうとした時、窪川側から宇和島行きの列車がやって来るのが見えました。一眼レフカメラを携えた鉄道マニアだけでなく、一般の観光客の皆さんも一斉にホームに降りてきてカメラを構えます。なんだなんだぁ~!?(*_*)
そこへやって来たのは白い車体に青い帯の塗装をした単行(1両編成)のディーゼルカー。おおっ!、あれは確か…!。初代の0系新幹線をイメージした“ビックリするような外観”の「鉄道ホビートレイン」でした。窪川方向の先頭は初代の0系新幹線を模した「団子鼻」のユニークな外観に改造されています。新聞でその姿を始めて目にした時、「なんじゃこりゃ!? デパートの屋上にあるお子ちゃま向けの遊戯施設じゃああるまいし…」と呆れて思ったのですが、こうして実物を実際に傍で見てみると、なかなかどうして。よく出来ています(^-^)v
この「鉄道ホビートレイン」、“新幹線の生みの親”と言われている十河信二元国鉄総裁が愛媛県の出身であるという縁で作られたもので、ユニークな外観に加え、車内には“ホビートレイン”の名に相応しく、「海洋堂ホビートレイン」と同様に一部の座席を撤去して、鉄道模型の展示スペースが設けられています。車外から確認しただけですが、0系新幹線や100系新幹線、さらには四国に関係した急行「鷲羽」や特急「うずしお」、寝台特急「瀬戸」と思しきHOゲージの鉄道模型が飾られていました。鉄道マニアとして、しばし興奮(@_@)
その興奮を冷ますかのように、ワンマン運転の運転士から「間もなく発車します。急ぎ車内にお戻りください」(-.-)の声がかかり、乗客達が全員、急いで車内に戻ってきて、10時54分、定刻に江川崎駅を発車しました。ここからは高知県内を南東方向に向けて南下していき、太平洋を目指します。
愛媛県内は元々が軽便鉄道として開通した区間だったため急勾配や急カーブが多く、ノロノロとした低速での走行が続いていたのですが、高知県に入って列車の速度は急に上がります。予土線の高知県側、江川崎駅~若井駅間は1970年代に新たに開通した高規格路線であり、比較的高速の運転が行われます。それだけ四国でも高知県側は高い山が少なく、キツイ勾配も少ないということです。とは言え、運転席の速度計を見ると速いと言っても時速60km/hくらいですが…。愛媛県側の区間があまりに低速だったため、この程度の速さでも、やたらと速く感じられます。
線路の進行方向左側には四万十川の清流が流れているのですが、ふと気がつくと先ほどまでとは逆の方向、すなわち江川崎のほうに向かって登るような(戻るような)方向に流れています。この風景を見ると、エッ!? どうして?…って一瞬思うのですが、地図を見て納得しちゃいました。クネクネと蛇行を繰り返しているんですね。ここでも先入観を持って物事を見てはいけないってことのようです。まぁ~、それだけ高知県の地形は高い山はなく、比較的平坦だってことなんでしょう。同じ四国でも瀬戸内海側にある愛媛県とはまるで様相が異なります。
四万十川は高知県の西部を流れる渡川水系の本川で、一級河川。全長196km、流域面積2,270平方km。四国内で最長の川で、流域面積も吉野川に次ぎ四国第2位の川である四万十川の本流は高知県中部の愛媛県との県境付近にある不入山(いらずやま)に源流があり、そこから流れ出た川は、山間をクネクネと縫うように東西南北に大きく蛇行しながら周辺の小川を集めてだんだん太く大きな流れになっていきます。山から湧き出す清水を集めた川は清流の名にふさわしい透明な水を湛えて、一旦、太平洋にほど近い窪川盆地に入ります。窪川盆地で周辺の田圃を潤し、今度は北西、すなわち江川崎の方向に流れを変えて、山の中を登って行くように流れの方向を変えます。そして、四万十町田野々で本流以上に水量が多いと言われる支流の梼原川と合流します。さらに愛媛県との県境に程近い四万十市江川崎付近で愛媛県側から流れ込む広見川と、さらには目黒川と合流してさらに川幅を広げ、ゆったりとした清流の雰囲気を醸し出す河川となり、四万十市の土佐中村あたりの河口から太平洋に流れ出ます。これだけ河川が大きく蛇行するということは、それだけその流域に標高差がないということを意味します。愛媛県側にはこんな河川はありません。これが愛媛県と高知県の風景において、大きな違いを形成しているわけで、同じ四国と言っても、中央構造線(四国山地)の北と南では地形がまったく異なるということです(^^)d
四万十川は今でこそ“しまんとがわ”と呼ばれ、日本最後の清流として知られていますが、この「四万十川」の名称がこの河川の法律上の公式名称になったのは平成6年7月25日のことで、それまでは「渡川(わたりがわ)」と公式には呼ばれていました。元々は「四万渡川(しまんとがわ)」と呼ばれていて、これが省略されて「渡川」になったのだ…とのことです。それが人々の間で「清流四万十川」ブームが起きて、皆さんが四万十川、四万十川と呼ぶようになったことから、法律上の公式名称も「四万十川」になったそうなんです。一級河川の名称変更は滅多にないことで、この「四万十川」が最初とのことだそうです。
四万十川と言えば沈下橋。四万十川には本流に22本、支流を含めると全部で47本の沈下橋があります。沈下橋は鉄筋コンクリート造りの橋で、欄干がなく、通常の水位より2~3m上の高さのところに架けられています。台風や大雨時には水中に沈下することで、流木等が橋脚に引っ掛って滞留し、そこに水圧がかかって橋全体を破損したり流失したりすることを防いでいます。列車の車窓からも沈下端を幾つか見つけることができます。沈下橋と川、周囲の山並み等が醸し出すのどかな景観は、清流四万十川の代名詞にもなっていて、しばしば風景写真の題材になっています。透明な清流の流れは美しく、眺めているだけで心が癒されます。
江川崎の次に停まる駅が半家(はげ)駅。単式ホーム1面1線の無人駅で、駅舎はなく、ホームに小さな待合室が設置されているだけの駅ですが、この駅、難読駅としてこれまでテレビのクイズ番組等で数多く取り上げられてきて、マニアの間ではそれなりに有名な駅なんです。半家と書いて“はげ”と読みます。予土線が土讃線から分岐する駅が若井駅であることもあり、若井駅とセットで、「若井半家(若いハゲ)」なぁ~んてね(笑) 「半家」という地名の由来は、この地に住み着いた平家の落人達が源氏方の追討から逃れるために「平」の横線を移動させて「半」にしたためと言われているそうなのですが、確かなことは判りません。
半家駅の次に停車するのは十川(とおかわ)駅。駅名標識の表記によると、この十川駅のあるところは高知県高岡郡四万十町。先ほどの半家駅や江川崎駅は高知県四万十市でした。四万十市と四万十町。隣接して同じ“四万十”を名乗る市と町があるなんて、紛らわしくて仕方がないように思えるのですが…。実際にはどうなんでしょうね。
次は土佐昭和(とさしょうわ)駅。単式ホーム1面1線の無人駅です。その次が土佐大正(とさたいしょう)駅。こちらは島式ホーム1面2線の駅で、ホームから地下道を渡ると山小屋風の駅舎があります。住所を調べてみると、この昭和も大正も四万十町の字名(地名)なのですが、いったいどういう謂れがあるのでしょうね。興味が湧くところです。土佐昭和と土佐大正があるのなら、土佐明治や土佐平成があるんじゃあないかい?…とか言い出す方がきっといらっしゃるかと思いますが、残念ながらどちらもありません。
土佐大正の次の駅は打井川(うついがわ)駅。1面1線の無人駅で、ホームに待合所があるのみです。その次の家地川(いえぢがわ)駅も同じく単式ホーム1面1線の無人駅で、ホームに小さな待合所があるのみです。
家地川駅から次の若井駅(JR土讃線との分岐駅)に行くまでの途中に川奥信号場があり、ここで中村方向からやって来る土佐くろしお鉄道中村線と合流します。ほどなく若井駅に到着です。正式にはこの若井駅が予土線の営業上の分岐駅です。とは言え、単式1面1線ホームのちっぽけな無人駅で、ホームに待合所があるのみです。
若井駅からこの列車の終点である次の窪川駅までは土佐くろしお鉄道中村線の線路の上を走ります(施設上は上記の川奥信号場から窪川駅間は土佐くろしお鉄道中村線の管轄です)。ちょっと周辺の風景に民家が多くなったなぁ~と思ったら、11時47分、終点の窪川駅に到着です。宇和島駅を発車したのが9時39分ですから、所要時間は2時間と8分。北宇和島駅と若井駅の駅間の距離は76.3km、それに宇和島駅~北宇和島駅間と若井駅~窪川駅間を加えても80kmほどのものです。その区間を2時間と8分もかけて走ってきたわけで、表定速度(ある地点から別の地点までの距離を、移動に要する時間で割って求めた速度。この場合の移動に要する時間には、途中で停止している時間も含む)は40km/h弱。列車としてはかなり遅い部類に入る速度です。
この窪川駅は四万十町(旧・窪川町)の代表駅で、JR土讃線の終点駅。JR土讃線の特急列車は、この駅に乗り入れる9往復の列車が全てが土佐くろしお鉄道中村線と相互直通運転を行っており、全特急列車が停車し、ここで乗務員が交替します。JRと土佐くろしお鉄道の駅舎は別々になっていて、JR土讃線から土佐くろしお鉄道中村線への乗り換え時のみ、構内のホームにある中間改札が使用されます。
まだ12時前なので、土佐久礼駅への集合時間である16時34分(下りの特急あしずり5号の到着時刻)まではまだ4時間半以上もあります。窪川駅から土佐久礼駅までは特急に乗れば僅かに15分で着きます。目的地に着いたも同じです。ここまでは計算通り(^^)d 4時間半以上も余裕があるので、さらに“鉄分補給”の続行です。
計画では、ここから窪川12時08分発の土佐くろしお鉄道中村線の中村行き普通列車に乗って、中村着は13時09分。中村で13時30分発の同じく土佐くろしお鉄道宿毛線の宿毛行き普通列車に乗り換えれば、土佐くろしお鉄道の終点の宿毛には14時ちょうどに着きます。次に折り返しの宿毛14時34分発の普通列車に乗って中村にとって返し、中村着が15時04分。ここで6分の連絡で出る15時10分発の岡山行きの特急南風24号に乗れば土佐久礼には16時06分に到着し、集合時刻の16時34分には余裕で間に合って、しかも一番乗りが出来ます。体力も十分に残っています。
見上げれば空には雲がほとんどなく快晴。南国高知らしく、気温もこの季節にしたら高めで、セーターの上にダウンのコートを羽織っていると暑いくらいです。
……(その5)に続きます。
執筆者
株式会社ハレックス
前代表取締役社長
越智正昭
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