2015/07/22
ザ・ベンチャーズ Japan Tour 2015(その1)
先日の3連休の中日7月19日(日)、埼玉県深谷市の深谷市民会館で行われた、『ザ・ベンチャーズ』のJapan Tour 2015のコンサートを聴きに行ってきました。(JR深谷駅は東京駅のようなレトロな駅舎です。)
今年も7月17日の松戸市民会館(千葉県)を皮切りに、7月18日、取手市民会館(茨城県)、そして、この日7月19日、深谷市民会館(埼玉県)…とJapan Tourが全国40箇所近くで開催されます。その今年3つ目のコンサートでした。『ザ・ベンチャーズ』は1962年に初来日して以来、今回のツアーが69回目になります。そして、今年のコンサートは唯一残っていたオリジナルメンバーでリーダー、リズムギターを担当するドン・ウィルソンさんの最後の来日ツアーとなるということなので、こりゃあ絶対に聴きに行かねばなるまい…ということで、来日ツアーの開催決定を知った段階で、私は即この日のチケットを購入したのでした。
ドン・ウィルソンさんは今年82歳。長期ツアーに体力面で不安を感じるようになってきたので、今回が最後の来日ツアーになるのだそうです。『ザ・ベンチャーズ』としては来年以降も日本ツアーを開催する予定でいるということのようですが、ドン・ウィルソンさんの後任など、詳細は未定とのことのようです。
前述のように、ザ・ベンチャーズが最初に来日したのは1962年(昭和37年)ですから東京オリンピックの2年前。まさに映画『Always 三丁目の夕日』に描かれた時代です。東京タワーが完成したのが昭和33年なので、ドン・ウィルソンさんとボブ・ボーグルさんの2人は古い街並みの中にその東京タワーがデェ~ン!と聳え立つ“トーキョー”の街に降り立ったわけですね(旅費が2人分しか出なかったので2人だけの来日でした)。
東海道新幹線が東京~新大阪で開業したのが2年後の1964年のことですから、高度成長に明け暮れてはいましたが、まだまだ人々の暮らしは貧しかった日本の街に、“リッチ”の権化であったアメリカから海を渡ってやって来たのです。日本中を熱狂させたと言われているビートルズの日本公演が1966年だからその4年前のことです。
ザ・ベンチャーズによって“リッチ”の国から持ち込まれた電気楽器(エレキギター)の強烈なサウンド。さぞや衝撃的だったに違いないと思います。たちまち日本の若者達に一大ブームを巻き起こし、多くの若者がエレキギターを手にして彼等の真似を始めました。当時、日本にはまだ“ロック”という言葉の本当の意味が理解浸透しておらず、「エレキ」という名称で呼ばれていましたが、日本全国に「◯◯ベンチャーズ」と呼ばれる彼等のコピーバンドが生まれました。まさに「エレキの伝道師」です。
私もそうでしたが、エレキギターを手にすると、どうしてもザ・ベンチャーズのリズムギター、ドン・ウィルソンさんの奏でるあの独特のテケテケテケテケ…♪を真似したくなったものです。あのテケテケサウンド、低音弦をスライドさせて、ピッキングを行うもので、正しくは「クロマティック・ラン奏法」と言います。
ザ・ベンチャーズの凄いところは、初来日以降、毎年のように、それも夏と冬の2回来日して各地で公演をやっているということ(ビートルズの来日は1回だけでした)。それも東京や大阪といった大都市だけの公演ではなく、呼ばれたら日本全国どこにでも行く…という感じで、北海道から沖縄まで全都道府県くまなく公演を行っています。
今年の「Japan Tour 2015」の残りの開催場所を見ても、地方都市の◯◯市民会館なんて文字が幾つも見られます。こんなバンド、他には聞いたことがありません。50年以上もやり続けて解散も活動休止もしていないこと自体が凄いことなのに、50年以上も毎年のようにように来日し、日本全国をくまなく回るツアーを行ってくれています。その公演回数は2,500回以上。こんなアーティスト、日本人でもいません。ホント凄いの一言です。
そうしたこともあり、その後の日本の音楽に与えた影響は計り知れないものがあります。2010年には「春の叙勲」で天皇陛下から『旭日小綬章』を受賞しています。まさにロック界の『人間国宝』です。
私は1956年生まれの今年59歳。ザ・ベンチャーズが初めて来日した1962年、私は6歳、小学校1年生でした。言ってみれば日本人として物心ついた時からザ・ベンチャーズ、そしてエレキギターのサウンドに親しんだほとんど最初の頃の世代です。
私がザ・ベンチャーズのコンサートを聴きに行くのは、3年前の『来日50周年記念ツアー』以来で、この時は東京の中野サンプラザで行われたコンサートを聴きに行きました。この時も、今回と同様、ザ・ベンチャーズのJapan Tourがあるという記事を新聞で読んで、「こりゃあ絶対に聴きに行かねばならない!」と思い、すぐにネットでチケットを購入したしだいでした。ザ・ベンチャーズはこれまでも毎年来日してTour公演を行っているのですが、その年は『来日50周年』ということで新聞にも取り上げられ、それを見てチケットを予約したわけです。(埼玉県内での公演にしたかったのですが、既にソールドアウトで、中野サンプラザになったのでした。)
オリジナルメンバーのボブ・ボーグルさん(リードギター、ベース)が2009年にお亡くなりになり、オリジナルメンバーの中で残った1人ドン・ウィルソンさん(リズムギター)も今年御歳82歳。ドラムのメル・タイラーさんも既にお亡くなりになり、その後を継いだ息子のリオン・テイラーさんが1955年生まれだから私とは同学年。そのリオン・テイラーさんがメンバー最年少なわけですから、これはいつまでザ・ベンチャーズの生の演奏を聴けるかわかりません。行ける時に行っておかないと、この『人間国宝』の演奏を生で聴けなくなるかもしれない…という思いでした。
で、この日の深谷市民会館も完全満席。観客のほとんどは私より若干上の世代の方々ばかり(最近、私が聴きに行くコンサートはこういうのばっかりです・笑)。それも男性が圧倒的。女性の姿は数えられるくらいの僅かなものでした。
いわゆる“おやじバンド”仲間なのでしょう、4人とか5人と言った男性ばかりの団体さんで来られている方々が多い感じでした。中には「The Ventures」のオフィシャルロゴが背中にプリントされた揃いのTシャツ姿の団体さんがいたりしています。まぁ~、言ってみれば熱狂的な「オッサンの集合体」ってな感じの深谷市民会館の客席でした。
こういうお客さんで満席の中、場内が暗くなり開演したのですが、今回はドン・ウィルソンさんの最後の来日ツアーということで、演奏される楽曲もそれを十分に意識したものになっていました。ザ・ベンチャーズの演奏はたいていは「Walk Don’t Run (急がば廻れ)」で始まり、「Perfidea( パーフィディア)」、「Lullaby Of The Leaves( 木の葉の子守唄)」、「Aoi Hoshikuzu( 蒼い星くず:加山雄三作曲)」…というメドレーが最初にあるというのがお約束のようになっているところがあるのですが、今回はそうではなくて「The Cruel Sea (クルーエル・シー)」を冒頭にもってきて、続いて「Wipe Out (ワイプ・アウト)」。軽く意表をつかれた感じがしましたが、そのサウンドを聴いただけで、ザ・ベンチャーズワールドに一気に引き込まれます。これはこれで十分にアリです(^^)d
ちなみに、「Walk Don’t Run (急がば廻れ)」で始まり、「Perfidea( パーフィディア)」、「Lullaby Of The Leaves( 木の葉の子守唄)」、「Aoi Hoshikuzu( 蒼い星くず:加山雄三作曲)」…というお約束のメドレーは2部構成の後半の真ん中に持ってきて、特に前半はドン・ウィルソンさんがやりたいことをやった…っていう感じの遊び心満載のステージでした。
ザ・ベンチャーズは基本演奏のみのインスツルメンタルバンドなのですが、コンサートでは時折メンバーがボーカルを務めて歌が入ることがあります。この日のコンサートでは、ドン・ウィルソンさんがボーカルを務めて代表的なカントリーソングの「Jambalaya (ジャンバラヤ)」、また、リードギターのジェリー・マギーさんがボーカルを務めてリズム・アンド・ブルースの名曲「What’d I Say」を演奏したりと、かなり遊び心が満載でした。さらにいつもはリズムギターのドン・ウィルソンさんが珍しくリードギターを務めての「Ghost Riders In The Sky (ライダーズ・イン・ザ・スカイ)」を演奏しちゃったりして…(^^)v
その他の楽曲もご存知「Slaughter On Tenth Avenue(10番街の殺人)」、「Secret Agent Man(秘密諜報員)」、「Hawaii Five-O(ハワイ・ファイブ・オー)」、「Manchurian Beat(さすらいのギター)」、 「Apache(アパッチ)」、「Telstar(テルスター)」、「The House Of The Raising Sun(朝日があたる家)」と我々ファンが聴きたいと思っている代表曲のオンパレード。イントロを聴いただけで楽曲名が判るので、観客からは「オォッ!」という声が漏れます(隣で聴いていた妻に言わせると、私も曲が始まるたびに「オォッ!」っと呻き声を漏らしていたようです)。
この50年以上、毎年のように来日していることもあり、ザ・ベンチャーズは日本を題材にしたオリジナルの楽曲(いわゆる“ご当地ソング”)をこれまで幾つも発表しています。この日もその中の楽曲も幾つか演奏してくれました。渚ゆう子さんが歌った「京都の恋(Kyoto Doll)」と「京都慕情(Replections in A Palace Lake)」、山内賢さん和泉雅子さんが歌った「二人の銀座(Ginza Lights)」、奥村チヨさんが歌った「北国の青い空(Hokkaido Skies)」、そして欧陽菲菲さんが歌った「雨の御堂筋(Stranger in Midoosuji)」。お馴染みの名曲ばかりで、これは懐かしいの一言でした。特に「Kyoto Doll(ザ・ベンチャーズ版「京都の恋」)」は私が小遣いを貯めて最初に買ったレコードでした。当時私は中学2年生でしたが、そのくらいの衝撃でした。
それにしてもこのアメリカ人アーティスト達、なんでこんなに日本人の心を掴むような楽曲を作曲できるのでしょうね。曲が先に出来て、それに日本人の作詞家が日本語の歌詞をつけていったということのようですが、最初から詞が嵌め込まれているかのような楽曲です。演奏を聴いていてもちゃんと歌が頭に浮かんできますもの。恐るべし…です。
……(その2)に続きます。
執筆者
株式会社ハレックス
前代表取締役社長
越智正昭
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