2015/08/28
熱量
世の中にいっぱい溢れているのに、まったく何の意味(価値)もないもの。
(1)機転の利かない高学歴
(2)語るけれど動けない人
(3)威張るだけの怠け者
(4)真面目な弱虫
(5)魂のない素直
(6)工夫のない勤勉
世の中の“困ったチャン”と呼ばれる人達って、たいていはこれらのうちのどれかに該当します。
「シラケ」、「スカシ」、「気取り」…、これらは豊かな時代に流行りやすい伝染病のようなものです。ひどくなると「シラケているほうが格好がいい」と言わんばかりに、いつもつまらなさそうに振る舞う人もいたりします。場の空気を読む配慮もなく、周囲のことなどお構いなし。自分が振り舞いたいように振る舞うだけ。それどころか、努力している人や活躍している人を怪訝そうな目で見たり、冷やかしたり、時には馬鹿にするような態度を取ることさえあります。何事にも無関心や無感動、無表情な人も同様です。そういう人って、シラケることや無関心・無感動になることで、「自分はレベルが高いのだ」という誇示が働いているように思えます。
そういう人達に共通する特徴は「熱量がない」ことと言えるのではないでしょうか。すなわち、人間関係や行動パターンにおいて温度や情熱に決定的に欠けているのではないでしょうか。学校の試験に熱量や情熱はほとんど必要ありませんが、人間関係やコミュニケーションにおいては、この熱量や情熱は不可欠なものです。特に不安定で厳しい時代になればなるほど、この熱量や情熱はより重要になってくると思います。
シラケている人や無関心・無感動な人の行動は、必ず誰かの我慢の上に成り立っていると思います。つまり、あくまでも受け身。そのような人が、これからの厳しい時代に通用することができるのでしょうか? シラケや無関心は致命傷と言えるのではないでしょうか。なぜなら、他人だけでなく自分自身も動かす情熱の欠けているということですから。
では、どうしたらこの致命的なシラケ、無関心、無感動から抜け出すことが出来るのでしょうか?
それには、まず「参加」してみることではないでしょうか。はじめは小さなことでいいんです。とにかく参加してみることです。参加するということは、決して大袈裟なことではありません。少しだけ感情を入れてみる、感情移入してみる、もっと簡単に言うと、その気になってみるということではないでしょうか。
ポイントは「傷つく」ことを恐れなくなることではないでしょうか。この場合の“傷つく”ということは、実際に自分の身体に傷がつくだけでなく、「恥をかいた」や「笑われた」、「馬鹿にされた」、「無視された」などによる心の傷も含まれます。それらの傷を受けたくないという思いが、多くの人から大切な「参加する」という機会を奪っているように私は思っています。
しかし、「傷つく」ということは、いっぽうで「磨く」ということに通じます。爪でもダイヤモンドでも、「磨く」という行為は「傷つける」ことから始まります。磨いている部分を顕微鏡で拡大してみると、すべて表面を傷つけているわけですから。
逆に言えば、傷つくことを恐れている恐れている人は、磨かれることを自ら拒否しているとも言えます。磨かずに光り輝くものがこの世に存在するでしょうか。人として光り輝き、魅力的になるためには、傷つくことを恐れず、むしろ歓迎すること。つまり、シラケていないで、いろいろなことに積極的に参加することだと、私は思っています。
私は、いつまでも「熱いですね」と言われるような存在でいたいと思っています。
(1)機転の利かない高学歴
(2)語るけれど動けない人
(3)威張るだけの怠け者
(4)真面目な弱虫
(5)魂のない素直
(6)工夫のない勤勉
世の中の“困ったチャン”と呼ばれる人達って、たいていはこれらのうちのどれかに該当します。
「シラケ」、「スカシ」、「気取り」…、これらは豊かな時代に流行りやすい伝染病のようなものです。ひどくなると「シラケているほうが格好がいい」と言わんばかりに、いつもつまらなさそうに振る舞う人もいたりします。場の空気を読む配慮もなく、周囲のことなどお構いなし。自分が振り舞いたいように振る舞うだけ。それどころか、努力している人や活躍している人を怪訝そうな目で見たり、冷やかしたり、時には馬鹿にするような態度を取ることさえあります。何事にも無関心や無感動、無表情な人も同様です。そういう人って、シラケることや無関心・無感動になることで、「自分はレベルが高いのだ」という誇示が働いているように思えます。
そういう人達に共通する特徴は「熱量がない」ことと言えるのではないでしょうか。すなわち、人間関係や行動パターンにおいて温度や情熱に決定的に欠けているのではないでしょうか。学校の試験に熱量や情熱はほとんど必要ありませんが、人間関係やコミュニケーションにおいては、この熱量や情熱は不可欠なものです。特に不安定で厳しい時代になればなるほど、この熱量や情熱はより重要になってくると思います。
シラケている人や無関心・無感動な人の行動は、必ず誰かの我慢の上に成り立っていると思います。つまり、あくまでも受け身。そのような人が、これからの厳しい時代に通用することができるのでしょうか? シラケや無関心は致命傷と言えるのではないでしょうか。なぜなら、他人だけでなく自分自身も動かす情熱の欠けているということですから。
では、どうしたらこの致命的なシラケ、無関心、無感動から抜け出すことが出来るのでしょうか?
それには、まず「参加」してみることではないでしょうか。はじめは小さなことでいいんです。とにかく参加してみることです。参加するということは、決して大袈裟なことではありません。少しだけ感情を入れてみる、感情移入してみる、もっと簡単に言うと、その気になってみるということではないでしょうか。
ポイントは「傷つく」ことを恐れなくなることではないでしょうか。この場合の“傷つく”ということは、実際に自分の身体に傷がつくだけでなく、「恥をかいた」や「笑われた」、「馬鹿にされた」、「無視された」などによる心の傷も含まれます。それらの傷を受けたくないという思いが、多くの人から大切な「参加する」という機会を奪っているように私は思っています。
しかし、「傷つく」ということは、いっぽうで「磨く」ということに通じます。爪でもダイヤモンドでも、「磨く」という行為は「傷つける」ことから始まります。磨いている部分を顕微鏡で拡大してみると、すべて表面を傷つけているわけですから。
逆に言えば、傷つくことを恐れている恐れている人は、磨かれることを自ら拒否しているとも言えます。磨かずに光り輝くものがこの世に存在するでしょうか。人として光り輝き、魅力的になるためには、傷つくことを恐れず、むしろ歓迎すること。つまり、シラケていないで、いろいろなことに積極的に参加することだと、私は思っています。
私は、いつまでも「熱いですね」と言われるような存在でいたいと思っています。
執筆者
株式会社ハレックス
前代表取締役社長
越智正昭
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