2018/05/18

中山道六十九次・街道歩き【第19回: 贄川→宮ノ越】 (その4)

2日目も復活した「晴れ男のレジェンド」は健在で、朝からよく晴れています。この日は奈良井宿からいよいよ中山道の難所の一つと言われる鳥居峠を越えて薮原宿へ、そして木曾義仲ゆかりの宮ノ越宿まで歩きます。朝の気温はちょうど0℃と低いのですが、雪が降る心配はなさそうです。

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午前8時15分に宿泊したホテル・ルートイン伊那を観光バスで出発し、権兵衛街道(国道361号線)を使って昨日のゴールだった奈良井宿の権兵衛駐車場を目指します。権兵衛峠を権兵衛トンネルで抜けて、すぐに木曽谷に出ます。43年前に約13時間もかけて歩いて通った道が今ではクルマを使って約30分。ホント便利になったものです。

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権兵衛駐車場に到着。ストレッチ体操の後、2日目の街道歩きに出発しました。その出発前にちょっと“鉄ちゃん”タイムです。静態保存されているC12型蒸気機関車を撮影。前日は既に暗くなりかけていたので、再度撮影したのですが、今度は思いっきり逆光。こりゃあこの日も写真撮影には苦労しそうです。ちょうどJR東海の上り名古屋行きの「特急しなの」が猛スピードで通過していきました。

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JR中央本線(西線)の踏切を渡り、奈良井宿の高札場のところに戻ります。ここからが中山道街道歩きの続きです。

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前日、奈良井宿に着いたのは日没が迫りくる時間帯だったので、かなり薄暗くなりかけた中での奈良井宿の風景でしたが、明るい陽射しの中で見る奈良井宿の風景はまた一味も二味も違います。古い街並みですが、華やかな感じさえします。

このあたりは道が軽くクランク状になっています。「鍵の手」と言われるところで、左側に「中山道奈良井宿 名所 鍵の手」の石碑が立っています。

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宿もはずれになり高札場や水場があります。高札場は絵図に基づいて昭和48年(1973年)に復元されたものです。この高札場が置かれていた場所が、奈良井宿の京方の入り口でした。

奈良井宿の街並みを特徴づけている「水場」は生活に欠かせない生活用水の確保や、火災が発生した場合に連なる家々への延焼を防ぐために、山からの豊富な沢水や湧き水を利用して設けられました。また、中山道を歩く多くの旅人が難所・鳥居峠を越える前に、また下ってきてすぐにこの水場で喉を潤しました。水場からは今もコンコンと清水が湧き出ています。現在奈良井宿には6箇所の水場が整備されています。

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その先に赤い鳥居の「鎮(しずめ)神社」があります。鎮神社は奈良井・川入地区の氏神で、祭神は経津主神(ふつぬしのかみ)。寿永から文治(12世紀後半)の頃、中原兼遠が鳥居峠に建立し、天正年間(1573年〜1592年)にいたり奈良井氏が現在地へ移したと伝えられています。また、元和4年(1618年)に疫病流行を鎮めるため、下総国香取神社を勧請したことから「鎮神社」と呼ばれるようになったのだそうです。本殿は寛文4年(1664年)の建築で、村指定の有形文化財になっています。鳥居峠を越えていく旅人は、ここで道中の安全を祈願していったそうです。私達も無事に鳥居峠を越えられることを祈願しました。

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神社の隣に旧楢川村歴史民俗資料館がありますが、時間がなく訪れることはできませんでした。

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その旧楢川村歴史民俗資料館の前庭に「山口青邨句碑」が建っています。

   お六櫛 つくる夜なべや 月もよく   青邨

「お六櫛」は木曽の名産品で土産物として大変人気がありました。ですが、「お六櫛」は奈良井宿ではなく、これから鳥居峠を越えた先に訪れる藪原宿の名産品でした。

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ここで奈良井宿を出て、いよいよ鳥居峠への登りに入ります。神社から100メートルほど歩いた右手の石段が鳥居峠の登り口になっています。本来は資料館脇から急斜面を上がっていったそうなのですが、道が残ってなくて、今はこの階段を上がっていきます。

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ここからいよいよ鳥居峠を越えます。奈良井宿から鳥居峠を越えて藪原宿までは約8km、徒歩約3時間半の道程となります。

「熊 出没注意!!」の看板が立っています。マジかよ……。

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階段を上がった先はわずかな区間ではありますが杉並木に草道になっています。まさに「江戸時代の中山道」って感じで、雰囲気は最高です。

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すぐに先ほど分かれた車道に合流し、ヘアピンカーブを上って行きます。

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ヘアピンカーブを曲がって100メートルほど歩くと旧中山道の「石畳道」が出現します。その石畳道が旧中山道で、車道から右に曲がってその石畳道に入っていきます。この石畳道に入ると、いよいよ本格的な中山道・鳥居峠越えに入ります。石畳道はほどよく整備されていて、歩きやすい道です。

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沢を木橋で渡ります。木橋はここを含め何箇所あります。

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しばらくは緩くもなく急登でもない石畳道を上り、その先のジグザグ道を登っていくと展望台の案内が見えてきます。ちょっと脇道に入って展望台で水分補給の休憩を取ります。この展望台からは木曽山脈(中央アルプス)の山々が見えます。木々の間から顔を覗かせているのは木曽山脈(中央アルプス)の最高峰である木曽駒ケ岳(標高2,956メートル)です。中山道を歩くと見える山々が変わってきますが、とうとう木曽山脈(中央アルプス)の最高峰、木曽駒ケ岳を見ることができるところまでやって来ました。ちょっと感激です。

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小さな道祖神が立っています。周囲には小石が積み上げられて、身動きが取れないくらいになっています。私も小石を1つ拾って積み上げておきました。

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このあたりは「くるみ坂」と呼ばれています。先ほどの展望台までが急な坂道で、このあたりは比較的歩きやすい山道が続きます。

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また木橋を渡ります。

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「→奈良井宿 0.81km  ←鳥居峠 1.50km」ですか。峠のサミット(頂上)はまだまだ先ですね。

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「くるみ坂」の比較的平坦な道を進むと沢の向こうに小屋が見えてきます。ここは「中の茶屋跡」です。茶屋の手前の沢は「葬沢(ほおむりさわ)」と呼ばれています。ここは前述のように天正10年(1582年)、木曽義昌が武田勝頼の軍勢2千余兵を迎撃した古戦場跡です。この時、破れた武田方の500余名の戦死者でこの沢が埋もれたのだと言われていて、葬沢(ほうむりさわ)と呼ばれるようになったと案内板に書かれています。

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そのすぐ先、右手に「中の茶屋跡」があります。ここは、菊池寛の短編小説「恩讐の彼方に」の前半の部分の舞台になった所といわれています。「恩讐の彼方に」は、江戸時代後期に、豊前国(大分県)の山国川沿いの耶馬渓にあった交通の難所に、“青の洞門”を開削した実在の僧である禅海の史実に取材した作品です。小屋の中にこの菊池寛の「恩讐の彼方に」のことが記されています。「恩讐の彼方に」には次のようなくだりがあります。

「彼(小説の主人公・市九郎=了海)は、いつとなしに信濃から木曽へかかる鳥居峠に土着した。そして昼は茶店を開き、夜は強盗を働いた。」

その茶店がこの「中の茶屋」だったようです。表の顔は江戸から一緒に出奔したお弓とともに茶屋の夫婦を装っていましたが、その裏で人斬り強盗を生業として暮らしていました。江戸出奔から3年目の春、自らの罪業に恐れをなした市九郎は、お弓の許を離れ、美濃国大垣の浄願寺で明遍大徳の慈悲によって出家を果たし、法名を了海と名乗り、滅罪のために全国行脚の旅に出ました。そして小説の舞台は彼方の“青の洞門”へと移っていきます。(私は読んでいませんが…)

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中の茶屋跡の先も草道や沢に架かる木橋を渡り、つづら折りの道を登っていきます。中の茶屋から先の道は大部分が崩壊したということなので、歩いている道はその後に作られた自然遊歩道か迂回路ということでしょうか。そんなに険しい道ではなく、普通の山道です。

ジグザグに九十九折(つづらおり)になった坂道を登っていきます。

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坂道は登っていると足元と前方の坂しか見えませんが、時々振り返ってみると、素晴らしい光景が見えたりするものです。ここで振り返ってみた景色がこれです。かなり坂道を登ってきたのが分かります。登りの坂道が長く続くので、ちょっと落伍しそうな人も出てきはじめました。少しペースを落としながら歩きます。

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またまた木橋で沢を渡ります。

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写真では分かりにくいと思いますが、落ち葉の下は霜柱です。霜柱をトレッキングシューズでサクサクと踏みしめながら歩きます。

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鳥居峠一里塚です。江戸の日本橋から数えて65番目の一里塚です。現在、塚は残存しておらず、「一里塚跡」と刻まれた石碑が立つだけです。

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前方にまた木橋があります。右にちょっと迂回してあの木橋の標高まで上がり、木橋で左を流れる沢を渡ります。

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石畳道が終わったところに道標があり、ここで旧国道19号線と合流します。旧国道19号線を100メートルほど先へ行くと「中利茶屋跡」があります。今は立派な休憩所「峯の茶屋」となっていますが、かつてはここに「中村利兵衛茶屋」がありました。脇に清水が流れています。

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前日に歩いた奈良井宿の町並みが眼下に見渡せます。碓氷峠でも、坂本宿を眼下に見渡せる「覗き(覘き)」という場所があったのですが、似たようなロケーションの場所です。

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鳥居峠の標高が1,197メートル、鎮神社の辺りが約900メートルということなので300メートルほどを登ることになります。1時間半ほどのちょっとした登山です。鳥居峠は43年前に一度通ったことがある筈なんですが、まったくといいほど記憶に残っていません。地蔵峠や権兵衛峠などの峠を越えましたが、中山道では唯一越えた峠なので記憶に残っていても良さそうなのですが、ダメですね。43年前は薮原宿から奈良井宿という逆方向だったこともあるかと思います。でも、そのぶん新鮮に感じます。

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実は鳥居峠を通過する交通路は6本あり、うち1本が歩道、3本が車道、2本が鉄道となっています。歩道および車道は以下の通りです。
①江戸時代以来の旧中山道を信濃路自然歩道(昭和46年(1971年)指定)として整備したもの
②明治23年(1890年)の長野県による七道開削事業により初めて車道として開通した明治新道
③昭和30年(1955年)に開通した鳥居隧道(延長1,111メートル)を通る国道19号旧道
④昭和53年(1978年)に開通した新鳥居トンネル(延長1,738メートル)を通る国道19号現道(現在の中山道)
このうち鳥居隧道は封鎖されており通行不能となっていますが、旧中山道と明治新道は現在でも通行ができます。鉄道は、国鉄(現在のJR東海)中央本線が延長1,673メートルの鳥居トンネルがあり、明治43年(1910年)に開通し、大正10年(1921年)に延伸補強がなされたのですが、前後の急勾配・急カーブの解消と輸送力増強のため、昭和44年(1969年)に延長2,157メートルで複線断面を持つ新鳥居トンネルを通行するようルートが切り替えられました。

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旧国道19号線はこの先で下っていくのですが、旧中山道は休憩所の横の「草道」をもう少し上っていきます。

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草道を上って数分、御岳講中が建てた「明覺霊神碑」が崖の途中にあります。「御岳講 明覺霊神碑」という案内看板が立てられています。御岳講中とは木曽御嶽山を信仰する人達のことで、当時の御岳信仰の偉大さが伺えます。その説明板に「御嶽遥拝所まで30メートル」とあります。それらしき場所を探したのですが見つかりませんでした。

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樹林の中の草道を進んでいきます。

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実は鳥居峠には「ここが鳥居峠の頂上である」と示す石碑や案内板は1つも設けられておりません。碓氷峠や和田峠、塩尻峠では峠の頂上を示す石碑や案内板が「これでもかぁ〜!」くらいに幾つも立っているのですが、鳥居峠にはそれが一切ないのです。一応、鳥居峠の名前の由縁になった鳥居のある御嶽神社のあたりが鳥居峠だということになっていますが、それは便宜的なもので、実は標高ということでいうとそこが最高地点ではないのです。なので、ここまで登ってくる途中にあった「鳥居峠→1.◯km」と書かれた道標も距離の表記がまちまちで、ちょっと鳥居峠に向かって歩いたのに、峠までの距離が遠くなっている…っているというおかしなことも起きたりしています。

で、正真正銘の標高1,197メートルの鳥居峠のサミット(頂上)はここではないか…と言われているのがこの地点です。確かにそれまで登りだった坂道が、この地点から先は緩やかな下りに変わります。でも、先ほど書きましたように峠のサミット(頂上)を示す表示はどこにもありません。

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……(その5)に続きます。