2017/03/21
中山道六十九次・街道歩き【第9回: 本庄→新町】(その6)
昼食を終えて、また街道歩きに戻ります。
御陣馬川という川を楠森橋で渡ります。御陣馬川というなにやら由緒正しそうな名前の付いた川なのですが、ウォーキングリーダーさんが調べても、その由来は分からないそうです。
旧街道らしく、沿道には庚申塚や馬頭観音、道祖神が幾つも建てられています。
御陣馬川を渡り、神保原駅へ向かう道路との交差点を過ぎてしばらく進むと上里町神保原1交差点にでます。
この交差点のT字路を右折して直ぐに国道17号を上里町神保原(北)交差点で横切り、西方向に進みます。この辺りは金久保と呼ばれている集落のようです。道路には上里町のマスコットキャラクター『こむぎっち』が描かれたマンホールの蓋があります。深谷市の『ふっかちゃん』、本庄市の『はにぽん』…と、この埼玉県北部は全国的にも知名度の高い“ゆるキャラ”の宝庫なのですが、この上里町にも『こむぎっち』という“ゆるキャラ”(マスコットキャラクター)がいます。この『こむぎっち』、上里町の町制施行40周年を記念して誕生したマスコットキャラクターということで、上里町の特産品である種子小麦をモチーフにしたデザインになっています。なかなか完成度の高いマスコットキャラクターなので、「ゆるキャラグランプリ2014」で準グランプリを獲得した『ふっかちゃん』、「ゆるキャラグランプリ2016」で同じく準グランプリを獲得した『はにぽん』に続いて、この『こむぎっち』にも頑張ってほしいものです。
ちなみに、上里町の特産品の「種子小麦」とは農林61号という種類の小麦のようです。この農林61号は小麦の大横綱と呼ばれるほどの、国産小麦の主力品種です。主に、うどんや乾麺用の小麦粉として使用し、さらに麺やパンの原料にも利用されています。県内の至るところにうどんの製麺所と店がある私の故郷・四国の香川県は、人口10万人当たりの消費量が全国ダントツの1位で、自他ともに認める「うどん県」なのですが、そんなうどん界の絶対王者ともいえる香川県に真正面から戦いを挑む(?)恐れを知らない都道府県があります。そこはどこかというと……意外や意外、この埼玉県なのをご存知でしょうか?
埼玉県は日照時間が長い気候を活かして小麦の栽培が盛んで、“ハレの日”を中心にうどんを食べる習慣が昔から根付いています。「生めん」と「ゆでめん」の生産量については絶対王者・香川県の後塵を拝しているものの、堂々の全国第2位につけています。また、海の幸のない埼玉県にとって「うどん」は地域ブランドとして有望なグルメのようで、加須うどん(加須市)や熊谷うどん(熊谷市)、川幅うどん(鴻巣市)、煮ぼうとう(深谷市)、すったて(川島町)…など、ご当地うどんを盛り上げる運動が県内各地で活発になってきています。また、人口10万人当たりの「そば・うどん店」の事業所数でいうと絶対王者・香川県には遥かに及ばないものの、埼玉県所沢市に本社のある「山田うどん」は、首都圏に180以上の店舗を展開し、今や埼玉県民のソウルフードとして定着しつつあります。
とは言え、香川県育ちの埼玉県民とすると、やっぱりうどんは香川県の讃岐うどんに限ります。まぁ~、埼玉のうどんは讃岐うどんとは全く別物の麺だという認識で食すると、それなりに美味しいとは思いますが…。
ちなみに、最近はデザインマンホールといって、表面に様々な模様を施されたマンホールの蓋が静かなブームになっているようです。マンホールの蓋は収集品としてはあまりにも大きすぎるため、主に写真に撮ることによって蓋の“収集”が行われているようで、この『中山道六十九次・街道歩き』でたびたびご一緒する女性の中にも、各地のマンホールの蓋を写真で撮影される方がいらっしゃいます。最近は自治体ごとにその地域の名産品や特色をモチーフにしているデザインマンホールが数多く導入されているようで、興味は尽きないようです。その女性はこの『こむぎっち』が描かれた上里町のマンホールの蓋を見て、「かわいい~!」と声を上げられていました。いろいろな趣味の方っているものですね。
およそ250メートルほど行った左手に二十三夜塔や庚申塔等の石塔等が10数基が集められて祀られている場所があります。中央奥に小さな祠もあります。なんとも素朴な感じが好ましい感じです。あちこちから集められここに安置されている石碑群だそうです。
こういう庚申塚があります。時間が経ってかなり消えかかっていますが、この庚申塚の特徴は、石の表面が全体に黄色く着色されていること。これまでの中山道街道歩きで幾つもの庚申塔、庚申塚を観てきましたが、このように表面が着色された庚申塚を観たのは初めてのことです。もし庚申塔や庚申塚のマニアだという方がいらっしゃるのであれば、そのレアさに小躍りして喜ばれるのではないか…と思われます。
金久保八幡神社です。この神社は、大永5年(1525年)、金窪城主・斉藤盛光が鶴岡八幡宮から金窪城内に勧請したことに始まります。しかし、天正10年(1582年)、後述の神流川の合戦で斉藤氏が敗退すると、八幡宮も焼失してしまいました。その後、中山道の開通により元和年間(1615年~1624年)に村人達の手によって八幡宮がこの地に遷座され、再建されました。金窪城跡の300メートルほどの東にある元々の鎮座地には、元八幡という地名が継承されているとのことです。
「遥拝所」と刻まれた石碑が立っています。ウォーキングガイドさんの説明によると、よく晴れているとこの場所から浅間山の山容が美しく拝めるのだそうです。なるほど。金久保八幡神社の本殿の天井に描かれた絵が立派だということですが、暗くてよく分かりません。
参道の右側には社務所があり、そこの一角には鬼瓦が展示されています。これは元の神社の屋根にあった鬼瓦なのでしょうか。説明がないので、これまたよく分かりません。
……(その7)に続きます。
御陣馬川という川を楠森橋で渡ります。御陣馬川というなにやら由緒正しそうな名前の付いた川なのですが、ウォーキングリーダーさんが調べても、その由来は分からないそうです。
旧街道らしく、沿道には庚申塚や馬頭観音、道祖神が幾つも建てられています。
御陣馬川を渡り、神保原駅へ向かう道路との交差点を過ぎてしばらく進むと上里町神保原1交差点にでます。
この交差点のT字路を右折して直ぐに国道17号を上里町神保原(北)交差点で横切り、西方向に進みます。この辺りは金久保と呼ばれている集落のようです。道路には上里町のマスコットキャラクター『こむぎっち』が描かれたマンホールの蓋があります。深谷市の『ふっかちゃん』、本庄市の『はにぽん』…と、この埼玉県北部は全国的にも知名度の高い“ゆるキャラ”の宝庫なのですが、この上里町にも『こむぎっち』という“ゆるキャラ”(マスコットキャラクター)がいます。この『こむぎっち』、上里町の町制施行40周年を記念して誕生したマスコットキャラクターということで、上里町の特産品である種子小麦をモチーフにしたデザインになっています。なかなか完成度の高いマスコットキャラクターなので、「ゆるキャラグランプリ2014」で準グランプリを獲得した『ふっかちゃん』、「ゆるキャラグランプリ2016」で同じく準グランプリを獲得した『はにぽん』に続いて、この『こむぎっち』にも頑張ってほしいものです。
ちなみに、上里町の特産品の「種子小麦」とは農林61号という種類の小麦のようです。この農林61号は小麦の大横綱と呼ばれるほどの、国産小麦の主力品種です。主に、うどんや乾麺用の小麦粉として使用し、さらに麺やパンの原料にも利用されています。県内の至るところにうどんの製麺所と店がある私の故郷・四国の香川県は、人口10万人当たりの消費量が全国ダントツの1位で、自他ともに認める「うどん県」なのですが、そんなうどん界の絶対王者ともいえる香川県に真正面から戦いを挑む(?)恐れを知らない都道府県があります。そこはどこかというと……意外や意外、この埼玉県なのをご存知でしょうか?
埼玉県は日照時間が長い気候を活かして小麦の栽培が盛んで、“ハレの日”を中心にうどんを食べる習慣が昔から根付いています。「生めん」と「ゆでめん」の生産量については絶対王者・香川県の後塵を拝しているものの、堂々の全国第2位につけています。また、海の幸のない埼玉県にとって「うどん」は地域ブランドとして有望なグルメのようで、加須うどん(加須市)や熊谷うどん(熊谷市)、川幅うどん(鴻巣市)、煮ぼうとう(深谷市)、すったて(川島町)…など、ご当地うどんを盛り上げる運動が県内各地で活発になってきています。また、人口10万人当たりの「そば・うどん店」の事業所数でいうと絶対王者・香川県には遥かに及ばないものの、埼玉県所沢市に本社のある「山田うどん」は、首都圏に180以上の店舗を展開し、今や埼玉県民のソウルフードとして定着しつつあります。
とは言え、香川県育ちの埼玉県民とすると、やっぱりうどんは香川県の讃岐うどんに限ります。まぁ~、埼玉のうどんは讃岐うどんとは全く別物の麺だという認識で食すると、それなりに美味しいとは思いますが…。
ちなみに、最近はデザインマンホールといって、表面に様々な模様を施されたマンホールの蓋が静かなブームになっているようです。マンホールの蓋は収集品としてはあまりにも大きすぎるため、主に写真に撮ることによって蓋の“収集”が行われているようで、この『中山道六十九次・街道歩き』でたびたびご一緒する女性の中にも、各地のマンホールの蓋を写真で撮影される方がいらっしゃいます。最近は自治体ごとにその地域の名産品や特色をモチーフにしているデザインマンホールが数多く導入されているようで、興味は尽きないようです。その女性はこの『こむぎっち』が描かれた上里町のマンホールの蓋を見て、「かわいい~!」と声を上げられていました。いろいろな趣味の方っているものですね。
およそ250メートルほど行った左手に二十三夜塔や庚申塔等の石塔等が10数基が集められて祀られている場所があります。中央奥に小さな祠もあります。なんとも素朴な感じが好ましい感じです。あちこちから集められここに安置されている石碑群だそうです。
こういう庚申塚があります。時間が経ってかなり消えかかっていますが、この庚申塚の特徴は、石の表面が全体に黄色く着色されていること。これまでの中山道街道歩きで幾つもの庚申塔、庚申塚を観てきましたが、このように表面が着色された庚申塚を観たのは初めてのことです。もし庚申塔や庚申塚のマニアだという方がいらっしゃるのであれば、そのレアさに小躍りして喜ばれるのではないか…と思われます。
金久保八幡神社です。この神社は、大永5年(1525年)、金窪城主・斉藤盛光が鶴岡八幡宮から金窪城内に勧請したことに始まります。しかし、天正10年(1582年)、後述の神流川の合戦で斉藤氏が敗退すると、八幡宮も焼失してしまいました。その後、中山道の開通により元和年間(1615年~1624年)に村人達の手によって八幡宮がこの地に遷座され、再建されました。金窪城跡の300メートルほどの東にある元々の鎮座地には、元八幡という地名が継承されているとのことです。
「遥拝所」と刻まれた石碑が立っています。ウォーキングガイドさんの説明によると、よく晴れているとこの場所から浅間山の山容が美しく拝めるのだそうです。なるほど。金久保八幡神社の本殿の天井に描かれた絵が立派だということですが、暗くてよく分かりません。
参道の右側には社務所があり、そこの一角には鬼瓦が展示されています。これは元の神社の屋根にあった鬼瓦なのでしょうか。説明がないので、これまたよく分かりません。
……(その7)に続きます。
執筆者
株式会社ハレックス
前代表取締役社長
越智正昭
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