2015/04/15

CH-47J チヌーク

私は子供の頃から戦闘機や戦車、戦艦といった兵器としての乗り物にはいっさい興味が沸かなかったということを先日書かせていただきました。なので、子供の頃から戦闘機も戦車も戦艦もプラモデルは一度も作ったことがなかったのですが、3年前に55歳(当時)にして、ついに1機、“五反田重工業”で作ってしまいました。

それが陸上自衛隊の『CH-47J チヌーク』と呼ばれるタンデムローター式の(デッカイ回転翼が機体の上部に2基付いている)大型輸送用ヘリコプターです。


CH-47J写真


CH-47チヌークはアメリカ合衆国のボーイング・バートル社で開発され、1961年9月21日に原型機が初飛行した軍用ヘリコプターです。アメリカ陸軍が1962年にCH-47Aとして採用し、155mm榴弾砲と弾薬に加え砲の運用に必要な兵員を含めて空輸できる高い輸送能力を持っていたことから、1965年に始まったベトナム戦争で大量に投入され大活躍しました。『ランボー』や『ゴジラ』など最近の戦争モノの映画や怪獣モノの映画、災害モノの映画等にもたびたび登場してくることから、一般の人も一度は目にしたことがあるであろうお馴染みの大型輸送用ヘリコプターです。

乗員5人のほか、バス並みの最大55人の人員、あるいは大型トラック1台分の最大11.2トンの貨物を搭載することができ、巡航速度260km/hで、最大航続距離は約1000km(燃料満載時)

ご存知のように、ヘリコプターとは、エンジンの力で機体上部にあるメインローターと呼ばれる巨大な回転翼を回転させることで揚力を発生し飛行する航空機の一種であす。空中で留まる状態のホバリングや、ホバリング状態から垂直、水平方向にも飛行が可能であり、比較的狭い場所でも離着陸できるため、災害の被災地等、各種の広い用途で利用することができます。

こうしたヘリコプターのうち、タンデムローター式のヘリコプターとは、メインローターを2基有するヘリコプターのことで、前部ローターを左回りに、後部ローターを右回りに回転させることでお互いの回転トルクを打ち消すことができ、通常のシングルローターのヘリコプターのようにテイルローター(機体尾部にある小さな回転翼。メインローターが回転することで発生する反作用を打ち消すして機首方向の安定を図るため、メインローターの回転とは反対方向に回転力を与える)を駆動する分の無駄なエネルギーを消費せず、テールブーム(飛行機における垂直尾翼のような構造物)も必要としないという特徴を有します。

このCH-47チヌークは機体性能があまりにも優秀だったため、配備開始から半世紀以上が経過した現在でも、様々な改良を受けながら生産・運用が続いていて、未だに後継機が登場していないという名機中の名機です。愛称の「チヌーク(Chinook)」とは、北アメリカのネイティブアメリカン部族の「チヌーク族」から命名されました。

現在でもアメリカ陸軍やイギリス陸・空軍、オーストラリア陸軍をはじめとして世界各国の軍隊の第一線で使われていて、イギリス空軍ではフォークランド紛争で、またアメリカ軍でも湾岸戦争でその能力を遺憾なく発揮しました。特に、イラク戦争時、イラク領内深くに侵攻したアメリカ陸軍空挺軍団の活動には、このCH-47チヌークが欠かせないものであったそうです。

CH-47のうち、日本向けの仕様で作られたものがCH-47Jで、日本の川崎重工業がライセンス生産をしています。陸上自衛隊と航空自衛隊に採用されて運用されていて、阪神・淡路大震災、新潟県中越地震、東日本大震災などの大規模災害の他に、スマトラ島大津波、パキスタン洪水被害の緊急援助で海外派遣された実績も持ちます。日本の自衛隊のCH-47Jチヌークは災害救助の現場には絶対に欠かせない機材です。

私は以前、入間基地で行われた航空祭の際に航空自衛隊様のご招待で、この航空自衛隊入間基地所属のCH-47Jチヌークに体験搭乗をさせていただいたことがあるのですが、その時は申し訳ないけど「へぇ~、凄いな。いい経験をした」くらいの感想でした。とにかく頭上で大出力のジェットエンジンが唸りをあげていて、耳にピッタリとフィットする防音用のヘッドセット(耳当て)をつけていてもその爆音は聴こえてきますし、絶えず細かな振動があって、乗り心地はお世辞にもいいとは言えないし、なにより機体後部の大型ドア(ハッチ)は開放されたままで(すなわち、通常の飛行機のようにドアが密閉されていない)、高所恐怖症の私にとっては正直「もう分かった分かった。分かったから、早く戻ろうよ(^^;」ってな感じでした。

この機体のことを改めて認めることになったのは、4年前の東日本大震災の時の活躍を、実際にこの目で見た時からです。

超巨大地震が引き起こした津波により壊滅的とも言える未曾有の大災害を被った被災地に、バリバリという大きな爆音をたてて接近してきて、巨大なローター(回転翼)が巻き起こす強い爆風の中、ゆっくりと着陸する迷彩色の塗装を施したタンデムローターの大型輸送用ヘリコプター。着陸後、その機体後部に設けられた大型のドアから大量の救援物資が陸上自衛隊の方々の手によって次々と降ろされる姿を実際に見た時、大きな感動を覚えました。「自衛隊って凄い! 被災地でこんなに組織力と機動力があって、頼りになる人達は、他にはいないっ!(@_@)」って。

自然災害の被災地救援に自衛隊の方々が派遣され、大活躍をされているということは前々から知ってはいたことですが、実際にその現場を見ると、改めてその認識を一気に高めてしまいました。とにかく凄い!、素晴らしい!の一言です。その姿には身震いして、思わず涙を流してしまったほどの強い感動を覚えました。

自衛隊だけに限らず、現場で実際に活躍をされてる場面も見ないで、自分の中の勝手な想像だけでその職業のことをあれこれ言うというのは、本当に失礼というものです。一度でもその姿を目にすると、自分の中での認識が大きく変わったりするものです。私のこの時がそうでした。

私が住むさいたま市中央区あたりは、東日本大震災発生直後からしばらくの間、陸上自衛隊の朝霞駐屯地や航空自衛隊の入間基地等から東北地方の被災地に救援物資を運んでいるのでしょう、連日何機ものCH-47Jチヌークが北東の方角に向けて、大きな爆音を響かせて飛んでいく姿が見えました。おそらくピストン輸送だったのでしょう、昼間は絶えずその爆音が聞こえるといった感じでした。時には数機の編隊を組んで飛んでいく姿を何度も目撃しました。

東日本大震災発生直後はしばらく東北自動車道も通行禁止になっていましたし、鉄道も東北新幹線も在来線の東北本線も運行再開にはしばらく時間がかかりました。津波で流されて港湾施設が使えなくなったほか、港内の海は瓦礫で埋まって船舶の接近も出来ませんでしたし、空路を使うにしても仙台空港も航空自衛隊の松島基地も津波の被害を受け、使用できなくなっていました。そういう中で、被災地に救援隊や救援物資を送り届ける大きな役割を担って大活躍したのが、この自衛隊のCH-47Jチヌークでした。

選択肢がせばまれるギリギリ絶体絶命の状況の中で、最後に頼りになるものが、実は一番強い!…と私は思っています。自然災害発生時においては、その最強のものが自衛隊の大型輸送用ヘリコプター、CH-47Jチヌークでした。なので、北東の方角に向けて飛び去る自衛隊のCH-47Jチヌークの姿を目にした時、私は必ず心の中で“敬礼”(^-^ゞをしていました。

そうそう、昨年9月27日に発生した木曽御嶽山の噴火の際にも、救援活動の様子がテレビで流されるたびに自衛隊の大型輸送用ヘリコプターCH-47Jチヌークの姿がありました。

これから想定される状況の予測とリスクの情報を出すことと、災害対応をすること…、活躍すべき(期待される)フィールドは異なりますが、人々の生命と財産を自然の脅威の来襲から守るというミッションからすると、我々気象に関わる人間と自衛隊の皆さんは同じと言えます。しかし、残念ながら、両者の間には現時点では世の中からの信頼度という点において、あまりにも、あまりにも大きな開きがあります。

この東日本大震災の時、私をはじめ弊社ハレックスの社員達は言い様のない大いなる敗北感と虚しさに襲われ、一種の自信喪失のような状態になりました。そうした中で思い出したのが、被災地での自衛隊の皆さん方の姿でした。そうだ!我々も自衛隊のように自然災害の時に、皆様から頼られる存在になろう!…との思いに至り、『株式会社 地球防衛軍』を目指す!…というメッセージを社内向けに発したのでした。

その思いは、これまでのように単なる気象情報を提供する会社ではなく、迫り来る自然の脅威による想定されるリスクをちゃんと提示するとともに、お客様が取るべき代替手段の推奨までも行える「自然災害のエキスパート」を目指すということです(^^)d

その象徴がCH-47Jチヌークでした。その思いに到ってすぐにAmazonで陸上自衛隊のCH-47Jチヌークのプラモデルを購入し、五反田重工業で製造しました。完成したCH-47Jチヌークは社長室の私の執務机の横に飾ってあります。あの時の思いをずっと忘れないようにするために…。

執筆者

株式会社ハレックス前代表取締役社長 越智正昭

株式会社ハレックス
前代表取締役社長

越智正昭

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